BBTime 456 一厄息災

BBTime 456 一厄息災:いちやくそくさい
「六月を奇麗な風の吹くことよ」正岡子規

好きな句です。『前書に「須磨」とある。したがって、句は明治二十八年七月下旬に、子規が須磨保養院で静養していたときのものだろう。つまり、新暦の「六月」ではない。旧暦から新暦に改暦されたのは、明治六年のことだ。詠まれた時点では二十年少々を経ているわけだが、人々にはまだ旧暦の感覚が根強く残っていたと思われる。戦後間もなくですら、私の田舎では旧暦の行事がいろいろと残っていたほどである。国が暦を換えたからといって、そう簡単に人々にしみついた感覚は変わるわけがない。「六月」と聞けば、大人たちには自然に「水無月」のことと受け取れたに違いない。ましてや、子規は慶応の生まれだ。須磨は海辺の土地だから、水無月ともなればさぞや暑かったろう。しかし、朝方だろうか。そんな土地にも、涼しい風の吹くときもある。それを「奇麗(きれい)な風」と言い止めたところに、斬新な響きがある。いかにも心地よげで、子規の体調の良さも感じられる。「綺麗」とは大ざっぱな言葉ではあるけれど、細やかな形容の言葉を使うよりも、吹く風の様子を大きく捉えることになって、かえってそれこそ心地が良い。蛇足ながら、この「綺麗」は江戸弁ないしは東京弁ではないかと、私は思ってきた。いまの若い人は別だが、関西辺りではあまり使われていなかったような気がする。関西では、口語として「美しい」を使うほうが普通ではなかったろうか。だとすれば、掲句の「綺麗」は都会的な感覚を生かした用法であり、同時代人にはちょっと格好のいい措辞と写っていたのかもしれない。高浜虚子選『子規句集』(岩波文庫)所収。(清水哲男)』(解説より)。江戸時代、疫病が流行るのは「悪い風・病の風」の仕業だと思われていたようです。今回は「無病息災:むびょうそくさい」ならぬ「一病息災」いえいえ「一厄息災」のお話。冒頭のブロンズ像は中村晋也作「朝の祈り」谷山サザンホールにて

無病息災:病気せず、健康であること。元気なこと。▽「無病」は病気にかかっていないこと。「息」はやめる、防ぐ意。「息災」はもとは仏の力によって災害・病気など災いを除く意。転じて、健康で元気なさまをいう(引用元)。「無病」に掛けて瓢箪六つで「六瓢:むびょう」とし、根付や箸置きなどの意匠として見受けられます。無病に越したことはないのですが「一病息災:いちびょうそくさい」も良しです。意味は「ちょっとした病気のある人のほうがからだに注意するので、健康な人よりもかえって長生きするということ」(引用元)。

New Normal:ニューノーマルとは「新常態、新しい日常」とも訳されます。コロナ後はコロナ前に戻るのではなく新しい日常生活になるとのこと、まさしく「一厄息災」。マスクはまだしも、小まめな丁寧手洗いは生活にとってプラスになること間違いなし。人によって基準はそれぞれですが「不要不急」の行動なしもマイナスではないでしょう。どこにいるのか、誰が保有しているのか、見えないコロナウイルスに対する一人一人の防御は健康にとって明らかにプラスです。喫煙をやめる、糖尿病予防の肥満防止などもプラスです。免疫能を低下させないために「丁寧歯磨き」「定期的な歯のメンテナンス」もニューノーマルに必須の習慣として生活に取り入れてください。

過去(2019/11/24)の天声人語です。『ネアンデルタール人の脳は私たちの祖先と同じくらいの大きさだったそうだ。身体はもっと頑丈でたくましかった。ともに生きていた時代もあったが、3万~4万年ほど前、彼らは地球上から姿を消してしまった▼どうして絶滅したのか。専門家の間では諸説あるというが、筆者には不思議で仕方がない。強い者が弱者を力で倒すこの世界で、勝ち残るのはむしろ彼らのほうではなかったのか▼「じつは生命の歴史をみると、生き残ったのは強者ではなく、変化に適応できる弱者のほうでした」。著書『生き物の死にざま』などで知られる静岡大学教授の稲垣栄洋(ひでひろ)さん(51)はそう教えてくれた▼私たちはつねに未来を意識し、いまを生きている。それを可能にしたのは、弱さゆえに集団性を強め、その過程で仲間が何を考えているのかを「想像する」という力を得たこと。「想像は一人ひとりが異なります。その多様性が生き残りのカギとなったのでは」と稲垣さん▼逆に言えば強い者はその強さのために変化を望まず、多様化しにくい。恐竜もネアンデルタール人も。「強い者が勝つのではない。勝った者が強いのだ」とは元サッカー西独代表ベッケンバウアーの言葉だ▼きょうは「進化の日」。160年前、進化論を唱えたダーウィンが「種の起源」を出版した日にちなむそうだ。環境の変化に適応できない生き物はいつかは淘汰(とうた)されていく。人類も例外ではない。その強くて弱き存在のあすを想像して、しばし謙虚な気持ちとなる。』2019/11/24付天声人語より。

