BBTime 629 一膳九皿

「九月来箸をつかんでまた生きる」橋本多佳子

2023/08/27投稿 8/28加筆
今週末は九月ですが気温は真夏のまま。句の解説は『多佳子は生来の病弱で、とくに夏の暑さには弱かったという。したがって、秋到来の九月は待ちかねた月であった。涼しくなれば、食欲もわいてくる。「さあ、また元気に生きぬくぞ」の気概に溢れた句だ。それにしても「箸をつかんで」は、女性の表現としては荒々しい。気性の激しさが、飛んで出ている。なにしろこの人には、有名な「雪はげし抱かれて息のつまりしこと」がある。この句を得たのは五十一歳。「箸をつかんで」くらいは、へっちゃらだったろう。しかも、この荒々しさには少しも嫌みがなく、読者もまた作者とともに、九月が来たことに嬉しさを覚えてしまうのである。九月来の句には感傷に流れるものが多いなかで、この句は断然異彩を放っている。ちなみに、若き日の多佳子は、これまた感情の起伏の激しかった杉田久女に俳句の手ほどきを受けている。「橋本多佳子さんは、男の道を歩く稀な女流作家の一人」と言ったのは、山口誓子である。(清水哲男)』(引用元)。今回は「一日二善」「一日二食」を踏まえての結論です。

前回前々回で、訪問診療中に施設の食事回数について感じたことを書きました。一日三食ではなく二食で良いのでは?。数カ所で「一日二食」の話をしました、ある施設で目撃した「一膳九皿」で結論が出ました。その日の昼食は「鮭のムニエル、サラダ、小鉢、ご飯」が標準。準備テーブルを見ていると、きざみ食、ミキサー食、水分摂取制限など、細かく利用者に合わせた膳が並びます。その中にひとつだけ皿数の多い膳を発見。数えてみると、なんと九皿が所狭しと並んでいます。これはこれは豪華ですねと、配膳係の方に問うと意外な答えが・・。

まず「一日二食」の結論から。数カ所で聞いた答えはおおかた次のようです。1)利用者の中には「こんなに(一日三食)は食べきれないから二食でいい」との声も確かにある。2)朝食はシンプルにパンと牛乳だから、そんなに時間や手間はかからない。3)施設説明時に「一日三食提供します」と「ここは一日二食です」なら、あなた(利用者家族も含めて)ならどちらを選びますか?・・というわけで「一日三食」です。

では「一膳九皿」のわけは?・・極めてシンプルでした。利用者(九十歳を超えた女性)の御家族が「おばあちゃんには、好きな物を好きなだけ食べて欲しい」と希望され、施設がその要望に応えて九皿であるとのこと。んー目から鱗でした。そうです!ここは病院ではないし、利用者は入院患者ではない。仮に残り少ない日々を「好きな物を好きなだけ」食べて欲しい。これには納得するしかありませんでした。職員さん曰く「いつも二割から三割しか食べられません」「食事量もご家族には報告しています」「それでもいいから豪華にしてくださいがご家族の希望です」。目から鱗の後、目頭が熱くなりました。

画像は黒砂糖です。南九州ではお茶請けによく登場します。少し前のことでした。訪問診療中に十時のお茶の時間、遠目に見ているとお茶と黒砂糖。職員さん「花子さんにはおまけでひとつ多く入れておくね」・・聞きながら「やめてくれ」と思いました。黒砂糖とはいえ砂糖です。ご自分での歯磨きは不十分な方が多く、結構口の中は汚れています。タイミングを見計らって職員さんに「黒砂糖は砂糖ですよね」「できれば他のものに」など話しました。他のものにと言った手前、探しました。黒砂糖よりムシ歯リスクが低く、コストパフォーマンスは同じくらいのお茶請けは?これが意外とないんです。

しかし「一膳九皿」を目撃してから探すことをやめました。おやつに、これはダメこれが良いよりも、何を召し上がってもいいのでメンテナンス(口腔清掃)をお任せください、の方がベターだと思ったからです。九皿同様、おやつは楽しみです。歯を守るためにおやつを変えるのではなく、食べた後の習慣(システム)を改善すべきであると思います。例えば、まず固形物(黒砂糖など)を出してあげて、ほぼ食べ終わってからお茶を出す。もしくは必ず最後はお茶で口の中を歯を洗うようにする、などです。もちろん、ご希望あらばメンテナンスいたします。

食べることは、多くの方にとって喜びであり幸せ。喜び優先なのか歯の健康が優先なのか?喜び優先であることは明白!黒砂糖、九皿・・その方の人生において喜びなのです。「食べるために」五年前に書いておりました、お時間あれば是非こちらも読みください。では皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 618 ゴックン

