BBTime 399 耳障り!

BBTime 399 耳障り!
「目刺焼くラジオが喋る皆ひとごと」波多野爽波

句を見て「季語は?」と読み返し「目刺が春だ」と・・Wikipediaには『目刺(目刺し、めざし)は、干物の一種。カタクチイワシウルメイワシなどのイワシ類の小魚を塩漬けした後、目から下あごへ竹串やワラを通して数匹ずつ束ね、乾燥させたもの。通常はそのままではなく、焼いて食べる。また「目刺」は季語のひとつでもある。九州、特に大分県宮崎県においては、しばしば唐人干(とうじんぼし)と呼ばれる。日本の創作文化等においては、「貧しい食卓」の象徴として、「目刺一匹のみが白米のおかず」という演出が多くなされる。』とあります。小生、宮崎生まれですが「唐人干」を耳にしたことはありません。今回「耳障りなラジオ」のお話。

健康ライフ・・テレビを所有しないため覚醒時はラジオが常時オンです。多くは「NHKラジオ第2放送」を聴いていますが、就寝前や朝、ニュースなどは「第1放送」です。ここ数年徐々に「耳障り」が増えて不機嫌になることしばしばでしたが、数ヶ月前からの極め付けが「ポワン」の効果音なんです。平日(月から金)の朝5時半過ぎに「健康ライフ」が流れます。週ごとにテーマ(病気や臓器)を決めての病気や予防、健康に関する情報番組で毎回8分くらい5回連続のコーナーで、非常にためになるため欠かさず聴いておりましたが、最近「ポワン」「ピピン」などの効果音が挟まれます。まとめやポイントを言う直前に入ります、意図はわからんでもないのですが小生には非常に耳障りで、一瞬の効果音によってそれまでの思考が乱され不愉快になります。ここ数週間、番組から遠ざかっています。

英語の番組・・ついでに言わせてもらうと、以前から耳障りだったのは(笑)基礎英語のみならず多くの英語番組の中の日本語が貧弱なこと!勿論英語は正しいのですが、訳としての日本語がお粗末です。典型が「お父さん・お母さん」・・「私の父は教師です」「母は自宅に居ます」などは全て「私のお父さん・私のお母さん」。親は「きちんとした敬語が使えないと育ちが知れる」と言っておりました。「私の父」「私の母」を使って欲しいと思うのですが。実は番組のなかで結構おじんギャグが飛び出します(笑・もっとも日本人男性講師担当番組に限り)・・個人的には大歓迎。先日は「言うは易く行うは難し=It is easier said than done.」にからめて・・「横山はやすし、西川はきよし」!!聴いた瞬間、目がテンでしたが小生にはウケました。・・返歌「言うは恥ずかし、言った後はもっと恥ずかし」。

子ども科学電話相談・・夏休み・冬休みに関係なく今では毎週日曜日にあるようです。この「子ども科学電話相談」での「次のお友達は」の表現です。なぜ「次の質問者」とか「質問する人は」と言わないのでしょう。なぜ友達でも知り合いでもないのに「友達」と言うのでしょうか?子ども向けの番組であるからこそ、英語番組も同様ですが教育番組であるからこそ、より正しい日本語をNHKには使って欲しいのですがね。

朝に限らず夜の番組でも、アナウンサーやキャスターが妙に燥ぐ(はしゃぐ)ようになりました。感情不要とは言いませんが、意味のないハシャギや時に幼児語のような言い方(トーン)など小生にとっては耳障りなんです。

ニュースの内容(原稿)も然り・・。折々に農産物の収穫についてのニュースが流れます。聴く前からニュースの筋書きが読めます。「夏に長雨だったがその後晴れが続いて、例年よりも小振りだけど甘みが強い」のように、いつもと違ってマイナスなことがあったけど結果は大丈夫!のような筋書き。農産物に限らず様々なイベントでも同様です。原稿の雛形があって「数字=月日や量」と「地名や氏名」などを入れ替えただけのようなニュース・・リアル感が薄いのです。