新型コロナウイルスが発覚する直前(2019/11/24)の天声人語です。結びに『環境の変化に適応できない生き物はいつかは淘汰(とうた)されていく。人類も例外ではない。その強くて弱き存在のあすを想像して、しばし謙虚な気持ちとなる』とあります。まさしくニューノーマルとは環境への適応なのではないでしょうか。弱き存在ゆえの「一厄息災」。ご自愛の程、ご歯愛の程。8290

BBTime 455 不安不信病

BBTime 455 不安不信病
「真清水も病みて野をゆく初夏よ」沼尻巳津子

解説に『この季節のさわやか(もっとも「さわやか」は秋の季語だけれど)な「真清水」と「初夏(はつなつ)」との取り合わせ。そこに、作者は病的な照明をあてている。「も」という助詞に注目せざるをえないが、このとき、作者は病身なのだろう。常識を裏切った句というよりも、自分の感性に忠実な句。身体が弱っていると、世の溌溂としたもの全てが疎ましくなる。が、この句。発熱の悪寒から解放されたときのような清々しさも湛えている。不思議な句境だ。なお、考えてみたい。『華彌撒』所収。(清水哲男)』(解説より)。新型コロナウイルスは身体のみならず「心」をも病む病気だと思います。「心が弱っていると、世の溌溂としたもの全てが疎ましくなる」・・不安不信についてのお話。

新型コロナウイルスによって世の中が、未だ右往左往しています。街ゆく人の九割以上がマスクを着け、至る所に透明シートが貼られ・・5/30に梅雨入りした鹿児島の空は拍車を掛けるように気分を重くします。思うに新型コロナウイルス感染症は「不安不信病」に分類されるでしょう。不織布のマスクでもウイルス阻止はできません。インフルエンザもウイルスですが、インフルエンザはほぼ治療法が確立されており、ワクチンもあります。しかし新型コロナは不安です。恐怖の病とまではいかなくとも「不安な病」と言えます。

加えて「不信の病」でもあるように思えます。政府の対応、大臣の発言、議事録を取らない・・など枚挙にいとまがありません。新型なのですから試行錯誤して当たり前だと思いますが、国民の誤解発言とか、アベノマスクのお粗末さなど国民の不信感は募るばかり(少なくとも小生は)。

お相撲さんを始めスポーツ選手の口からよく「心技体」の言葉を聞きます。ウイルス感染すれば「体」が病みます。外出自粛、失職などで「心」が病む人もおられるでしょう。「技」を行動と捉えれば、コンビニや役所の窓口で声を荒げる人の増加も理解できないことはないです。感染していなくても(体が問題なしでも)「心」が病んだり、体も心も健康なのに「技」がおかしくなったり・・。やはりコロナウイルスは上の画像にあるように「見えない悪魔」かも知れません。

しかし悪魔は、あくまでも想像上のモノ。未経験の状況に振り回されるのではなく、今こそ自分の頭で判断し行動すべきだと思いますがね。ご自愛の程、ご歯愛の程。7650

BBTime 454 With C

BBTime 454 With C
「あいまいな空に不満の五月かな」中澤敬子

今朝(5/26)の桜島。雲か靄か灰か黄砂か、曖昧な空です。
昨日(5/25)の今日のダーリンに賛成です。

『いまの「WITH CORONA」の生活様式が、
 辛くてしょうがないとぼやいているのは、
 大人げないし、よくないとぼくも思う。
 しかし、これがなにか天からの大事な警告で
 いままで常識としていた「よからぬ慣習」を
 変えてしまういい機会だとことさらに強調するのも、
 なんだか危ういなぁとも思うのだ。』

『緊急事態宣言が解除されたとしても、
 しばらくは安全のために
 「新しい習慣」を守り続けることになる。
 これは守りましょう、守ります。
 でも、ぼくはこの「新しい習慣」を
 よろこんで受け容れているつもりはない。
 特別な「いま」なので、仕方なくやっているのだ。』

『おおよそ、この「新しい習慣」は
 人に対して失礼なことばかりです。
 「だれかと会うとき、2メートル間を空ける」。
 この人とは近くに寄りたくないという表現と同じです。
 「マスクをして呼気や唾液が当たらないよう注意する」。
 また、「握手やハグなどは避ける」。
 これらも、すべて親しみの逆の表現になりますし、
 一年前にそんな態度の人がいたとしたら、
 ちょっと腹を立てていたかもしれません。』

『人と人とが、親しく距離を近づけるということは、
 大昔から、互いの安心と信頼を確かめ合える
 「うれしい習慣」でもあったわけで、
 それ自体が「よろこび」であったわけです。』