「くちびるに夏欲しければ新茶飲む」小迫倫子

2023/05/13投稿
五月も半ばと言うのに朝ひんやりの鹿児島です。句の解説は『載せようか、載せまいか。何日か思い悩む句がある。偉そうにしているわけではないけれど、私なりの評価が定まらないからだ。この句も、そのひとつ。若々しく新しい感覚ではある。だが、どこか私にはいぶかしい。それは「新茶飲む」という表現のせいだ。これまでの句では、茶は「汲む」ものであり「喫する」ものでありと、「飲む」というストレートな言い方はゼロに近かった。茶には「飲む」だけでは伝わらない風合いがあるので、多くの俳人はあえて婉曲的な表現を選んできたのだろう。そんななかで、作者はずばり「飲む」と詠んでいる。ミルクやジュースと同じ「飲み方」をしている。そういうふうに読める。おそらくは、このあたりの表現法が今後の俳句の大問題になるはずで、当サイトの読者はどうお考えになるだろうか。「喫茶」という言葉が持つ色気を追放したときに、どんな新しい風が吹いてくるのか。私にも、大いに興味がある。その意味で、この作品は重要だと考え紹介することにした。小迫さんは1969年生まれ。『21世紀俳句ガイダンス』(現代俳句協会)所載。(清水哲男)』(出典)。茶は「汲む」であって「飲む」ではない?今回は飲む、嚥下についてのお話し。ちなみに前回の句は「汲む」。

ご存じ、画像は燕(ツバメ)。燕に口が付いて「嚥」、検索すると『ツバメの子が口を大きく開けて親鳥からエサをもらい、 飲みこむ様子※から作られました。口へんに燕(つばめ)と 書いて「飲みこむ」という意味の動詞になったのです。※ツバメは人間に近い所で巣を作るため、給餌の様子がよく観察できました。 また、嚥下(えんげ)は英語でswallowと言います。 語源は違いますが、名詞の「ツバメ」と、動詞の「飲みこむ」と して使われています』(出典元)。と言うことは、ヤクルトスワローズのスワローは燕であり、動詞で「グッと飲む、飲み込む」です。ヤクルトスワローズの隠された意味は、ひょっとすると「ヤクルト飲もう!ヤクルト愛飲者!」かも。燕だけに不思議なゴエン!

こちら(日医工株式会社)に、非常にわかりやすい嚥下の説明が載っています。引用しながら飲み込んでいきましょう(進めていきます)。はじめに摂食嚥下のメカニズムについて。『摂食嚥下とは食べ物を認識してから、口に取り込み、咀嚼し、咽頭・食道を経て胃へ送り込む一連の機能を指します。摂食嚥下は、認知期(先行期)、準備期、口腔期、咽頭期、食道期の5つのステージにわかれており、このうち、口腔期から食道期までの、いわゆる「飲み込む」動作が嚥下に該当します』(引用元)。

1)認知期:認知期(先行期)は、食べ物を認知し、口の中に取り込むまでの段階です。食欲を感じ、唾液の分泌、消化管の運動を促すなどにつながる大切な段階と考えられています(引用元)。
ポイント(あくまでも私見です)・・レストランを例に。まずは「メニューを読む」可能ならば小声でいいので音読する。産地の表示があれば地図をイメージする。疑問があれば、質問する。オーダーが済んで料理が目の前に来た時、お店の人の説明に耳を傾ける。食前酒もベター。鰻屋、カレー屋、ケーキ屋などの匂いや香りも有効な準備です。
施設(グループホームなど)であれば、眼・耳・鼻などに問題のある方もいらっしゃるでしょう。ミキサー食の場合もあります。例えば、その食事の材料を食卓に並べる。トマト、カボチャなど色鮮やかな野菜や果物(模型でも可)を置くことなども効果的かも。

2)準備期:準備期は、咀嚼・食塊が形成される段階です。口に取り込まれた食べ物は舌と歯を使って咀嚼され、更に、唾液と混合されることで嚥下しやすい形態、つまり食塊に整えられます(引用元)。
ポイント:もちろん歯に問題があれば上手く噛めません。義歯に問題(痛みやガタつき)があっても良くありません。また、唾液が少ない、口腔内の水気が足りないもの問題です。乾杯で直前に口の中を潤す、口の動きの準備するなど必要な場合もあるでしょう。

3)口腔期:口腔期は、舌が口蓋(前歯の裏)にしっかり押し付けられ、食塊を後方の咽頭に送り込む段階です。味覚や触覚、温痛覚などが保たれていることも円滑に口腔期の運動を行うためには重要です(引用元)。

4)咽頭期:咽頭期は嚥下反射そのものであり、食べ物を咽頭から食道へ運ぶ段階です。
咽頭通過は約0.5秒以内と一瞬ですが、摂食嚥下のメカニズムの中でも「誤嚥」が起きる段階であり、まさに嚥下のポイントといえます(引用元)。

