BBTime 675 純化

「白菜やところどころに人の恩」阿部完市

2025/01/20大寒投稿
あっという間に今月も十日余り。句の解説は『なんだろうね、これは。どういう意味なのか。阿部完市の句には、いつもそんな疑問がつきまとう。でも、疑問があるからといって、答えが用意されているような句だとも思えない。そういうことは、読み下しているうちにすぐにわかる。そのあたりが、好きな人にはこたえられない阿部句の魅力となっている。この白菜にしたところで、どんな状態の白菜なのか。作者は何も説明しようとはしていない。要するに、単なる「白菜」なのだ。「人の恩」についても同断である。そこで妙なことを言うが、この句の面白さは「ねえねえ、白菜ってさァ、見てるとさァ、だんだんこんな感じになってくるじゃんよぉ……」という女子高生みたいな口調の感想に集約するしかない、そんなところにあるのだと思う。白菜か白菜畑か、見ているうちに作者はふと「人の恩」というものに、たしかに白菜に触発された格好で思い当たったのだ。その確かさを、直裁に読者に伝えようとしている。同じ冬の野菜でも、対象が大根や人参であったとしたら、たぶん「人の恩」には行きつかなかっただろう。……などなどと、読者に数々の素朴な疑問を生じさせておいては、結果的には句のようであるとしか思わせない説得力が、一貫して阿部句の方法の中核にはある。『阿部完市全句集』(1984)所収。(清水哲男)』(引用元)。今回は断捨離の真髄について。

南洲寺住職「焔恵和尚」筆(えんけい和尚、鹿児島市)。毎年干支色紙を描かれます。私ごとながら昨年夏引っ越しました。その際勘弁してと言いたいくらいの「断捨離」・・ふと思いました。断捨離とは「捨てる」ことではなく「絞り込むこと」「集中すること」言い換えれば「夢中になること」一言で言えば「純化:じゅんか」であると。純化の過程で当然ながら「断つ」「捨てる」「離れる」など行います。和尚の解説を読んで意を強くしました。

「何かひとつ夢中になる」・・まさにこれぞ断捨離の極意・真髄でしょう。先日、博多西中洲で大学時代の友人と飲みました。お互い還暦を過ぎた今、異口同音に「これからはやりたいことをやる!」時に「坐禅の時は煩悩を捨てよ」などと耳にします。実際に坐って「頭の中を空(から)」にすることは至難の業で、ひとつのことだけを集中して深く深く考えることの方が可能です・・これも純化

今の世、あまりにも「モノやコトや情報」が溢れ返っています。小生は二十歳過ぎた頃、テレビ捨てました。八年ほど前に車を手放しました。テレビ捨ててラジオを拾い、車を手放して歩きを手にしました。次に捨てるものは?手放すものは?行動規範を「純化」に照らし合わせれば答えは自ずと出るでしょう。では皆さま、ご自愛の程ご自愛の程。

BBTime 674 口の悦び

「風呂吹にとろりと味噌の流れけり」松瀬青々

2025/01/04投稿
 謹賀新年 今年もよろしくお引き立ての程。目にしただけで美味しそうな句です。解説は『句も上手いが、この風呂吹大根もいかにも美味そうだ。「とろりと」が、大いに食欲をそそってくる。あつあつの大根の上の味噌の色が、目に見えるようである。松瀬青々は大阪の人。正岡子規の弟子であった。大阪の風呂吹は、どんな味噌をかけるのだろうか。東京あたりでは、普通は胡麻味噌か柚子味噌を使うが、生姜味噌をかけて食べる地方もあるそうだ。私は柚子味噌派である。いずれにしても、大根そのものの味を生かした料理だけに、子供はなかなか好きになれない食べ物の一つだろう。大人にならないと、この深い味わい(風流味とでも言うべきか)はわかるまい。ところで、「風呂吹」とは奇妙なネーミングだ。なぜ、こんな名前がついているのか。どう考えても、風呂と食べ物は結びつかない。不思議に思っていたところ、草間時彦『食べもの歳時記』に、こんな解説が載っているのを見つけた。「風呂吹の名は、その昔、塗師が仕事部屋(風呂)の湿度を調整するために、大根の煮汁の霧を吹いたことから始まるというが、いろいろの説があってはっきりしない」と。『妻木』所収。(清水哲男)』(引用元)。初投稿は「口の悦び」について。

画像は朝日新聞コラム「折々のことば」2024/12/31です。ご覧の通り、同感大賛成。以前「最後の晩餐」に書いております、こちらもどうぞ。お分かりの事とは思いますが、どうぞ「口と足」だけは日頃からメンテナンスして機能を守ってください。