『しかし、感染症が流行したらみんなが、
 じぶんも含めて人間を「感染を媒介するもの」として
 見立てなくてはならないので、
 長い歴史のなかでせっかく獲得できていた
 「信じる」ことをもとにした行動習慣を、
 いったん水に流すという経験をさせられているわけです。
 「不信」を前提に交流したり行動するという
 『新しい習慣」がみんなに求められていたのです。
 そりゃぁ、ストレスもかかるというものです。
 ぼくらは、信じるをもとにして生きたいんですから。』

『今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
コロナの先でもコロナの前でも、生きやすいのがいいなぁ。』

句の解説『いま、苦笑された方もおられるだろう。本当に、このゴールデンウイークは全国的に「あいまいな空」つづきだった。降るのか、このまま降らないのか。空ばかり見る日が多かった。作者も、旅先で仏頂面をしている。常に天気の崩れを気にしながらの旅は、気持ちも晴れないし疲れる。同じ作者に「不愉快に脳波移動す旅五月」がある。手元の角川版歳時記の「五月」の項には、「陽暦では晴天の日が多く、芍薬・薔薇が開き、河鹿が鳴き、行楽やピクニックの好季節」とある。これが、まずは一般的な五月のイメージだろう。引用されている例句も、みな晴れやかで不機嫌な句はない。その意味で、掲句は事実を感じたままに詠んでいるだけだが、五月へのアングルが珍しいと言えば珍しい。こういう句は、案外、晴れやかな句よりも逆に残るのではないかと思ったりした。少なくとも私は、天気の良くない五月の空を見るたびに思い出してしまいそうだ。ところで、気象庁創立以来百二十年の統計を見ると、今日「五月六日」の東京地方の天気は、晴れた日は五十回だが、三十九回が曇りで、後は雨。雷が発生した日も一回ある。晴れの五十回は、これでも五月の他の日に比べて最も多いのだから、今月の東京の「あいまいな空」の日は、漠然と思っているよりも、かなり多いということである。『現代俳句年鑑・2000』(現代俳句協会)所載。(清水哲男)』解説より。

冒頭の句の「五月」をなんと読まれましたか?「ごがつ」がベターかと。五月は「ごがつ」と読むのが良いと「季語の博物誌 工藤力男著」で読みました。ご自愛の程、ご歯愛の程。5880

BBTime 453 要不要

BBTime 453 要不要
「考へがあつての馬鹿を冷奴」加藤郁乎(いくや)

老婆心ながら冷奴はヒヤヤッコです。解説に『冷奴だけではあるまい。句集には並べて「別の顔みせてやらばや冷し酒」とあるから、ちゃんとお神酒がついている。考えがあって、よかれと思って、意図的に馬鹿をやってみせたのではあるが、どうやら誰にもせっかくの意図が通じなかったようだ。本当の分別なし、馬鹿に見られたらしいという憤激の内での冷奴。故意に馬鹿を演じたのだから、みんなから馬鹿にされて本望のはずなのだが、そこがそうはいかないところに人間の辛さがあり面白さもある。誰かその場に一人くらい具眼の士がいて、言わず語らずのうちにわかってくれないと、にわか馬鹿の心はおさまらないのだ。にわか馬鹿の世界は、たいてい義理人情がからんでいる。だから「お前は偉いなあ」と、たとえば目で挨拶してくれるような義理や人情を期待するわけだ。それがそうではなかった。ぷいと、みんなと別れてしまった。で、乱暴な箸を冷奴に突き立てたってはじまらないのに、うーむ、悔しい。どうしてくれようか……。冷奴こそ、いい迷惑である。『初昔』(1998)所収。(清水哲男)』(解説より)。

句の解説文を読んで笑ってしまいました。「どうやら誰にもせっかくの意図が通じなかったようだ。本当の分別なし、馬鹿に見られたらしいという憤激の内での冷奴」(解説より)・・拙宅に昨日(5/24)届いたアベノマスクに繋がりました。はっきり言って「今更」です。かと言って使わないのは勿体無いので回収窓口に送ることにしました(上の画像)。回収(寄付)先はこちらこちらなど。・・枕が長くなりました。今回は「不要不急」について

不要不急を辞書で引くと『さしあたっては必要で無いこと、急いでする必要が無い様子』とあります。不要不急の外出は控えてください・・と言われても、貧乏性の小生など「私の外出には不要不急はありませぬ、全て必要です」と反論したくなります。本日(5/25)には緊急事態宣言が解除されそうですが、解除されたから「不要不急」OKではない事は容易に察しがつきます。結論です・・ムシ歯予防・歯周病予防は考え方によっては「不要不急」なのかもしれませんが必要な事です!

「歯が痛い・歯茎が腫れた」は不要不急ではありません(大方の場合)。しかし、どんな時であっても歯科においては「治療に勝る予防なし」。解除された今こそ、口のメンテナンスに足を運んでください。緊急事態(痛み・腫れ)を回避するためのメンテナンスです、不要不急のようであっても必要なんです!