5)食道期:食道期は、食道へ送り込まれた食塊が蠕動運動によって胃へ運ばれる段階です。食道上部の上食道括約筋が咽頭への逆流を防ぎ、食道下部の下食道括約筋が胃食道逆流を防ぎます(引用元)。
引用元には、非常にわかりやすい動画があります。ぜひご覧ください。毎日毎食、当たり前にしていること・・嚥下。真っ暗闇で何か飲み物を渡されても不安です、口を開けたまま飲み込むのは至難の業。やはり健康は有難いものです。皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 614 チーズの力

「春愁の中なる思ひ出し笑ひ」能村登四郎

2023/04/17投稿
春愁:しゅんしゅうとは春のものうい思い。花が散り、世の中が不穏、朝晩は肌寒い・・物憂いです。句の解説『春愁とは風流味もある季語だが、なかなかに厄介な感覚にも通じている。その厄介さかげんを詩的に一言で表せば、こういうことになるのだろうか。手元の角川版歳時記によれば、春愁とは「春のそこはかとない哀愁、ものうい気分をいう。春は人の心が華やかに浮き立つが、反面ふっと悲しみに襲われることがある」。国語辞典でも同じような定義づけがなされているけれど、いったい「春愁」の正体は何なのだろうか』(一部抜粋)。美味なるもので春愁を払うべく今回はチーズの力について。

朝日新聞4/14の広告で認知症に関するものです。「予防策もない。根本的な治療策もない。発症したら向き合っていくしかない」とあります。確かにそうかも知れませんが、この広告の中に「たどり着いた可能性が「音」でした」とあるように、いくつかの可能性が近年明らかになって来ています。認知症予防策につながる可能性のあるひとつに歯周病のコントロール、言い換えれば口腔内の炎症のコントロールがあります。

「音」すなわち耳は般若心経に出てきます。「無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法」(詳しくはこちら)。耳つまり「音」のあとに舌つまり「味」が出てきます。歯周病予防と味は少し視点は異なりますが、同じ口腔(こうくう、口)です。「音」と同様に味覚、もしくは口の健康も可能性のひとつに違いありません。

口の健康を保つ第一歩は言うまでもなく「ムシ歯予防」。そこでチーズの力を使いませんか?チーズの力・ムシ歯予防力には、WHOがキシリトールよりチーズに軍配を上げています。「チーズは、再石灰化を促す働きがあります。チーズを噛むとその刺激で唾液成分が倍増し、カルシウムイオンやリン酸イオンによる修復が進みます。また、唾液には食事で酸性に傾いた口の中を中性に戻す緩衝能があり、虫歯を起こしにくくします。そしてこの緩衝能は、チーズにも備わっています」(引用元)。加えて独特の匂いが、唾液の分泌を促すこともムシ歯予防につながるようです。

チーズの力で、ムシ歯予防ひいては歯周病予防、しかも笑顔に。おやつ堂のチーズは神楽坂「アルパージュ」から取り寄せています。ムシ歯予防はなんとなく分かったけど「笑顔」の根拠は?・・はいこちら「ハニ!チーズ」をお読みください。また認知症と歯周病の関係は「プラーク三種」「老のもと」「炎症はなし」に書いておりますので、こちらも是非。では皆様、今日もおやつ堂ですか?ご歯愛の程。

BBTime 580 ハニ!チーズ

「一生の楽しきころのソーダ水」富安風生

2022/06/30投稿 6/30追加
この季節、大好きな句です。解説には『季語は「ソーダ水」で夏。大正の頃から使われるようになった季語という。ラムネやサイダーとは違って、どういうわけか男はあまりソーダ水を飲まない。甘みが濃いことも一因だろうが、それよりも見かけが少女趣味的だからだろうか。いい年をした男が、ひとりでソーダ水を飲んでいる図はサマになるとは言いがたい。だからちょくちょく飲んだとすれば、句にあるように「一生の楽しきころ」のことだろう。まだ小さかった子供のころともとれるが、この場合は青春期と解しておきたい。女性とつきあってのソーダ水ならば、微笑ましい図となる。喫茶店でソーダ水を前にした若い男女の姿を目撃して、作者はあのころがいちばん楽しかったなあと若き日を懐古しているのだ。むろん、味などは覚えてはいない。ただそのころの甘酸っぱい思いがふっとよみがえり、やがてその淡い思いはほろ苦さに変わっていく。』(解説より抜粋)。さて今年の鹿児島、梅雨入り後は雨あめアメ・・でしたが、アッと言う間に明けました。そうしたら即真夏!今回は「ハイ、チーズ」ではなく「歯にチーズ」のお話。

記事を見つけました。タイトル『虫歯はチーズで予防できる!WHO報告書で「エビデンスはほぼ確実」』。内容はタイトルの如く、チーズを食べるとムシ歯予防効果ありと言うものです。『「WHOのテクニカルリポートという報告書によると、虫歯リスクに関する科学的根拠を『確実』から『根拠不十分』まで4段階に分けた中で、リスク軽減の効果が『確実』とされる物質はフッ化物。そして、これに次いで効果が『ほぼ確実』とされたのがハードチーズでした」』(記事より)。キシリトール配合ガムよりもより確実な予防効果があるとのこと。