一方で毎回欠かさず聴いているのが「私の日本語辞典」。ゲスト毎に様々な視点で、日本語を見たり深めたりとそれはそれは興味深い内容です。進行役の秋山和平アナウンサーの日本語に対する情熱にはほとほと感心させられます。より正しい日本語とは? より品のある日本語とは? 日本語の持つ多様性とは?等々、毎回日本語とはいかなるものかを再認識させられます。「歩く日本語辞典」の面々がNHKには多くいらっしゃるのに、先に勝手に述べたような「耳障り」を指摘されないのでしょうかね。民法と違って「NHKの日本語」はより正しく、より品があり、日本語の拠り所だと思うのは今や過去なのでしょうか。

ウドンが短くなりました。ノイズキャンセリング搭載です。近い将来、ノイズキャンセリングではなく「耳障りキャンセリング」搭載モデルが出ないでしょうか・・期待します。最後に句の解説を御紹介『私のようなラジオマンからすれば、句の中身は「ひとごと」じゃない(笑)。それはともかく、ラジオをつけっぱなしにして目刺しを焼いている作者は、少々ムシの居所が悪いと見た。どうせラジオは「ひとごと」ばかり喋(しゃべ)っているのだから、自分には関係はないのだから、いま大事なのは「ひとごと」じゃない目刺しのほうである。こちらに集中しなければ……。と思いつつも、少しはまたラジオを聞いてしまう。そしてまた「ひとごと」放送に腹を立て、またまた目刺しに集中する。そのうちに、しかし目刺しもラジオも「皆ひとごと」に思えてきてしまう。そんな図だろうか。目刺しは、あれで焼き方が難しい。黒焦げになったり生焼きになったりするから、これはもうしょっちゅう焼いている酒場のおばさんなどにはかなわないのである。ラジオをつけていてもいなくても、うまく焼けないので苛々する。そこで「みんなラジオが悪いのよ」と言いたくもなる作者の気持ちは、わからぬでもない。いや、よくわかる。ところで「ひとごと」は漢字で「他人事」と書く。最近のラジオやテレビでは、これを平気で「たにんごと」と読むアナウンサーやタレントがいるが、あれは何とかならないものか。「ひとごと」ながら、恥ずかしいかぎりである。『鋪道の花』(1956)所収。(清水哲男)』・・ラジオからの耳障りを所詮「他人事:ひとごと」とスルーできないカルノでした。
先日から「note」始めました。5890


BBTime 396 残るサイド

BBTime 396 残るサイド
「一線を越えて凍る尾觝骨」春海敦子

終わりました・・。画像はご記憶にあるように準決勝開始前のNZチームの「ハカ」に対してイングランドがとった奇襲作戦です。イングランド選手がハーフウェイライン(中央線)を越えたため、後日罰金約35万円が科せられました。この時は「なるほど、さすがイングランド」「何もせずにハカを見ないとは流石」と肯定的に受け取りました、勝つことへの執念を感じました。一線(ハーフウェイライン)を越えたことは頂けませんが。

イングランドは決勝で南アフリカに負け銀メダル(準優勝)。ところが今度はメダル拒否!これはダメです。ラグビー発祥地のナショナルチームがこの態度はダメでしょう。小生が学生の頃、耳にしていたのが(不適切な表現ですが・サッカー関係者には失礼と思いますが)サッカーは「野蛮(人)の紳士的スポーツ→だから手を使わない」で、ラグビーは「紳士の野蛮的なスポーツ→だから手を使って良い(何をしても良い)」と。ラグビーにおいては、あくまでも「ベースは紳士である」と。

心中はわかりませんがイングランドの行動を見る限り「ノーサイド」はなかったことになります。ラグビーを愛する者として起源のイングランドにはポイント(点数)のみならずスピリット(精神)も追い求めて欲しいと思います。試合終了後のオブストラクションの反則でペナルティですよ、これは。

一時期、日本の柔道が低迷した時に、理由として日本選手は「一本勝ち」にこだわるが、外国選手(日本以外)は「勝ち」にこだわる。柔道がポイント制の今、いわばセコイ手であってもポイント稼いだ方が勝つ・・しかし現在、日本柔道は盛り返しました。黒帯の小生としてはポイント重視は否定しませんが「道」と名乗るからには「一本勝ち」にこだわって欲しいのが本音です。

対照的に「美しい勝利」が南アフリカです。黒人初のキャプテンの元「ワンチーム」で堂々たる勝利。やはりラグビーの神は見ていたのです。ネルソン・マンデラ氏が御存命なら滂沱の涙だったことでしょう。国際的には「ノーサイド」よりも「フルタイム」の方が一般的のようですが、ノーサイド精神なくしてラグビーを語りたくはありません。次のW杯まではイングランドではなく南アフリカを聖地としましょう!