記事に次のような下りを見つけました。『ブラッシングが健康にもたらす効果を医学的見地から解説。「ウイルスは、周囲をたんぱく質の膜で覆われており、プロテアーゼという酵素なしには活性化しない。プロテアーゼは、口の中で生成されやすいので、ブラッシングが歯周病だけでなく、さまざまなウイルスに対する予防になる」。これは現在、猛威を振るっている新型コロナウイルスも例外ではないという』(引用元はこちら)。

中国語で「要不要:ヤオプーヤオ」とは必要ですか、不要ですか?の意味。歯科においては治療以上に予防(メンテナンス)が必要なんです。最後に朝日新聞折々のことばを。ではまた 5630




おまけ:豆腐がらみの折々のことばです

BBTime 452 しつこい

BBTime 452 しつこい
「外郎たべる五月のゆきどまり」服部智恵子

今春はコロナに始まりコロナに終わりました。気がつくと鹿児島は既に五月下旬、初夏の始まりです。今年2020年には春がなかったような・・。句の解説に『作者は、このもっちりした歯触りの菓子を食べながら、どういう事情からかはわからないが、五月も末になってにっちもさっちも行かなくなった状況に憮然としている。一年十二ヶ月を道に例えれば、いちばん「ゆきどまり」を感じるのは、年末の十二月か決算期の三月あたりが一般的だろう。そこへいくと、五月はすうっと通り抜けやすい感じが強い。だからこそ作者も憮然としているのであるが、しかし外郎を食べているくらいだから、事態はそんなに深刻ではないのかもしれない。歯切れという意味ではいささかもたつく外郎と、清々しい月のイメージからは外れた閉塞感との取り合わせが、どことなく滑稽にも思えてくる。もっともこの句を、あまり理詰めに散文的にパラフレーズすると、かえって味が落ちるような気もする。作者は実景や心情を帰納的に表現したのではなくて、自分のなかで整理のつかない心持ちを「たとえば、こんな感じかなあ」と演繹的に詠んでみたのだと解するほうが面白そうだ。そういう詠み方も、無論あってよい。『褻と晴と』(2003)所収。(清水哲男)』(解説より)。

老婆心ながら「憮然」について・・本来の意味は「意外なできごとに、呆然(ぼうぜん)とする様子、ぼんやりする様子」です。必ずしも不機嫌ではありません。さて今回は「しつこい:いつまでもつきまとわれて耐え難く思う様子」について。

去る冬、コロナ禍の始まりには「暖かくなれば収束する」とも言われていましたが、さにあらず。初夏になろうとする今「コロナと共に:With Corona:ウイズ コロナ」と言われ始めました・・しつこい!記事に『「新しい生活様式」が提唱されるなど、影響の長期化も懸念されています。そうした中でいま注目されている考え方が、「withコロナ」の社会。新型コロナウイルスと“共に生きる”ことを前提に、私たちの暮らしのかたちそのものを、変えていこうというのです。「withコロナ」の新しい社会へ、どう変わり、どう生き残っていくのか』とあります(出典はこちら)。しつこいコロナウイルスと共に生きる・・withCorona・・閉塞感です。コロナはさて置き、口の中の「しつこい」に話を進めます。

今更ながら『なぜムシ歯になるのか?」の興味深いイラストを見つけました。口の中の「しつこい」がムシ歯を発生させます。「バイオフィルムの形成とう蝕の発症メカニズム」のページから引用します。
1)歯の表面、歯肉溝(しにくこう)、歯周ポケット内セメント質表面に、糖タンパク質や静電気などによって0.1~1μmのペリクルを形成します。これは防ぐことはできません。

2)ペリクルは歯の表面を守る機能も持っていますが、同時にムシ歯菌などを引き寄せる性質も持っています。ペリクルを足掛かりに菌が付着し初期プラークを作ります。

3)初期プラークに、ムシ歯菌を始め雑多な菌が増殖することでマイクロコロニへと成長します。そこに砂糖が供給されるとムシ歯菌がグルカンを作ります。このグルカンが「しつこい」のです。粘着性が強く歯の表面にとどまり、マイクロコロニはより頑固なバイオフィルムへと変貌していきます。このバイオフィルムの中で砂糖を餌にムシ歯菌が酸を作り、その酸で歯が溶かされていくのです。

4)バイオフィルムは言わばバリヤを持っており、抗菌薬(抗生物質)や殺菌・消毒薬などは効きません。このため食べ物に含まれる砂糖を餌にさらに酸生産を続け、ムシ歯を深くして行きます。

・・しつこい話です。このしつこいバイオフィルムを取り除くには、薬液が効きませんので物理的に除去するしかないのです。そうです、ブラシで磨くしかないのです。さらにしつこいようですが、皆様が使っている歯磨き粉はほとんどバイオフィルム除去にプラスにはなっていないのです。BBTime437「鰯の頭も!」ご参照のほど。

唯一確実な方法があります。それは「砂糖を摂らない」こと・・最も効果的ですが、最も非現実的です。歯の健康、ムシ歯予防においては「with 砂糖」・・砂糖と共に「スイーツとともに」で行きましょう、生きましょう、が現実的でしょう。