「生きた唇」・・素晴らしい!だからこそ「ご馳走、お喋り、接吻、笑い、歌と、人の幸は口に集中する」のです。「幸」を存分に味わうためにも「口と歯」のお手入れをお願いします。必要な時にはアシストいたします。「歯ハ、磨イテモモラウモノ」 皆様、ご自愛の程ご歯愛の程

BBTime 673 ゆく歳

「うつくしや年暮れきりし夜の空」小林一茶

2024/12/31大晦日投稿
 2024年も今日で終わり、画像は今朝のお姿(桜島)です。句の解説『今年1998年は、一茶に締めくくってもらおう。ここまでくれば、ジタバタしてもはじまらない。一茶とともに、夜空でも眺めることにしたい。ただ、ミもフタもないことを言っておけば、一茶の時代は陰暦の大晦日だから、二カ月ほど先の空を詠んでいる。そろそろ梅も咲いているかもしれぬ早春の夜空だ。だから、相当に今夜とは雰囲気は異なるが、押し詰まった気持ちには変わりはないのである。古句で締めたついでに、鎌倉末期から南北朝に生きた兼好法師の『徒然草』より大晦日の件りを引用して、今年度の『増殖する歳時記』の本締めとしたい。ご愛読、ありがとうございました。「晦日(つごもり)の夜、いたう闇(くら)きに、松どもともして、夜半(よなか)すぐるまで、人の門たゝき走りありきて、何事にかあらん、ことごとしくのゝしりて、足を空にまどふが、暁がたより、さすがに音なく成りぬるこそ、年の名残も心ぼそけれ。亡き人のくる夜とて玉まつるわざは、この比(ころ)都にはなきを、東(あずま)のかたには、なほする事にてありしこそ、あはれなりしか」。(清水哲男)』(引用元)。今回は今日大晦日の毎日新聞「余録:よろく」のご紹介。

【い】犬も喜ぶ50-50【ろ】露朝の盟約、世界の迷惑【は】はて、夫婦別姓は?【に】日常になった異常気象【ほ】保護司の献身支えねば【へ】紅こうじにレッドカード【と】動画も積もれば票となる【ち】賃上げ中小悲鳴上げ【り】理不尽な客お断り【ぬ】抜け出せぬ原発の沼【る】ルールそこのけ選挙妨害【を】折り鶴の願い届いたノーベル賞【わ】忘れない世界のタクト【か】ガザの子らへぬくもりを【よ】よみがえるトラのどう喝【た】大逆風に安倍散るドレン【れ】連結外れ、こまち困った【そ】空でピアノが弾けたかな【つ】月の裏側行っチャイナ【ね】寝耳に水原【な】南海も備え確認を【ら】ライド、シェア伸びず【む】無罪でも時は戻らず【う】雲散無常の石破カラー【ゐ】インテルまいってる【の】ノートルダムの鐘再び【お】お酒の技に世界が乾杯【く】「黒い雨」に晴れ間【や】やりで射止めた金メダル【ま】真っ黒なホワイト案件【け】下克上ハマの番長【ふ】富士山隠したインバウンド【こ】コメ不足にもほどがある【え】炎上機、奇跡の脱出【て】「手取り増」で議席増【あ】アサド後に朝は来るか【さ】サンタ苦労す物価高【き】金利あるのに放漫財政【ゆ】尹(ユン)殿、ご乱心【め】メガへ加速ホンダ日産【み】右へ右への欧州選挙【し】SHOGUNに軍配【ゑ】AIにも愛を【ひ】漂流するプラごみ条約【も】もぬけの空の貸金庫【せ】政治資金寄生法【す】スターの輝きドロンと消えず【京】きょうの祈り能登の明日へ

これも今朝大晦日の空です。いろいろなこと悲喜交交あった歳でした。果たして来る歳は?無事とは言いませんが、穏やかな歳になってほしいと思います。では皆様、ご自愛の程ご歯愛の程