最後に冒頭の句の解説を紹介します、意味深です。『凍るは「こごえる」と読ませるのだろう。うーむ、丸ハダカか。「一線を越えて」という古風な言いまわしが、かえって生々しい。行為の直後のことを詠んだ句も珍しい。この人、鋭い感受性を持ってるし、素直でいい性格もしてるだろうな。でも、お友だちにはなれない気がする。この句を読むかぎりでは、まったく詩的なセンスが合わないからだ。とはいえ、かなり凄い句ですよ。ユーモラスだが、下品に落ちていないところが……。無季と読みたい』(解説より)。今回、イングランドの行動が自らの品を落としたことは確かです。0200



おまけ:イングランドのペナルティにレフリーから「喝!」





「BBTime 393 ノーサイド」もどうぞ!

BBTime 394 南瓜大王

BBTime 394 南瓜大王
「日あたりや熟柿の如き心地あり」夏目漱石

熟柿:じゅくし 小生大好きです、スプーンで食べます。この時期至る所で目にするのが熟柿色の南瓜・・ハロウインの南瓜です。正確には柿色のハロウインの南瓜を英語で「パンプキン」、全くの別物である日本南瓜は「スクワッシュ:Squash」と言います。パンプキンとスクワッシュの違いについてはこちらをどうぞ。

ここ数年、小生にとって戸惑い・違和感を通り越して嫌悪感を抱きつつあるのが「日本のハロウイン」です。なぜあそこまで仮装して大騒ぎをするのでしょう?他人に迷惑かけなければ悪くないとは思いますが、コンビニによっては店員までもハロウイン仕様の格好をさせられたりしてます。どう考えても「やりすぎでしょ!」日本だから・・と言えばそれまでですが、来月のボジョレーヌーボーも然り、再来月十二月のクリスマスも同様、ついでにバレンタイデーもそうです。

来年のオリンピックに向けて様々な場面で「おもてなし」の言葉を耳にします。NHKラジオ外国語番組にも「おもてなし」がついている言語があります。そこまで「おもてなし(相手に敬意をもって接する)」を声高に言うのであれば、是非「起こり・起源」を多少なりとも理解した上での日本人なりの「あなたなりの」行事として欲しいと切に思います。西洋の行事(日本以外の行事)に敬意を払う意味で、ある程度はその行事の意味を知るべきだと個人的には思います。

小生が初めてハロウインを知ったのは小学生の頃、漫画スヌーピーでした。毎年10月31日夜にライナスはカボチャ畑でカボチャ大王を待ちます・・カボチャ大王とはいわばサンタさんのような存在のようです。ハロウインとは元はケルト人のお祭りが起源で、オリジナルはカボチャではなく「カブ」でした。ハロウインがアメリカに伝わるとこの時期身近にある収穫されたカボチャ(パンプキン)がカブに取って代わったようです。詳しくはこちらをどうぞ。お時間ある方は「BBTime019 歯ロウイン」「BBTime177 チガウノヨ!」もお読みください。

ハロウインとは『毎年10月31日に行われる、古代ケルト人が起源と考えられているのこと。もともとは収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事であったが、現代では特にアメリカ合衆国民間行事として定着し、祝祭本来の宗教的な意味合いはほとんどなくなっている』(Wikipediaより)。

ボジョレーヌーボーとは『毎年11月第3木曜日(日付が変わった午前0時)に解禁される、特産品の新酒をボジョレー・ヌヴォー (Beaujolais nouveau) という。以前はその年のブドウの出来栄えをチェックすることを主な目的としたもので、ワイン業者が主な顧客であったが、その後、解禁日をイベントとして、新酒として大々的に売る販売戦略や販売手法が確立され、現在はフランスでも、日本と同じ目的で一般の消費者向けに売られている』(Wikipediaより)。

クリスマスとはキリストの誕生日ではなく(誕生日は不明)「キリストの誕生を祝う日」です。『クリスマスChristmas)は「キリストのミサ」という意味で、一部の教派イエス・キリストの誕生を祝う祭であり、降誕祭ともいう。あくまで誕生を祝う日であって、イエス・キリストの誕生日ではない』(Wikipediaより)。