30秒以上の手洗いが推奨されます。歯磨きはせめて三分以上、日に一回は五分以上は必要です。三分以上磨くためには歯磨き粉なしで「唾液磨き」をオススメします。「しつこい」を辞書で引くと『味などが濃すぎて、いつまでも不快な感じが口に残る様子だ。しつこい味』(新明解国語辞典)とあります。甘い味を楽しんだ後の歯の表面はまさに「しつこい味」。諦めて頂いて磨くより他ないようです。



冒頭の句の解説になぜ外郎をういろうと読むのか・・『名前の由来を、老舗「青柳」のHPより引いておく。「およそ600年前の中国が元の時代、礼部員外郎(れいほうえんういろう)という薬の調達をする官職にあった陳宗敬(自ら陳外郎と称した)が、日本に帰化し、せきや痰に効く薬を伝えた。その子宗奇は室町幕府三代将軍の足利義満に招かれこの家伝の薬を作り「透頂香」あるいは「ういろう」と呼んだ。また、客を接待するためにお菓子の製法も伝えたが、それが黒色・四角で「透頂香」と似ていたところからお菓子の方も「ういろう」と呼ばれるようになりました」』(解説より)。こちら「外郎外伝」もどうぞ。4670

BBTime 451 ユーモア

BBTime 451 ユーモア
「目には青葉尾張きしめん鰹だし」三宅やよい

どこかで聞いたような・・『思わず破顔した読者も多いだろう。もちろん「目には青葉山時鳥初鰹」(山口素堂)のもじりだ。たしかに、尾張の名物は「きしめん」に「鰹だし」。もっと他にもあるのだろうが、土地に馴染みのない私には浮かんでこない。編集者だったころ、有名な「花かつを」メーカーを取材したことがある。大勢のおばさんたちが機械で削られた「かつを」を、手作業で小売り用の袋に詰めていた。立つたびに、踏んづけていた。その部屋の写真撮影だけ、断られた。いまは、全工程がオートメーション化しているはずだ。この句の面白さは「きしめん」で胸を張り、「鰹だし」でちょっと引いている感じのするところ。そこに「だし」の味が利いている。こういう句を読むにつけ、東京(江戸)には名物がないなと痛感する。お土産にも困る。まさか「火事と喧嘩」を持っていくわけにもいかない。で、素直にギブ・アップしておけばよいものを、なかには悔し紛れに、こんな啖呵を切る奴までいるのだから困ったものだ。「津國の何五両せんさくら鯛」(宝井其角)。「津國(つのくに)」の「さくら鯛」が五両もするなんぞはちゃんちゃらおかしい。ケッ、そんなもの江戸っ子が食ってられるかよ。と、威勢だけはよいのだけれど、食いたい一心がハナからバレている。SIGH……。『玩具帳』(2000)所収。(清水哲男)』(解説より)。今回は「ユーモア:humor」について。

先日(5/13)日経新聞「春秋」に見つけました、お見事!
さて日本のみならず、欧米各国、韓国、中国など「解除」に動き出しました。コロナ禍あと(ポストコロナ)では、コロナ前に戻るのではなく「New Normal:新しい日常」へ移行すべき、移行しましょうとの空気です。賛成です。そこで必要なひとつが「ユーモア」であるような気がします。笑いではなくユーモア・・シンプルに考えるにユーモアとは思いやり・尊敬(リスペクト)。

時に笑いは「虐」を含みます。以前、漫才などの「お笑い」によく見受けられました。(虐:ぎゃくはギャグのネタなり?) かたや落語の笑いには「虐」をほとんど感じません。最後まで「笑い」のない落語、場面によっては「泣けてくる」落語、「泣き笑い」の人情噺があるのも頷けます。笑いの中でもユーモアに近いのが落語なのかも。マスクを着けるのも思いやり、手を洗うのも思いやり、最前線でリスク背負って働く方にも思いやり・・・

朝日新聞「折々のことば」に有るようにユーモアは「理性の微笑」。笑いは自己免疫力をアップします。ユーモアは相手の免疫力までアップさせると思います。ただし、ユーモアには、笑いよりもワンランク上のセンスが必要な気もします。

画像は浅葱:あさつき。「味噌・醤油・塩・酢・浅葱・初鰹」瀬戸正洋(せとせいよう)・・俳句です。本「食の一句」には『調味料、そして薬味、初鰹。単語の羅列だけでできた句。たとえば映画のカメラが台所を撮影しているような感覚がある。味噌を映し、醤油を映し・・・と来て、最後は初鰹をクローズアップ。本当は鰹に添えたさまざま調味料を描写したのかもしれないが、(後略)』(82頁より)。ユーモアは日々の調味料・・・あなた(他人)に、もっと! You more. 4000



おまけ
「新しい日常の新しい常識」
コロナでもタダでは起きぬ!