二つの理由を挙げています。再石灰化と緩衝能・・『「チーズは、再石灰化を促す働きがあります。チーズを噛むとその刺激で唾液成分が倍増し、カルシウムイオンやリン酸イオンによる修復が進みます。また、唾液には食事で酸性に傾いた口の中を中性に戻す緩衝能があり、虫歯を起こしにくくします。そしてこの緩衝能は、チーズにも備わっています」』
記事より)。

チーズの中でもハード系がオススメ・・『チーズの中でも特に、チェダー、パルメザン、エメンタール、ゴーダといったハードチーズやセミハードチーズが、カルシウムとリン酸の量が非常に多い。しかしチーズなら種類を気にせず、なんでもOKとのこと』(記事より)。『「虫歯予防のためにチーズを食べるなら、食事の最後が望ましいです」  何らかの食品と一緒にチーズを食べても、チーズの働きは阻害されない。もちろんお酒もOK。むしろお酒はほとんどが酸性なので、中性に戻す作用に優れるチーズと食べることが推奨される』(記事より)。手前味噌です、前回ご紹介した「そんなバナナジュース」は、牛乳・バナナともph(ペーハー)は7前後で中性です。ちなみに冒頭のソーダ水は、砂糖ゼロであっても安心とは言えません。炭酸水(ソーダ水)そのものが酸性飲料ですので、飲んだあと可能ならば、水かお茶を飲まれることをオススメします(中性に戻すために)。皆さま暑過ぎる日々です、ご自愛の程ご歯愛の程。

追加:はい、チーズについて。
ご紹介した曲のタイトルを見て頂けるとお分かりのように「はい、チーズ」のオリジナルは「Say,cheese」(セイ、チーズ:チーズと言って!)です。Say(セイ)を「ハイ」に替えただけですが、これは見事に当たりましたね。詳しくはこちらをどうぞ!日本輸入時は、まさにチーズがらみのようです(笑・スマイル・チーズ)!

BBTime 566 Agua:水

「そんなことよく思ひつく春の水」岡田史乃

2022/3/29投稿
本日、鹿児島は雨。句の解説『さて、「そんなこと」とは、どんなことなのか。「そんなこと」は、書いてないのでわからない。わかることは、「そんなこと」が「そんな馬鹿なこと、どうでもよいこと」に近い中身であろうということだけ。もしも「そんなこと」が、心より賛嘆すべき内容を持っていたとしたら、「春の水」と照応させたりはしないはずだ。水温む候、作者の機嫌はすこぶるよろしく、「そんなこと」にも立腹せずに微笑して応えている。また、あなたの馬鹿話がはじまった。それにしても、次から次へと、よく「そんなこと」を思いつく人であることよ。わずらわしい時もあるけれど、今日はむしろ楽しい感じだ。目の前には、豊かな春の日差しを受けてキラキラと輝く水が流れている。全て世は事もなし。束の間ではあるかもしれないが、至福の時なのだ。ところで、句の成り立ちを作者の立場になって考えてみると、上中の十二文字は素直にすらりと出てきたはずだが、さあ、下五字をどうつけるかには少なからず腐心したにちがいない。それこそ「春の水」を「思ひつく」までには、相当に呻吟したと推察される。すなわち、突然口を突くように出てきた上中のフレーズを、簡単に捨てるには忍びなかったということ。反対に、実は一切そんな苦労はなかったのかもしれないが、長年俳句を読んでいると、つい「そんなこと」までをも気にかけてしまう。ビョーキである。史乃さん、間違ってたらごめんなさい。『ぽつぺん』(1998)所収。(清水哲男)』(解説より)。今回は「どうでもよいこと」ではなくて・・「水」にまつわるお話。

過日、奈良の和菓子屋のご主人のお話を聞く機会に恵まれました。「私にできることは吸水・加熱・加糖のみ。可能な限り本来素材の持つ良さを損なわないよう」の言葉が響きます。菓子材料に、材料を作る農家の方々に、菓子作りの道具製作者への敬意が随所に感じられます。素材の持ち味を失わないように、ベストでミニマムな「吸水加熱加糖」のみが和菓子屋のできることで、美味しさは素材が持っていると。確かに「樫舎:かしや」の美味しさは作られたものではなく、引き出された味であると思います。和菓子に対する並々ならぬ愛が感じられ、その愛は素材への敬意であり、農家・道具の作り手への尊敬の念です。また、手を加えることを最小限にとどめるのは、人が手を掛ければ掛けるほど素材が「穢れる:けがれる」からともおっしゃっていました。寺社への奉納(納入)が多く、寺社関係者の方とのお付き合いの中でそのように思わられるようになったとのこと。樫舎についてはこちらの記事も是非!