追加:過去の「余録」はこちらを。

BBTime 671 アイデイア

「福助の頭は空つぽや十二月」小泉八重子

2024/12/07投稿
 師走に入り早一週間経ちました。まさに「看々臘月尽:みよみよろうげつつく」。句の解説『福助人形。「福助足袋」の広告で有名になったキャラクターだが、元来は江戸期より幸福招来の縁起ものとして、水商売の店などに飾られていた。句では、師走の正月用意の一つとしての足袋購入が意識されており、水商売のイメージはないと思われる。それにしても「福助」の頭の中が「からつぽ」とは、意表をついた発想だ。私など、一度もそんなことを思ったこともない。でも、言われてみると、なるほど「からつぽ」みたいに見えてくるから妙だ。頭が大きいので、なおさらである。もしも「福助」と話す機会があったとしても、どんな話をしたらよいのか、見当もつかない。そんな感じがしてくる。とにかく不思議なセンスで書かれた句ではあるが、 十二月とのマッチングが愉快だ。ちなみに、天下に「福助」キャラクターを有名にしたのは、大阪の川柳作家であった広告文案家の岸本水府である。この人は後に「グリコ」でも活躍し、「コドモハカゼノコ グリコノコ」「オザウニイハヘ グリコモイハヘ(お雑煮祝え、グリコも祝え)」などのコピー(豆文)を書いている。このあたりについては、田辺聖子著『道頓堀の雨に別れて以来なり』(中央公論社・1998)に詳しい。『遠望』(1989)所収。(清水哲男)』(引用元)。タイトル「アイデイア」:アイディアを逆から読んでも「アイディア」・・これがアイデアとある本にありました。今回は毎日なのに「ほぼ日」の今日のダーリンから。

「よく思うのだけれど、とにかく「アイディア」なんですよ。
 いろんなむつかしいことも、おもしろくないことも、
 困ったことも、あらゆる場面で、アイディアが足りてない! 
 じぶんの関わっていることでも、そう思うし、
 あちこち見渡しても、「アイディアがないからだ」と思う。
 そりゃね、金がないとか時間がないとか人手がないとか、
 他にもありますよ、足りないものは。
 それにしても、「じゃぁ、アイディアはあるのか?」です。

 アイディアが商売じゃないという人にも、
 ほんとはアイディアがあったほうがいいし、
 アイディアがなにかを変えるもののはずです。」

「「こうすればアイディアが出ますよ」という本やら、
 講座なんかもたくさんあるのは知ってます。
 昔も今も、アイディアの大事さはさんざん言われてきたし、
 どうすればいいかについての方法も、
 ほとんど、すでに語られてきているとも言えるんですよ。
 あっちのものとこっちのものを、組み合わせるんだとか、
 ちがった角度から見てごらんだとか、ずっと言われてる。
 それは、みんな読んできたか聞いてきたと思うよ。
 でも、絶対的に、世界中にアイディアの質量が足りてない。

 どうしてか?」

「アイディアを出そうとする機会が少なすぎるからだ。
 ぼくは、そう考えるようになったんです。
 たとえば、サービス業の人だったら
 「いつも微笑んでる」なんて当たり前でしょう? 
 そうでない人もいるけど、よく微笑んでますよね。
 運転をしている人だったら、長時間、500キロくらい
 ずっと平気で運転してるじゃないですか。
 逆に、ちょっと微笑んで休んでまた微笑むとか、
 10キロ運転して休んで翌日また10キロ走るとか、
 そんなんじゃダメだってわかってるんですよね。
 だけど、そんなふうに「いつも微笑んでいる」ように、
 「いつもアイディアを出そうとしている」人が、
 あんまりいないんだと思うのです、私見ですが。
 おまえら(つまりわたくしも)、サボってるぞ。
 アイディアはとりあえずの原料費が無料だしね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
たいしたことなくても、小さくても、とにかく出すこった。」

この方も仰ってます。
「ほとんどの人は十分な時間やエネルギーをかけていない。」
Most people just don’t put in the time or energy to get there.
『何か問題を解決しようとしたとき、最初に思いつく解決方法は非常に複雑なので、ほとんどの人はそこで考えるのをやめてしまう。ここでさらに考え続け、問題を胸に抱き、タマネギの薄皮を剥き続ければ、しばしば、非常にエレガントでシンプルな解決策に到達できる。ほとんどの人は十分な時間やエネルギーをかけていない。」(ビジネスに効く10の言葉より)』

小生オススメの本、原著初版は1940年に出ております。過去にもタイトル「アイディア」で書いております、こちらもどうぞ。では、師走は名の通り走っております、足元にお気をつけて。皆様ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 668 浸透圧

「いちまいの皮の包める熟柿かな」野見山朱鳥

2024/11/02投稿
 鹿児島市は日によっては暑く未だ秋ではなく晩夏です。秋は来るのでしょうか。句の解説『掌に重い熟した柿。極上のものは、まさにこの句のとおり、一枚の薄い皮に包まれている。桃の皮をむくよりも、はるかに難しい。カラスと競い合うようにして、柿の熟れるのを待っていた我ら山の子どもは、みんな形を崩さずに見事にむいて食べたものだった。山の幸の濃密な甘味。もう二度と、あのころのような完璧な熟柿を手に取ることはないだろう。往時茫茫なり。なお、この句には、同時にかすかなエロスの興趣もある。『曼珠沙華』所収。(清水哲男)』(引用元)。今回は本来の意味とは異なりますが「浸透圧」について。