BBTime 450 トライ

BBTime 450 トライ
「あるけばきんぽうげすわればきんぽうげ」種田山頭火

山頭火は、どのような心持ちで一歩一歩放浪したのでしょうか。解説には『山頭火のファンには、圧倒的に女性が多いという。男でなければなし得ぬ「放浪」に、ほとんどフィクションに近いロマンを感じるためではなかろうか。昭和七年(1932)五月、下関に向かう道での句。どこまでもつづく金鳳花の道に、作者は旅にある喜びを全身に感じている。「人間が天然のドラマのなかに繰り込まれている」(金子兜太)ようだ。美しい句である。と同時に、山頭火は当然(大地主の息子ではあったが、農村の出だ)この季節が農民繁忙のときと知っており、この句に添えて「五月は物を思ふなかれ、せんねんに働け、というやうなお天気である、かたじけないお日和である、香春岳がいつもより香春岳らしく峙(そばだ)つてゐる」と書いている。「かたじけない」とは、天に感謝する思いもあるが、この好天に身を粉にして働いている人々に対する気持ちも込められているはずだ。『定本山頭火全集』(春陽堂書店)他に所収。(清水哲男)』(解説より)。

昨年秋のラグビーワールド杯が、遠い遠い過去のように思えます。毎日読むコラム:ほぼ日の「今日のダーリン」にトライについての文章がありました、同感です。

ご存じの方も多いでしょう、もともとラグビーのトライは、文字通り挑戦権を得る手段でした。こちらには『この“トライ”というのは、どういう意味なのでしょうか。英語に直せば“Try”。つまり、“挑戦する”という意味の“トライ”です。「そんな単語、中学生でも知っているよ」と言われそうですが、ではラグビーのトライとはいったい何に挑戦するのでしょうか。  昔はトライをしても得点にはなりませんでした。そのあとのキックを決めれば勝ちというルールでした。つまり、トライというのは、勝ち負けを決めるキックに挑戦する権利を獲得したということだったのです。“トライを取る”と言いますが、まさに“キックをする権利を獲得する”という意味だったのです。現在のルールだけで考えますと、トライが何に挑戦するのかはわかりにくいかもしれませんが、昔のルールで考えますとすぐにわかります。  ですが、苦労して苦労してやっと取ったトライも、キックをはずせば元の木阿弥。例えば10トライノーゴールと1トライ1ゴールでは、後者が勝ちとなるわけですが、これではおもしろくないということになり、トライにも得点が与えられるようになったのです。  もちろん、はじめの頃は、キックの方が点数が多く、重要視されていました。その後、段々とトライの魅力が勝り、いまではトライ5点、コンバージョンキック2点となったのです』(引用元)。

昔、フルマラソンに参加した時に唯ひとつ「絶対歩かない完走する」を目標としました。目標は達成できたのですが、沿道のおばちゃんからは「もっと早よ走らんか!」の声援。その方の目には「走っているのではなく歩いている」ように映ったのでしょう。速度はともかく、歩かずに完走できました。仮に、途中で立ち止まり歩いたら、その時点でフルマラソン即「失敗」でしょうか?即「リタイヤ」ですか?・・違いますよね。次の瞬間、また走り始めてゴールするプロ選手もいらっしゃいます。即「失敗」と判断するのは違うような気がするのです。

コース途中では「失敗も成功も」ないと思います。ノーサイドまで、それぞれトライし、もしくはトライしようとして、結果的に点数の多い方が勝ちです。今朝(5/11)の天声人語に『▼検査の数が少なすぎるとの批判に耐えられなくなったのだろう、厚生労働省は先日、熱が4日続くまで待たせるという従来の目安を撤回した。しかし検査が受けられず苦しんだ人への釈明もなければ、検査数が増えない理由も明確に語らない。「謝ったら負け」のゲームを見せられているようだ▼検査は実態をつかみ、手を打つためにある。患者を増やさないための関所ではない。そう考えを改めてくれたのなら、いいのだが。』とあります。失敗とか謝るとか・・そうじゃないでしょ!違うでしょ!と思います。リーダーはもちろんのこと、人それぞれも「ゴール」を見据え、ゴールにたどり着くまでは何度でも「試行錯誤」可能な空気がもっと欲しいと個人的には思います。数年前のNHKラジオイタリア語会話のモットーは「Sbagliando s’impara!」「スバリヤンドシンパラ=間違えながら学ぶ」でした。「新型」コロナウイルスです、未知のウイルスです、試行錯誤が近道のような気がします。2330


BBTime 449 笑の素

BBTime 449 笑の素
「母の日のてのひらの味塩むすび」鷹羽狩行

櫂未知子著「食の一句」に『・・海苔も巻かず、米と塩だけを供する塩むすびはまさしく家庭の味。かつての母達は、おなかをすかせた子供達のためにさっとおむすびを作ってくれた。贅沢とは無縁だった古き日本の母親達は、その<てのひら>から素朴な、しかし間違いなく美味しいものを生み出してくれた。子が母を信頼するのは、理屈ではない。空腹を満たしてくれたかどうか、である』(82頁より引用)。前回「笑う力」に続き、笑いの素について。