奈良の良さ・京都とは違う品格は、言わば「自己主張しない」であるような気がします。京都より長い歴史を持ち、歴史に育まれた今の奈良の持つ真の力なのでしょうか。

「水」のお話と言いながら「吸水」のみ。実は今月御紹介したい二曲が「水」なのです。最後に取って付けたように歯磨きについて。過去に何度か書いてますが、水というか唾液による歯磨きをお勧めします。歯磨き粉使用の方が落ち着くという方は、充分に唾液で磨いた後に仕上げでペーストを少しつけてください。吸水から唾液磨き・・まさに我田引水!その曲とは「三月の水」と「おいしい水」です。4939

BBTime 555 かつ丼

「たくあんの波利と音して梅ひらく」加藤楸邨

2022/1/22投稿 2/1お替り追加
句は「たくあん」なのに「かつ丼」とは、これいかに。「新編 折々のうた 第三」には『「波利」はハリと読むのかそれともパリか。後者の方が実際の音には近いが、この場合にはあえてハリと読むべきだろう。たぶん作者は、「波利」と意識的に漢字で書いて、パリという音をうしろに漂わせながら、ハリの音に軽やかに遊んでいるのである。その結果「梅ひらく」がこの音と優しく響き合う。たくあんと梅の花がこんな形で結びつけられるのを見ることに、詩を読むだいご味もあるといえる』(11頁より抜粋)。毎年、この時期になるとこの句を思い出し味わうとともに「沢庵食べたい!」と唾液が・・今回は「食べたい!」のお話。

先日(1/21)の今日のダーリンは「かつ丼」。久々に(ひょっとすると初めて)「かつ丼食べたい!」の文章でした。食べて書いた人は糸井重里氏。何はさておき、まずは召し上がれ!

『水曜日のお昼に、去年からずっと食べたかった「かつ丼」を食べに行った。「ソースかつ丼」も大好きではあるのだけれど、やっぱり少なめの丼つゆでさっと煮て、卵でとじたものが、本流というか王道というか、ぼくのいちばんなのだ。』

『浅い丼鍋でつくるから、揚げたてのとんかつの一部分には、まったくつゆがかかってないところがある。火にかけて、つゆがわぁっと沸いたところに長ネギを入れ、そこに揚げたばかりの熱いとんかつをするっと滑らせる。とじる卵にしても、まんべんなくかけたりしないし、黄身と白身はあんまり混じり合っていない。あえて、出来上がりの「ばらつき」を料理にしているのだ。食べるときに箸を入れたその部分によって、ちょっとずつ別のメロディが聞こえてくるわけだから、おいしさの変化がたのしめる。
 つゆのかかったごはん、長ネギと重なるとんかつ、かりっとしたころもの部分もうまいし、しっとりとつゆのしみた煮物としてのかつもたのしめる。ときには、とろっとした卵の黄身をごはんに混ぜて、卵かけごはんのように食べる一瞬もある。途中途中で、箸休めのように白菜の漬物を食べたり、小梅をかりっとかじったりしてもいい。思い出したように、かつおぶしの香りも軽やかに残るなめこの味噌汁をすすったりもする。』

『そして、これはみんながやっていることではないのだが、小皿に盛ってくれたキャベツの千切りに、とんかつ用のソースをかけたものを待機させておいて、そこに最初に目をつけておいた、つゆも卵もかかってない、まだ衣のちくちくしているようなかつの一切れを取り分け、ソース味のとんかつとしてキャベツといっしょにいただく。ロースかつ定食にせずに、かつ丼にしたわたしなのに、ソースのとんかつも味わえるのである。
 それも、かつ丼をあえて「むら」に仕上げているおかげだ。この店の、こういうかつ丼のつくり方は、いまは亡きご主人がつくっているころからずっと同じだ。奥さんと娘さんが、店の味をしっかりと引き継いでいる。

 行こうと決めて行く前の日々も、たのしみだったし、 こうやって、思い出している時間も、またおいしい。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。とんかつのなかでも特に丼については、「やまいち」だなぁ。』

最後に出てくる「やまいち」とは東京淡路町のお店だそうな(小生未体験)。こんなにも美味しい「かつ丼」は読んだことがない。嵐山光三郎著「頬っぺた落とし う、うまい!」にもかつ丼はなかったような、明日にでも「やまいちかつ丼」食べたい!