本題に入る前に御報告ひとつ。前回「湯島通れば」に書きました・・ご家族と話す機会があれば「お母様の好きな歌手は?」と聞きます。ある時は「お富さんです、母の名前がトミ子ですから」でした・・訪問診療行ってきました、この唄を自信たっぷりにかけました。この高齢女性、予備検診時には「なにも困っちゃおらん」「誰が歯医者を頼んだ?」「息子が歯医者を呼ぶはずがない」など、取り付く島もない反応。ということで息子さん同席で診療開始。お二人(母と息子)のやりとりはまさに漫才、さすが息子さん。お母様のネガティブ発言にもうまく対応されてます。2回目の開始に「お富さん」流したところ、歌詞が「・・死んだはずだよ お富さん・・」すぐさま「わたしゃ生きてるよ!」とお母様も大笑いでした。

さて本題「浸透圧」について。イラストはこちらから引用しました。ナメクジに塩をかけると、ナメクジは縮みます。この理由(原理)が浸透圧です。引用すると『半透膜はんとうまく両側りょうがわさのちがう食塩水しょくえんすいがあるとき、両方りょうほうさをおなじにしようとする圧力あつりょくのことを「浸透圧しんとうあつ」といいます』(引用元)。ナメクジに塩をかけると、ナメクジの表面の方が塩分濃度は高くなります。するとナメクジ体内の水分が、ナメクジの皮膚(半透膜)を通して外にひっぱり出されるので、ナメクジが縮むのです。

先日、坐禅中のこと。道場内は機会音ゼロです。その日は他の方の息遣いも聞こえません。たまに周りの道ゆく車のエンジン音と小鳥の声だけ。言わば浸透圧の逆のようなことを感じました。濃度の高い頭の中が、次第に周りの無音・静寂の濃度の低い方へ流れ出るような感覚。脳内の雑音・煩悩・迷いなどが徐々に薄らいでいくようでした。汚れたものを洗い清めるような、汚れた水が清くなるような、とも表現できます。

ある時、和尚さん曰く「坐禅中は感覚が鋭くなっており、目の前にある線香(タイマー替わり)の灰の落ちる音が「ドサッ」と聞こえるんです」。脳内の雑音・雑念が薄まると感覚が研ぎ澄まされるのでしょう。お寺の境内に銀杏の大木があった頃、坐禅中に銀杏の実が地面に落ちる瞬間、確かに「ボトッ」とはっきりと聞こえた記憶があります。

日常はこの真逆でしょう。テキスト情報・画像・動画・SNS、音声電話、メール、LINEなど次から次から洪水のように押し寄せてきます。当然のこと、頭の中は雑音だらけ煩悩だらけとなります。情報や感情でごちゃごちゃの脳に冷静な判断ができるでしょうか。

坐禅初心者が来られると担当の方が「映画を見るように頭に浮かぶことを次から次へと流してください」と説明されます。流して流して空になって「無」に近づくのでしょうか。今の日常はあまりにも多すぎます。夏に引っ越した時に自戒として痛感しました。

自己所有テレビで見た最後の番組は「おしん」(途中まで)でした。車を手放して九年。次にやめるのは年賀状ですかね。「放下著:ほうげじゃく」という禅語があります。何もかも捨てちまえ!の意です(こちら参照)。到底小生には無理ですが万分の一でも近付きたいと思います。皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。

https://youtu.be/iuuaFrnj-IY?si=tJDGXeMauN0i2SN7

おまけ:おやつ堂が南日本新聞10/27朝刊に載りました。
たのし味(み)めぐり

BBTime 664 はて?違和感

「冷え過ぎしビールよ友の栄進よ」草間時彦

2024/08/30投稿 8/31追加
葉月八月も明日まで。のろのろ台風は鹿児島をやっと通過しました。無事をお祈りいたします。俳句の出典元である「増殖する俳句歳時記」へのリンクが上手くいかなかったのですが復活したようです、安堵!掲句の解説:『友人が栄進した。異例の出世である。そこで、とりあえずのお祝いにと、作者は友人を誘って一杯やりに出かけた。たぶん、二人の馴染みの小さな店だろう。と、出されたビールが、今夜にかぎって冷え過ぎている。生温いビールもまずいが、あまりに冷え過ぎたのも美味くはない。「なんだい、冷え過ぎだよ」と、思わずも口走ってしまう。つまり、自分はあくまでも素直に友の出世を祝福するつもりでいたのだが、冷え過ぎのビールに当たるという形で、どこかに隠れていた妬みの感情が露出してしまったということなのである。サラリーマンの哀しみ。(清水哲男)』(引用元)。社会人になり本格的に酒を嗜むようになったある時「乾杯=ビール」に違和感を抱きました。2002年に秋田大館市「柴田慶信さん」の取材時晩御飯の乾杯は「お酒(日本酒)」でした、合点しました。今回は生活の中での「はて?」違和感について。