バレンタインデーは『ローマ帝国皇帝・クラウディウス2世は、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、兵士たちの婚姻を禁止したと言われている。キリスト教の司祭だったウァレンティヌス(バレンタイン)は、婚姻を禁止されて嘆き悲しむ兵士たちを憐れみ、彼らのために内緒で結婚式を行っていたが、やがてその噂が皇帝の耳に入り、怒った皇帝は二度とそのような行為をしないようウァレンティヌスに命令した。しかし、ウァレンティヌスは毅然として皇帝の命令に屈しなかったため、最終的に彼は処刑されたとされる。彼の処刑の日は、ユーノーの祭日であり、ルペルカリア祭の前日である2月14日があえて選ばれた。ウァレンティヌスはルペルカリア祭に捧げる生贄とされたという。このためキリスト教徒にとっても、この日は祭日となり、恋人たちの日となったというのが一般論である』(Wikipediaより)。

最後に句の解説をご紹介『不惑などという年令は、とっくのとうに過ぎてしまったのに、いまだに惑ってばかりいる。句のような心地には、ならない。いや、ついになれないだろうと言うべきか。このとき、漱石は弱冠二十九歳。あたたかい日のなかの熟柿は美しく充実して、やがて枝を離れて落下する自分を予知しているようだ。焦るでもなく慌てるでもなく、自然の摂理に身をまかせている。そんな心地に、まだ若い男がなったというのだから、私には驚きである。ここでは、みずからの充実の果ての死が、これ以上ないほどに、おだやかに予感されている。人生五十年時代の二十九歳とは、こんなにも大人だったのか。「それに比べて、いまどきの若い者は……」と野暮を言う資格など、私にはない。西暦2000年まであと二ヶ月。一年少々で、二十世紀もおしまいだ。「二十一世紀まで生きられるかなあ。無理だろうなあ」。小学生のころ、友だちと話したことを、いまさらのように思い出す。切実に死を思ったのは小学生と中学生時代だけで、以後は生きることばかりにあくせくしてきたようである』(解説より)。不惑=四十歳 7530

BBTime 393 ノーサイド

BBTime 393 ノーサイド
「あきかぜのふきぬけゆくや人の中」久保田万太郎

ノーサイド・・終わりました。お疲れ様でした、と同時に深謝いたします。試合終了後「ノーサイド」が頭の中をゆっくりと動いておりました。

一般的にノーサイドは「戦い終えたら、両軍のサイドが無くなって同じ仲間だという精神に由来する」(wikipedia より)と受け止められていると思います(詳しくはこちらもどうぞ)。勿論、否定しませんが小生こんなことも考えました。

連想したは「It is no use crying over spilt milk.」(訳語には「覆水盆に返らず」が当てられますが、厳密には意味が違うようです)。今回思ったのは、松任谷由実「ノーサイド」に出てくる「彼はもう二度と かぐことのない風」です。

ノーサイドとは試合終了・・もうこれ以上走る必要もない・スクラム組むこともない・タックルの必要もない・・もっと言えばもう走りたくても走れない、スクラム組みたくても組めない、もう全て終わったんだよ、です。

だからこそ、やりたいこと、走りたければ、スクラム組みたければ、今だよ!今しかないのよ、です。No side の対義語はないでしょうが、あえて作れば On side 試合中でしょうか。ノーサイドの瞬間に全て終了です、やりたければ今でしょ!のように思えるのです。日本はノーサイドで次は四年後のフランス大会ですが、残る南アフリカなどはまだノーサイドではなく、オンサイドです。

最後に冒頭の区の解説文をご紹介『人込みのなかの淋しさ。極めて現代的で都会風の抒情句だ。銀座あたりの人込みだろうか。平仮名を使ったやわらかい表現から、時間的には秋晴れの日の昼下がりだろう。これを「秋風の吹き抜け行くや人の中」とでもやったら、とたんにあたりは暗くて寒くなってしまう。すなわち、翻訳不可能な作品の典型ともいえる。人込みのなかの淋しさを、むしろここで作者は楽しんでいるのである』。万太郎同様、ノーサイドの淋しさをワイン片手に味わっております。かつて楕円球を追いかけた者として・・。5900