小生、高二から寮生活で日曜は食事無く自前調達。学校近くの喫茶食堂「花の木」のカツ丼が好きでした。味もさることながらおかみさんが美人、けどいつもご主人と仲悪そうに働いていました。画像のような陶器の丼ではなく、底の浅い塗物の大きな蓋付きで、蓋を取った時に立ち登る卵とじの甘い湯気をはっきり覚えています。残念ながらその店は今はなし。

画像は銀座「とん喜」のかつ丼。昔、この店で隣テーブルの男性(工事現場労働者風)が「歯が悪いから小さく切ってくれ」に、お店のご主人「切ったらかつ丼にならん」と。横で聞きながら「だよね!だから歯は大切」とひとり合点しました。カツのみならず、付いてくる沢庵も歯が健康でなければ「パリ」とはいきません。皆さま、かつ丼を味わうためにも御自愛の程ご歯愛の程。

お替り!ここのメニューにかつ丼はありません、丸一です。画像は上ロース、ボリュームすごいでしょ!店は丸一、味は花丸。

BBTime 548 耳

「楽観的蜜柑と思索的林檎」神野紗希

これを見るとただ単に連語?と思えるような俳句です。解説には『句集「すみれそよぐ」(朔出版)から。ミカンとリンゴを楽しんでいる感じ。我が家の卓上には、ミカンとリンゴのほかに黒くなりかけた欲情的バナナ、すこし硬い禁欲的キウイ、そして軟化した蠱惑的(こわく)柿がある。そういえば、物理学者で俳人、随筆家だった寺田寅彦に今日の句の先例のような句がある。「客観のコーヒー主観の新酒かな」』(毎日新聞2020.12.25朝刊)。さて、今回は前回「歯と眼」に続く「耳」・・耳寄りなお話。

炬燵みかんで楽観的、ニュートンやジョブズでりんごは思索的なのでしょうか。さて小生の好きな耳に「食パンの耳」があります。色々な活用法がありますが、マイブームは「耳とデュカ」です。いたってシンプル、耳にデュカをのせオーブンで5分ほど焼き、オリーブオイルをのの字にかけてハイ、イタダキマス、サラダがあれば最高です。

昨今毎日のように耳にする「フードロス」問題、まことにもったいない話です。水上勉さんの本に「野菜の切れ端、葉っぱなどを使いちゃんとした料理にするのが精進料理である」というような下りがありました、御意。パンの耳のさらに良いことは「安い」こと。いつもパン屋にあるとは限りませんが重宝しています。美味しく頂いて食物の有り難みを感じ、同時に歯の有り難みも噛みしめてください。

先日、拙ブログの読者の方より「曲の選考基準は?」との質問、お答えします。二つあります。ひとつはブログ内容に「ちなんだ曲」。もうひとつは「いい曲みっけ!」での選択。今回は「いい曲みっけ」の曲です。数日前朝、ラジオから昔懐かし「September」のイントロ・・ところが男性アナウンサーは曲名紹介で「December」・・あれ?十二月ではなく九月でしょ!と突っ込みました。再度、曲の終わりに「ディッセンバー」と。調べましたら何とありました。もちろん原曲はアース・ウインド・アンド・ファイアの「セプテンバー」で、この曲のクリスマスバージョン「ディッセンバー」があったのです。もう一曲は「林檎」にちなんでフランス人歌手「Pomme:ポム(林檎)」の曲です。では皆さま、ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 538 残るは食欲

BBTime 538 残るは食欲
「毎日が老人の日の飯こぼす」清水基吉

本日(9/20)敬老の日。解説には『季語は「老人の日(敬老の日)」で秋。1951年(昭和二十六年)から始まった「老人の日」が、「敬老の日」として1966年(昭和四十一年)から国民の祝日に制定された。当たり前のことながら、高齢者にとっては「毎日が老人の日」だ。子供や若者とは違って、高齢者は否応無く日々「年齢」を意識して生きる存在である。老人を対象としたホームヘルパーなどが使う用語に「生活後退」があるが、これは高齢者・障害者など生活障害がある人々の衣食住を中心とした「基本的な生活」の局面で現れる生活内容の貧困化、悪化及び自律性の後退である』(解説より)。・・ところが「サンデー毎日」とはならないのが今様。そこで「残るは食欲」についてのお話。

新聞記事「高齢者4人に1人が労働者 総務省推計、65歳以上人口が29%超に」(朝日新聞9/20付)内容は『総務省は20日の敬老の日に合わせ、2015年の国勢調査を基にした高齢者の人口推計を公表した。65歳以上の人口は前年より22万人増えて3640万人、総人口に占める割合(高齢化率)は29・1%となり、それぞれ過去最高を更新した。政府が「生涯現役社会」を目指す中、高齢者の就業率は25・1%と初めて「4人に1人」に達した』(記事より)。大まかには人口の三人に一人が高齢者で、働く人の四人に一人が高齢者だということ。と言うことは、もはや多くの高齢者にとって「サンデー(休日)毎日」ではなく、それぞれの事情で仕事現役であり、一方で社会のいろいろなモノの三分の一は高齢者向けでないと受け入れられないということです。

阿川佐和子著「残るは食欲」に『書名ともなった「残るは食欲」というのは、そもそもだいぶ昔に悪友、ダンフミが呟いた言葉だ。「愛欲と物欲を捨てた今、自分と俗世を結ぶ唯一の絆は食欲のみ」うまいことを言う女優だと感心した。感心はしたけれど、私はそこまで欲を捨ててはいないと自認した。』(あとがき)