週に三日程、訪問診療に行きます。施設の入り口でよく見かけるスイッチ(ボタン)。毎回思います「この表示はウソ!」。自動なら自動で開くはずです、押せば開くのでは自動ではなく「電動」です。荷物で両手が塞がっているため大声で「開けゴマ」と言いたくなります。なぜ、このような虚偽表示が当たり前であることに「はて?違和感有り」

生活の色々な場面で利用するエレベーター。乗った後、小生は「閉」ボタンをあえて押しません。理由は「待てば自動に閉まる」からと、ある県立病院が経費削減のために「節電=電気代削減」の理由で(ボタン押さずを)実行しているという記事を読んだからです。電気代削減については「さほど削減にならない」との記事も見受けられますが。押さずに自動閉鎖を待つと「アンタなぜ押さぬ」の顔で見る人もいます。しかし涼しい顔して、押すべき空気には「はて?違和感有り」

過去にも書いております「大丈夫です」について。歯科診療でも、レジでもよく耳にします。「痛みはありますか?」に対して「大丈夫です」と患者さん。お店の方が「買い物袋は大丈夫ですか?」と質問。つい「丈夫なバッグ持ってます」と答えたくなります。この大丈夫です、小生にとっては非常に不親切、あやふやに聞こえます。痛みが有るのか?無いのか?バッグを持参しているのか?もしくはレジ袋は必要なのか否か?はっきりとストレートに会話してほしいと個人的には思います。「はて?違和感有り」

訪問診療で「歯磨き粉((ペースト)使用について」のアドバイス。使わなくてもいいですよ、まずはブラッシングです。と答えると怪訝そうな顔で「えっ使わなくていいのですか」。何度も書きますが、ムシ歯予防・歯周病予防に必要なことは歯の表面の汚れ(プラーク)除去であって、歯磨き粉を使用したからと言って除去効果がアップすることはありません!ハミガキとは「洗面所」で「毎食後」に「歯磨き粉」をつけて磨くべきと信じておられるのではないでしょうか?歯磨き粉無しで歯ブラシだけでの「唾液磨き」ならば場所を問わず、タイミング(時間)も問わず可能です。さらに言えば「砂糖無し」の食事であれば「ウガイ」のみで歯磨きは必須ではありません。「洗面・毎食後・歯磨き粉」をマスト(すべきこと)であるには「はて?違和感有り」

以上、私見です。肝要は「はて?」と自問自答、自分で問うことです。知らぬ間に家族が親が他人が周りがやっているから「する」ではなく「はて?」
台風ゼロは無理です、無事を祈って最後にもう一句。皆様、ご自愛の程ご歯愛の程
「台風のたたたと来ればよいものを」大角真代

おまけ:オレンジページnetに掲載中の拙記事「軽羹とデコン」はこちら
8/31追加:朝日新聞8/31朝刊beに興味ある記事発見!
『「ハードル下げは一つずつ』上手に悩むとラクになる・・の中に『例えば「ダイニングテーブルに歯ブラシと歯磨き粉を置いておく」。根が生えたようにそこから動かなくなる夫ですが、ダイニングテーブルに歯ブラシがあったら、そこで歯磨きが開始できます。口の中が泡だらけになったら、きっとうがいがしたくなりますね。』(記事より)・・賛成賛成大賛成!