母の味の素は「てのひら」かも知れません。さて、あなたにとっての「笑の素」は?小生の「笑の素」は落語です。時に「入れ歯」の出てくる演目に出くわします。今回「入れ歯比べ」がでてくる落語を見つけました。五代目古今亭今輔師匠の十八番(おはこ)「お婆さんの縁談」・・詳しくはじっくりお聴きください。四十過ぎで今輔を名乗るまでは極貧生活、柳家金語楼さんのアドバイスをきっかけに「新作落語」に転向しブレーク、加えて生来の上州訛りを克服したとのこと。味深い落語家の芸には、その方の育ちや経歴が染み出しているように思えます。聴いた後、笑いの後にじわっと心温まるのはそのせいでしょうか。拙ブログ「ショーシャンクとお婆さん」でも今輔師匠の落語に触れております、ここでの演目は「青空お婆さん」。

「笑の素」は人それぞれで、色々な素があるでしょう。小生にとって落語の不思議さは、全くおんなじ演目を聴いても同じように笑えることです。二回目は初回の八割、三回目はさらに八割・・なんてことはありません。何度聴いてもその都度十割の笑いです。落語初心者の方には是非「動画付き」での鑑賞をお勧めします。やはり落語は噺家の表情・動作(所作)あっての十割です。音声だけではやはり八割・・ただしYouTubeには音声だけのものもありますので、まずは動画付きで基本的な動きを心得てください。そうして音声だけのアップを聴く際には「動作」をイメージしながら楽しんで頂くと深く味わえます。オマケでコロナ感染防止の鹿児島弁動画をアップ・・鹿児島県民には受けると思います(笑)。では今輔落語をお楽しみください!その笑いは、まさしく「塩むすび」のような味わいです。0780



BBTime 448 笑う力

BBTime 448 笑う力
「春愁の中なる思ひ出し笑ひ」能村登四郎

世の中が無事であっても桜が散ると「春愁:しゅんしゅう」なのに、今年は・・溜息。句の解説には『春愁とは風流味もある季語だが、なかなかに厄介な感覚にも通じている。その厄介さかげんを詩的に一言で表せば、こういうことになるのだろうか。手元の角川版歳時記によれば、春愁とは「春のそこはかとない哀愁、ものうい気分をいう。春は人の心が華やかに浮き立つが、反面ふっと悲しみに襲われることがある」。国語辞典でも同じような定義づけがなされているけれど、いったい「春愁」の正体は何なのだろうか。精神病理学(は知らねども)か何かの学問のジャンルでは、きちんと説明がついているのだろうか。とにかく、ふっと「そこはかとない哀愁」にとらわれるのだから、始末が悪い。そういう状態に陥ったとき、最近はトシのコウで(笑)多少は自分の精神状態に客観的になれるので、自己診断を試みるが、結局はわからない。作者のように「ものうさ」のなかで思い出し笑いをするなどは、もとより曰く不可解なのであり、それをそのまま句にしてしまったところに、逆説的にではなく、むしろ作者のすこやかな精神性を感じ取っておくべきなのだろう。少なくとも「春愁」に甘えていない句であるから……。『有為の山』所収。(清水哲男)』(解説より)。

先日「免疫力アップ」の記事を読みました。記事「作り笑いでもOK、笑顔で免疫力アップ! 新型コロナの不安払しょく」です。記事には『(1)暗い顔だと免疫力が落ちて感染しやすくなる (2)作り笑いでも免疫力アップに効果がある (3)鏡と向き合って大いに笑いましょう』とあります。『まず「NK活性」です。NK活性とは、がん細胞を攻撃して破壊することのできるNK細胞の働きの強さのことをいいます。笑う前にNK活性が正常範囲より低かった5人は笑うことで、正常範囲かそれ以上に上昇しました。正常範囲にあった5人のうち4人も上昇。正常範囲より上の残りの人は、上がったり下がったりでした。いずれにしろ、笑いにはNK活性を増強する作用があることがわかりました。』

『さらにもう一つ、面白い実験をしています。6人の学生に表情だけの笑顔を2時間続けてもらい、前後で免疫力を調べたのです。その結果、笑顔をつくるだけでもNK細胞の働きが活発になったというのです』(記事より)。

そうなんです!作り笑い、思い出し笑いでも免疫力はアップします。今、多くの方が外出の際にマスクされてます。どうぞ、マスクで見えませんから遠慮なく、思い出し笑い、作り笑いしてください。笑うこと笑顔を作ることで、免疫力はアップしますし、「口角:こうかく」も挙がります。まさしく口角アップトレーニング、スマイルトレーニング!マスク不要になった時、あなたの地顔は今まで以上に「笑顔美人」になっていること間違いなしです。笑う力をアップすることが、免疫力をあげ地顔もアップ。やらない手はないと思います。笑いの原型は「安堵」と聞きます。希望を持つことは安堵に繋がります。次の画像は朝日新聞「折々のことば」・・