おっしゃる通り!御意。食欲は最後まで現役です・・と言うことは口のメンテナンスも生涯必要となります。定期的メンテを是非!月に一回がオススメです。・・とは言え「わかっちゃいるけど」も事実。そこで少しでも皆さまの背中を押すべく、次の一歩ならぬ「次のおやつ」をご紹介。月一(つきいち目標)で取り上げますので、いつまでも「美味しい」を味わいたい方「残るは食欲」の方、是非お試しください。「次のおやつ」001は9/30クルミの日に敬意を表して「クルミッ子」です。

画像のようにクルミのふんだんに入ったキャラメルを挟んだ焼き菓子。ネットでは「切り落とし」も購入可能です。鎌倉紅谷(べにや)のクルミッ子、是非ご賞味あれ。インスタにはアレンジレシピとして「スーパークルミッ子:トースターで3分ほど温めてからカットしたバターをのせるだけ。とろけるキャラメルとバターのコクがたまりません」と投稿あり。こちらも是非お試しあれ!ではでは、ご自愛の程ご歯愛の程。5480



https://youtu.be/4ZnSzleli54

BBTime 486 謙虚な料理

BBTime 486 謙虚な料理
「謙虚なる十一月を愛すなり」遠藤梧逸

十一月七日立冬で暦の上では冬です・・唐突に「謙虚」と詠まれても。解説には『はや、十一月だ。季語としての「十一月」は、立冬のある月なので冬に分類。暦の上では冬に入る月だが、小春日和といわれる暖かい日々もあり、トータルでは案外十月よりも暖かかったりする。「あたゝかき十一月もすみにけり」(中村草田男)という印象深い句もある。とはいえ、一方では木枯らしの吹く日もあって、季節はじんわりと確実に冬へと向かっていく。掲句を読んで真っ先に思ったことは、句のように当月を人格化したときに、なるほど「謙虚」という表現がぴったりくるのは、今月十一月しかないだろうなということだった。前に出過ぎず、しかし着実に次の月へとバトンを渡していく感じがある。そこで、お遊びを思いついた。では、他の月には、どんな人格や性格を当て嵌めればぴったりくるのだろう。拙速で私なりに並べてみると、来月十二月は「短気」だろうか。一月は「堂々」でいいだろう。そして、我が生まれ月の二月は「孤独」。三月は浮かれがちになるので異論も覚悟で「軽佻」、逆に四月は年度はじめゆえ「実直」となる。五月は文句なしに「明朗」で、六月は「陰鬱」と言うしかあるまい。七月は「蹶起」ないしは「血気」のような感じだけれど、八月は七月の惰性みたいな月だから「怠惰」でいきたい。九月にはちょっと困ったが「素朴」としておいて、十月は案外に雨の日も多いことから「曖昧」としておこう。いかがでしょうか。下手くそすぎますかね。やっぱりね。『新日本大歳時記・冬』(1999)所載。(清水哲男)』(解説より)。さて「謙虚な料理」こそ贅沢!のお話。

最近出会った、ふたつの「謙虚な料理」。ひとつは先月十月スフォリーノのパスタを知りました。以来、幾度となく足を運んでおります。「スフォリーノ」や「ナイデンテ」に書きました、極めてシンプルなパスタです(しかも砂糖ゼロ)。ふたつ目は先日「COFFEE COUNTY:コーヒーカウンティ」の豆を手に入れ淹れて飲みました。COFFEE COUNTYも「素:す」が味わえるコーヒーで、ミルクや砂糖は邪魔です。

店員さんオススメの「ニカラグア:エンバハーダ農園」を飲んでみて、つくづくコーヒーの素の味の素晴らしさを改めて感じました。豆の説明には「桃やグァバやを思わす甘い香り、弾けるよような口当たりからビワや白ぶどうの柔らかな果実感、ユリの花ような香りの余韻が続きます」と、ワインの説明かと思われるような文章。聞くところによると代表の方は大のワイン好きとか・・なるほどと納得!

謙虚とは『自分の能力や置かれている立場をありのまま受け入れ、相手の意見を認めてすなおに取り入れたり相手を抑えるような自己主張を控えたりする様子だ』(新明解国語辞典第七版)とあります。このふたつにおいては「何も足さず何も引かずとも、持ち味を十二分に発揮できる」と言えましょうか。しかも美味しい・・否(いな)美味しいという陳腐な表現ではなく「味わい深い」の方が適切でしょう。

画像はトマトの実のパスタ。いつ食べても裏切られることのない味でオススメの一皿です。手打ちパスタにソースや具がのっております。もちろんこのパスタもよし!時にスフォリーノヨシモトの超シンプルなパスタもよし!ミルクや砂糖を加えてのコーヒーも美味しい!可能ならば「素の珈琲」も味わって欲しいと切に思います。ちなみに鹿児島市内では「panis:パニス」で飲むことができます。