追加:ノーサイドの歌詞が尻切れ蜻蛉でした。
「人々がみんなあなたを忘れても ここにいるわ
何をゴールに決めて 何を犠牲にしたの 誰も知らず
歓声よりも長く 興奮よりも速く 走ろうとしていた
あなたを 少しでもわかりたいから
人々がみんな立ち去っても私 ここにいるわ」

BBTime 391 唯一無二

BBTime 391 唯一無二
「まつすぐの道に出でけり秋の暮」高野素十

解説には『なんだい、これは。おおかたの読者は、そう思うだろう。解釈も何も、それ以前の問題として、つまらない句だと思うだろう。「で、それがどうしたんだい」と、苛立つ人もいるかもしれない。私は、専門俳人に会うたびに、つとめて素十俳句の感想を聞くことにしてきた。私もまた、素十の句には「なんだい」と思う作品が多いからである。そんなアンケートの結果はというと、ほとんどの俳人から同じような答えが帰ってきた。すなわち、俳句をはじめた頃には正直いって「つまらない」と思っていたが、俳句をつづけているうちに、いつしか「とても、よい」と思うようになってきた……、と。かつて山本健吉は、この人の句に触れて「抒情を拒否したところに生まれる抒情」というような意味のことを言ったが、案外そういうことでもなくて、このようにつっけんどんな己れの心持ちをストレートに展開できるスタンスに、現代のプロとしては感じ入ってしまうということではあるまいか。読者に対するサービス精神ゼロのあたりに、かえって惹かれるということは、何につけ、サービス過剰の現代に生きる人間の「人情」なのかもしれないとも思えてくる。みんな「まつすぐの道」に出られるのならば、今すぐにでも出たいのだ』(解説より)。画像は先日のスコットランド戦で代表初トライを決めた稲垣選手です。彼にとってはボールを受け取った瞬間に「まつすぐの道」が現れたと思います。トップスピードで受けた途端に目の前はスローモーションとなって・・・トライ

福岡選手のインターセプト直後も「まつすぐの道」でしょう。今回ジャパンの快進撃を観るに「唯一無二」の言葉が日本チームに当てはまると感じます。もちろん日本のみならずどのチームも「唯一」ですが、その持つ力を生かす・発揮する・出し切るのが「無二」であり、ジャパンのメンバーが彼らしか出来ないパフォーマンスを出した時「唯一無二」となり勝てるのでしょう。

小生七味唐辛子、好きです。それぞれの個性が光りながらも調和が取れている。1+1=3にも5にも10にもなるようなハーモニーであり力。以前ブログ「人生七味唐辛子」をアップしました、今回の解釈とは真逆のようですが、おそらく根本は同じでしょう。今回のW杯が観る人に感動を与えるのはラグビーの持つ「理不尽さ」「協力」「個々の力」などの要素が、人それぞれ「唯一無二」の人生に投影されるからかもしれません。

決勝トーナメントはまさに「まつすぐの道」。11/02横浜に向けての道を歩むジャパンに声援を送ります。十五色唐辛子のごとく力を発揮されんことを祈ります!4350


BBTime 389 豚とラグビ

BBTime 389 豚とラグビ
「秋晴の運動会をしてゐるよ」富安風生

小学生の句と思いきや、虚子門の高弟のひとり富安風生(とみやすふうせい)の作。解説にも『前書きに「北海道を縦断して、一日汽車に乗り通す」とある。子供みたいな句ですが、面白いですね。俳句は、短歌でも現代詩でもない。こうした句を読むと、つくづくこの世界の懐の深さが思われます。パソコンなんて捨てちゃって、それこそ秋晴れの下、一日中汽車に乗り通してみたくなってくる。窓際には、冷たい缶ビールと上等な乾き物を少々。こんなふうに思わせるところが、俳句の力だというべきでしょう』(解説より)。各地で開催中のラグビーW杯も、このような秋晴れのもと戦わせてあげたいものです。