「8時だョ!全員集合」はオンタイムで観てました。荒井注が抜け、志村けんが参加した時もしっかり観てました。心よりご冥福をお祈りいたします・・合掌 9180


BBTime 447 哲学の時

BBTime 447 哲学の時
「緑なす松や金欲し命欲し」石橋秀野

句の解説は『誰にでも、季節は平等にめぐりくる。が、受け取り方は人さまざまだ。病者にとっては、とくに春のつらい人が多い。中途半端な気温、中途半端な自然の色彩。あるいはそこここでの生命の息吹きが、衰えていく身には息苦しいからである。そんな心境を強く表白すれば、この句のようになる。この句を読んで、誰も「あさましい」などとは思わないだろう。今年も、元気者だけのための「ゴールデン・ウィーク」がやってくる。(清水哲男)』(解説より)。

毎日の流れるニュースの八割以上が「コロナ禍」です。各国の為政者が言います「人命か、経済か」。建前は「人命第一」であると述べる言葉の裏に「経済はどうするんだ?」という本音が見え隠れしています・・これは難題です。

経済:この言葉の由来は「経世済民」で、その意味は『經世濟民(けいせいさいみん、経世済民)は、中国古典に登場する語で、文字通りには、め、ふ:よををさめ、たみをすくふ」の意。「経国済民」(けいこくさいみん)もほぼ同義である。略して「經濟」(けいざい / 経済)とも言うが、主として英語の「Economy」の訳語として使われている今日の「経済」とは異なり、本来はより広く政治統治行政全般を指示する語であった』(Wikipediaより)とのこと。至難の技ですが本来は「命もお金も」どうにかするの意味なんです。しかし時代とともに、次第に「経済」の意味が変化して行きます。

再びWikipediaより引用『しかし江戸後期に入って次第に貨幣経済が浸透すると「經濟」のなかでも「社会生活を営むのに必要な生産・消費・売買などの活動」という側面が強調されるようになっていった。海保青陵は、自著で専ら現在と同じ意味で用いており、これは「経済」という語の早い例である。ただ青陵によると、当時の大坂で「経済家」といえば、治政一般ではなく「金銀の事」に詳しい者を指したと言い、大坂商人の間では現代的な用法は既に常識的だったようだ19世紀前半の正司考祺経済問答秘録』に「今世間に貨殖興利を以て經濟と云ふは謬なり」とあるように、(考祺は批判的に指摘しているものの)今日の用法に近い「經濟」が普及していた』(Wikipediaより)。その後「economy」の訳語として使われ始め、次第に『本来の「経済」の語に含まれていた「民を済ふ」という規範的な意味は稀薄となった』とのこと。

前回「本日誕生日」でバーバパパについて触れました。気が付いたことが・・バーバパパと「シュークリームのビアードパパ」は言葉としては同じで、フランス語と英語の違いです。ちなみに『日本語版での綴りは英語風に「バーバパパ」となっているが、仏語圏では、強いてカナ表記すれば「バルバパパ」という具合に r を発音する。仏語で Barbe à papa は元来「パパのひげ」のことで、転じて「綿菓子」をも意味する。このキャラクター名は、「綿菓子」と「パパ」の2語をかけたもの』(Wikipediaより)です。バーバパパは姿かたちを自在に変えて問題を解決し難局を切り抜けます。よって人々から愛され歓迎されます。

そこで難題難問ですが・・「命か、お金か、人ごとか」。答えはその方の立ち位置・ポジション(職業など)でそれぞれでしょう。正解はないでしょうが、参考にすべきは「バーバパパ」自在に形を変える・・レストランがテイクアウトに切り替える、ネットを活用する等々。職種によっては到底無理な仕事もあるでしょう・・勝手に無責任な思いつきがあります。プロ野球・Jリーグ・大相撲などプロスポーツも大変です・・そこで無観客開催し、勝敗を「賭け」の対象とするのはいかが?観客は入場料の代わりに「掛け金」として支払う、予想が当たればわずかばかり「返金」あり。千円のチケットで三百円くらいでしょうか?残りの掛け金収入は大相撲ならば大相撲協会の収入として力士にはお金は行かない。プロ野球であれば各球団に配分され、もちろん選手にはびた一文も行かない。試合はネットで無料配信する・・結果、人は動かずともお金は動く・・などのアイデアいかがでしょうかね。先日「万馬券」のニュース見て思いました。

イラストをご覧ください、パパがピンクでママが黒です。原作者が日本人ならあり得ない色使いです。既成概念や前例にとらわれず、柔軟な頭で難局を少しでも切り抜ける方法を、国民全員で考える時だと思います。それぞれの物差しや考え方に立って深く「哲学の時」なのではないでしょうか。8980



追加:朝日新聞「折々のことば」に見つけました。