BBTime 658 成功の法則

「六月を奇麗な風の吹くことよ」正岡子規

2024/06/07投稿
今朝(6/7)の桜島です。句の解説は『前書に「須磨」とある。したがって、句は明治二十八年七月下旬に、子規が須磨保養院で静養していたときのものだろう。つまり、新暦の「六月」ではない。旧暦から新暦に改暦されたのは、明治六年のことだ。詠まれた時点では二十年少々を経ているわけだが、人々にはまだ旧暦の感覚が根強く残っていたと思われる。戦後間もなくですら、私の田舎では旧暦の行事がいろいろと残っていたほどである。国が暦を換えたからといって、そう簡単に人々にしみついた感覚は変わるわけがない。「六月」と聞けば、大人たちには自然に「水無月」のことと受け取れたに違いない。ましてや、子規は慶応の生まれだ。須磨は海辺の土地だから、水無月ともなればさぞや暑かったろう。しかし、朝方だろうか。そんな土地にも、涼しい風の吹くときもある。それを「奇麗(きれい)な風」と言い止めたところに、斬新な響きがある。いかにも心地よげで、子規の体調の良さも感じられる。「綺麗」とは大ざっぱな言葉ではあるけれど、細やかな形容の言葉を使うよりも、吹く風の様子を大きく捉えることになって、かえってそれこそ心地が良い。蛇足ながら、この「綺麗」は江戸弁ないしは東京弁ではないかと、私は思ってきた。いまの若い人は別だが、関西辺りではあまり使われていなかったような気がする。関西では、口語として「美しい」を使うほうが普通ではなかったろうか。だとすれば、掲句の「綺麗」は都会的な感覚を生かした用法であり、同時代人にはちょっと格好のいい措辞と写っていたのかもしれない。高浜虚子選『子規句集』所収。』(引用元)。鹿児島はそろそろ梅雨入りですが、晴れの朝はまさに句のような風が吹きます。
ほぼ日から「成功の法則」について。

最後の文章「アイディアの総量が足りてないと思う」で思い出しました。
Steve Jobs「ほとんどの人は十分な時間やエネルギーをかけていない」
Most people just don’t put in the time or energy to get there.

「何か問題を解決しようとしたとき、最初に思いつく解決方法は非常に複雑なので、ほとんどの人はそこで考えるのをやめてしまう。ここでさらに考え続け、問題を胸に抱き、タマネギの薄皮を剥き続ければ、しばしば、非常にエレガントでシンプルな解決策に到達できる。ほとんどの人は十分な時間やエネルギーをかけていない。我々は、消費者は洗練されており、よく考え抜かれた商品を望んでいると信じているんだ」(アエラ付録より)。
かのジョブズさえ「しばしば」としているのは深いです。

昨日(6/6)で26周年(365×26=9490)約9500回。ほぼ日「今日のダーリン」は続いていることになります、一日も休まず9500回、これが誠実!・・簡単には「成功」に辿り着けません。皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 653 道

「どっちみち梅雨の道へ出る地下道」池田澄子

2024/04/20投稿
早い方は来週末から連休でしょうか。鹿児島は雨多く梅雨を思わせます。句の解説から『雨降りの日は地下道が混雑する。少々遠回りでも、なるべく雨を避けて歩きたい人が多いからである。かくいう私ももちろんその一人だが、しかし、句の言うように、いずれは雨の道に出なければならないのだ。そう思うと、わずかの雨を嫌がって地下道を歩いている自分が情けなくも滑稽に見えてくる。晴れている日と同じように、いつもの地上の道を真っ直ぐに行けばよいものを……。と、思いつつも、やはり地下道を選んで歩いてしまう。これが人情というものである。なお「どっちみち」は「いずれにしても」と「どっちの道」の二重の意味にかけてある。なんということもないような句だが、読者に「なるほど」と思わせる作者のひらめきは、なかなかどうして脱帽ものだ。自由詩では書けない世界である。いつか梅雨時の地下道で、この句を思い出して苦笑いする読者も少なくないだろう。「池田さんは正直に、デリケートに、またユーモアを秘めて時代と向き合っていると思う」(谷川俊太郎)。『いつしか人に生まれて』(1993)所収。(清水哲男)』(引用元)。解説では「どっちみち」の「みち」について触れていますが、結句の「地下道:ちかどう」を強引に「ちかみち」と読めば「どっちみち」「梅雨の道」「ちかみち」と「道」がみっち(三つ)!今回は「道」について、去る4/8の「ほぼ日」から。

『・いまの時代には、なにかをはじめるときに、
 それがうまく完成するものなのかどうかを、
 見極めてからはじめるべしという考え方がある。
 いや、考え方のひとつというよりは、
 そうでなければやってはいけない、
 まちがうかもしれないことをやるのは無責任である、と「原則」のようにされてしまっている。かならず成功するために調査をし、テストを続けて推論し、方向が決定されても修正を加えながら進行していく。これは、コンピューターの進化のおかげで、デジタルデータを入れての「テスト」がほぼ無限にできることになったおかげも大きいだろう。』