画像はタリアテッレ:tagliatelle。小生には覚えにくく、つい「きしめん」と。かたやトルテッローニ:tortelloni(二枚目の画像)は「ギョウザ」と注文してしまいます。スフォリーノのパスタもコーヒーカウンティの珈琲も、砂糖ゼロで味わえます。(別に、美味しい料理において砂糖ゼロにこだわる必要は全くないのですが、仕事柄つい・笑)美味しくて味わい深く、健康にもよろし、しかも懐にも優し!「謙虚な料理」を探してみるのも、これまた楽し!皆さま、ご自愛のほど御歯愛の程。5650


https://youtu.be/by4Cr3kPNPg

BBTime 484 ナイデンテ

BBTime 484 ナイデンテ
「いちまいの皮の包める熟柿かな」野見山朱鳥

これはトルテッローニ、これも一枚の皮(パスタ)の包める・・です。今回は、前回「スフォリーノ」のお替り。まずは句の解説から『掌に重い熟した柿。極上のものは、まさにこの句のとおり、一枚の薄い皮に包まれている。桃の皮をむくよりも、はるかに難しい。カラスと競い合うようにして、柿の熟れるのを待っていた我ら山の子どもは、みんな形を崩さずに見事にむいて食べたものだった。山の幸の濃密な甘味。もう二度と、あのころのような完璧な熟柿を手に取ることはないだろう。往時茫茫なり。なお、この句には、同時にかすかなエロスの興趣もある。『曼珠沙華』所収。(清水哲男)』(解説より)。ちなみに熟柿は「じゅくし」

パスタの茹で加減、特に乾麺においてよく耳にするのが「アルデンテ」。直訳すると「歯において」・・デンテは「歯」です。Wikipediaによると『アルデンテイタリア語al dente)とは、スパゲッティなどのパスタを茹でるとき「歯ごたえが残る」という茹で上がり状態の目安とされる表現』とあり『麺が完全に茹で上がらずに麺の中心が髪の毛の細さ程度の芯を残して茹であげることをいう。芯を残して茹で上げるのは、茹で水の塩分が麺に完全に入らない分辛くならず、ソースも麺に入りやすくなり美味しさが増すからである。”al dente” を直訳すると「歯に~」であり、茹で上がりの「歯ごたえのある状態」を示す用語。パスタ以外にも、野菜などの茹で上がり状態を表現する際にも用いる』とか『なお、「アルデンテは乾麺でなければ成立しない概念であり、生パスタを利用する時はこの概念は適用されない」という勘違いもされているがイタリアでは生パスタもal denteと言う』とのこと。このアルデンテ・・スフォリーノ(の打ったパスタには)には必要ないようです。

画像は鹿児島市のスフォリーノが打ったパスタです。兄弟子の方のブログに『タリアテッレには、アルデンテは不要である。・・・現在の工房で製造するのは幅広のロングパスタ「タリアテッレ」と、詰めものをしたパスタ「トルテッローニ」のみ。ともにボローニャを代表するパスタだ。パスタ打ちにとって最も大切なのは食感。アルデンテでもモチモチでもない。薄い絹のように滑らかな舌触りで、まるで空気のような歯切れの良さを追求した河村さんの手打ちタリアテッレは「パスタの概念が変わる」とも評される』とあります。先日、食べながらこのことを聞いてみると「そうです」とのこと。イタリアではスフォリーノが打ったパスタはアルデンテではないので、離乳食としても食べられているとのこと。ではなぜ「ナイデンテ」なのか?

理由は「プリモピアット」に徹するため。またまた兄弟子(河村氏)ブログに『コース中のプリモ・ピアット。 それがパスタのポジションだ。(中略)「家庭やトラットリアでなら食べ方もある程度自由でしょう。しかし正式なリストランテでは、パスタはあくまでもセコンド・ピアット(メインディッシュ)の前に供されるプリモ・ピアットでしかありません。味覚としても、ボリューム的な観点からも、パスタでお腹いっぱいになってしまってはいけないのです。私にとって、コースの中におけるパスタは、味覚も量も食感も軽めの仕立てに持っていくのが相応しいと考えています」』(ブログより)。スフォリーノ(鹿児島市)がおっしゃるには、アンティパスト(前菜:Antipasto)とセコンド・ピアット(主菜:Secondo Piatto)の間なので、セコンド・ピアットを食べるのに負担にならないように(噛む力や意欲をを温存するために)、じっくり噛まずとも味わえるパスタを目指してますとのこと。お話聞きながら、ふと思いました。パスタの材料は「小麦粉と卵のみ」で砂糖不使用、噛む力の弱い方でも味わえる・・子供から総入れ歯の方まで、まさに老若男女にオススメの一皿と言えます。ムシ歯のリスクはかなり低く、義歯でも味わえる一皿です。

「日あたりや熟柿の如き心地あり 夏目漱石」・・先日、お昼にパスタを頂きました。食後は句のようななんとも言えない満足感と充足感・・是非、御賞味あれ!スフォリーノのインスタグラムは @sfoglinoyoshimoto


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