『いま、ぼくの付け焼き刃「論語」ブームはまだ続いていて、昨日は呉智英『現代人の論語』を読み終えたところだ。この本の第33講に冉有(求)という弟子の話がある。かいつまんで記す。覇気がなくなかなか実行しない冉有と孔子との問答だ。
 「私は先生の説く理想の道を歩むのが
 うれしくないわけではありません。
 ただ私には力が足りないのです」
 と言う冉有に、先生がおっしゃった。
 「力が足りない者なら、
 進めるだけ進んでそこでやめる。
 しかし今のお前は
 自分で自分の力を見限っている」』

『孔子は「進めるだけ進んでそこでやめる」ことを、だめじゃないか無責任だというのではまったくなく、始めず進めないことのほうを叱っているわけだ。これ、いろんな読み方があるかもしれないが、ぼくには、とても新鮮で本質的な考えに思えた。
 「まちがいなく完全に成功する計画」などありえないのに、それをやろうとしているのが現代の支配的な考え方であり、ぼくの内にも息づいている「慎重で善良な思い」である。ここでもまた、古代中国の思想家に、痛い所を突かれた。』

『日曜の夜のNHKスペシャル『LastDays』で坂本龍一が、いまつくりたい、つくっている理想的な音楽について語り、「そんなのは、ぼくのいまの力量では叶わないんだけれど」と言い「なんとか努力してみます」とはっきり結んだ。彼は「進めるだけ進んでそこでやめる」を現実にしていた! 限りある人生でできることは、みんなそれなんだと思った。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。すべては未完成にしかならないと思いつつ、進めれば幸いだ。』

画像は高村光太郎(1883-1956)の作品『手』(1918年)です。ほぼ日を読んで「道程」(1914年)を思い出しました。
『僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため』
ほぼ日の「進めるだけ進む」は、まさに
「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」!

おやつ堂は、昨年の天皇誕生日(2023/02/23)にオープンしました。いまだ「行き先の見えぬ道を歩む」です。日々精進! 皆様ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 648 雪月花

「はなはみないのちのかてとなりにけり」森アキ子

2024/03/02投稿
 早くも弥生三月。句の解説『作者は俳人の森澄雄氏夫人。1988年没。ふらんす堂から出ている森澄雄句集『はなはみな』(1990)は愛妻との交流をモチーフにした一本で、後書きに、こうある。「昭和六十三年八月十七日、妻を喪った。突然の心筋梗塞であった。折悪しく外出中で死目に会えなかったことが返す返すも残念である。巻首の(中略)墓碑銘の一句は、わがために一日分ずつ分けてくれていた薬包みに書きのこしていたものである。……」。というわけで、ここではこれ以上の野暮な解説は余計だろう。そして今日三月二十三日は、森夫妻の結婚記念日である。『はなはみな』には「われら過せし暦日春の夜の烈風」など、その都度の結婚記念の句もいくつか載せられている。ふと思ったのだが、妻を題材にした句だけを集めて一冊の本にできる俳人は、森澄雄以外に誰かいるだろうか。寡聞にして、私は他に知らない。なお、句の季語は四季を通しての「はな」を指しているので、無季に分類しておく。(清水哲男)』(引用元)。画像は止止庵(ししあん)老師の筆、今回は「雪月花:せつげっか」について。

先月のお稽古(裏千家茶道)にて先生に質問『「雪月花」の(軸を掛ける)時期はいつが良いのですか?』。師答えて曰く「字面(じづら)ではない(季節など重要ではない)」とのこと。そうなんだと小生なりに考えました。
雪:気象現象であり、降って積もって溶ける
月:天体、宇宙であり満ちて欠ける
花:天然(自然)の産物であり、咲いて散る
いずれも移ろいゆくものである。さて、それらを見ている人間はいかに在るべきか、生きるべきかと問うているのでは?と思いました。

ネットで「雪月花」の詳しい解説を見つけました。引用元はこちら
『雪月花の時、最も君を憶う。移りゆく自然の一瞬一瞬の、その輝きに触れる時、何が二人の間を別とうとも、最も君を憶う。二人を別つものがどれほど大きく、圧倒的であろうとも、だからこそ一層深く、強く最も君を憶う。そもそも、「雪月花」の美しさは、季節の移ろいの中の美、儚い一瞬一瞬の輝きのなかにあります。そして、儚いことによってその輝きは減じることはありません。むしろ反対に、儚いからこそ、一層その輝きは増すのです』(引用元)。
『雪月花の時、最も君を憶う...詩歌の友も、酒の友も、すべてを「閑事」と捨て去り、儚い一瞬一瞬の、無常の時の移ろいの中に独り立ってこそ、本当の友、本物の心の友を憶うことができるのです。その瞬間こそが、すなわちこれ人間の好時節...この時には、「雪月花」もその姿を新たにしているはずです。』(引用元)。

白居易(白楽天772-846)。雪月花は『琴詩酒(きんししゅ)の友、皆我を抛(なげう)ち、雪月花の時、最も君を憶う...』からの出典のようです。こちらもご参照のほど。鹿児島は今週末は寒いとの予報ですが、おそらく最後の冬型でしょう。今年の桜(花見)では「雪月花」を反芻しながら眺めたいと思います。皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 642 癸卯から甲辰

「うつくしや年暮れきりし夜の空」小林一茶

2023/12/31大晦投稿 2024/01/02画像追加・加筆 01/05追加
 大晦日・大晦(おおつごもり)、画像は本年最後の満月(12/27)。句の解説『今年1998年は、一茶に締めくくってもらおう。ここまでくれば、ジタバタしてもはじまらない。一茶とともに、夜空でも眺めることにしたい。ただ、ミもフタもないことを言っておけば、一茶の時代は陰暦の大晦日だから、二カ月ほど先の空を詠んでいる。そろそろ梅も咲いているかもしれぬ早春の夜空だ。だから、相当に今夜とは雰囲気は異なるが、押し詰まった気持ちには変わりはないのである。古句で締めたついでに、鎌倉末期から南北朝に生きた兼好法師の『徒然草』より大晦日の件りを引用して、今年度の『増殖する歳時記』の本締めとしたい。ご愛読、ありがとうございました。「晦日(つごもり)の夜、いたう闇(くら)きに、松どもともして、夜半(よなか)すぐるまで、人の門たゝき走りありきて、何事にかあらん、ことごとしくのゝしりて、足を空にまどふが、暁がたより、さすがに音なく成りぬるこそ、年の名残も心ぼそけれ。亡き人のくる夜とて玉まつるわざは、この比(ころ)都にはなきを、東(あずま)のかたには、なほする事にてありしこそ、あはれなりしか」。(清水哲男)』(引用元)。本日恒例、毎日新聞「余録」のご紹介。ちなみにタイトルは「癸卯:みずのと う、今年」「甲辰:きのえ たつ、来年2024」。

書き写します。『ウクライナでの戦火はやまず、ハマスの奇襲に端を発したイスラエルのガザ侵攻で世界は混迷を深める。2023年をいろはカルタで振り返る。【い】一寸先にクマ【ろ】露骨な侵略正当化【は】8冠無双【に】日本一のアレ【ほ】ホンマにやるんでっか万博【へ】米中気球で乱気流【と】どうする文雄【ち】地球温暖禍【り】リバウンド、インバウンド【ぬ】抜け道の先に裏金プール【る】ルフィ気取りの怪賊団【を】お年玉どうなる物価高【わ】YMOさみし2人去り【か】ガザ無情【よ】世のなさけ頼みの博物館【た】多様な性が彩る社会に【れ】零細泣く声インボイス【そ】そっと横見てはずしマスク【つ】つらいよ「蛙化(かえるか)」なんて【ね】ネット中傷に規制の網【な】なんでもチャチャットGPT【ら】来日韓迎【む】無実の訴えようやく再審【う】ウマかった風力利権【ゐ】池袋はストに燃え【の】乗ろーカル線【お】おこしやす文化庁【く】薬不足に良薬なく【や】闇はどこまで芸能界【ま】学ばぬ日大【け】減税のち増税【ふ】不正もビッグ特大ハツ【こ】これでどうジャース1000億円【え】エッフェルで撮ってる【て】てんてこ舞いナカード【あ】安全をロスプレイ【さ】札幌降りんピック【き】銀河へ逝った男おいどん【ゆ】緩い地盤に国強硬【め】迷走する「異次元」【み】水に流せぬ風評被害【し】神宮窮状の森【ゑ】「Xって?」とツイートし【ひ】ヒロシマで何を祈った首脳たち【も】もう終わりに2世の苦しみ【せ】世界制したペッパー侍【す】昴(すばる)への旅立ち【京】きょうの夢あすの平和』毎日新聞12/31朝刊「余録」より。昨年2022年「余録」(2021,2020,2019リンクあり)、2018年はこちら(2017,2016,2014リンクあり)。

画像は中川政七商店鏡餅、マグカップはナガオカケンメイ氏デザイン。今年、小生はやはり「【お】おこしやす、おやつ堂へ、おやつどうですか!」。2月23日天皇誕生日に「おやつ堂」は誕生しました。まだまだ超低空飛行ですが、かすかな光を感じております。来年も今年以上に美味しいモノ探しに精進いたします。是非ご来店ください。では皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。