これはピーターブリューゲル「子供の遊び」1560年作に描かれており、豚の膀胱を膨らませています、風船の代わりでしょうか。さて問題「豚とラグビーの関連は?」・・答えは「ラグビー球の由来は豚の膀胱との説あり」です。『1560年『子供の遊び』ピーター・ブリューゲル 豚の膀胱Bladderを膨らませて遊ぶ子供が描かれています。豚の膀胱は気密性があり、空気を逃がしません。ゲルマン民族は豚を解体し、殆どの部位を料理に利用したが、食べられない膀胱は子供の玩具となった。ゴム風船が現れたのは、19世紀になってからのことです。』とありました(出典はこちら)。

先の子供は最前列右から七、八人目です。この絵に登場する子供達は総勢254名、遊びの種類は91種類とのこと(引用元)。文献的にはラグビー発祥は1823年ですので、豚の膀胱使用は合点がいきます。ネットには『なぜ楕円球なのかは諸説ある。国際統括団体ワールドラグビーのホームページなどによると、元々は豚の膀胱(ぼうこう)を膨らませて作られており、楕円形になる傾向があったためだとされる。初期はその材料の大きさに違いがあるため、ボールのサイズは決まっていなかったという。抱えて走りやすいように楕円形になったという説もある。』(出典はこちら)。

イタリア・パルマ近郊で作られる有名な生ハム「クラテッロ」は画像のように豚の膀胱に詰めて作るそうです(詳しくはこちら)。予測できない人生のように、楕円球はどう転ぶかわかりません。それだけにクラテッロ同様味わい深いのでしょうか。次の試合「日本vs.スコットランド」はスコッチ片手にクラテッロ味わいながらラジオ観戦(小生テレビ不所持)しましょう、いえいえ、やはりスプマンテですかね。神風吹いて台風の影響のないことを祈ります。1910

BBTime 388 楽苦備!

BBTime 388 楽苦備!
「静寂はラグビーボール立ててより」松村史基

句の解説には『ラグビーのゴールポストはH字形で、2本のポールの幅は5.6メートル、高さは国立競技場で13メートル。地面から3メートルの高さにクロスバーが渡してある。地面に置いたボールを蹴ってゴールをねらうゴールキックの場合、ポールの間、クロスバーの上を通過すれば得点。ゴールに上限はなく、要するに2本のポールは、空に向かって伸びる平行な直線なのだ。キッカーはひたすら5.6メートルの隙間をねらい、空へ向かってボールを蹴る。そこにはサッカーのようなディフェンスとのかけひきはなく、自分との勝負。この句には、そんなラグビーのキックの本質がきちっとあり、切り取られている一瞬の静寂が、その前後の激しいプレーや、突き抜けた冬空をも感じさせる。』(解説より)。

昨夜(10/05)の日本vs.サモアにはまさしく一喜一憂・・最後には、またしても感涙!その時間、移動中のこともありラジオ実況での観戦。画像(動画)がないため、状況を飲み込むのに僅かな時差が生じます、ゆえの一喜一憂。句にあるような「静寂」は実況でも同じで、田村選手のペナルティキックやコンバージョンキックのシーンが幾度となくありましたが、ボールをセット後・・・静寂(沈黙)でした。

今回のタイトル「楽苦備:ラグビー」は大学時代の監督が口にされていた言葉です。「なぜ今ラグビーをするのか?」の問いの答えが、文字通り「楽しみ苦しみに備えるため」・・今になって納得できます。さて、当時の球はセプターの革製(画像)でした。練習後にボールを磨くのは一年生の仕事。芝ではなく土グラウンドでしたので、当然のことながら球表面は荒れます。バックスキンのようにカサカサになります。この荒れた乾燥肌(表面)だとパスする際、指への吸い付きが悪いために、練習後一年生は残ってひたすらボールを磨いていました。今思えば不思議なんですが・・自分の唾液を球表面につけてストッキング(ラグビー用)でキュッキュッと言うよりゴシゴシと磨くのです。革表面には方向があるので、磨く際には往復ではなく片道で磨けとのことでした。夏合宿時など練習後ツバも出ません。我ら一年生は先輩に「ツバください」と言って(実際には球表面にぺッと吐いてもらって)磨いてました。今は昔の話です・・今のボールはゴム製ですよね。

実際、転がる球を追いかけながら、球(たま)とは言え球形ではないですからどちらに転がるかわかりません・・これも人生ですかね。夕刻暗くなるとボールが見えなくなるので、タックルマシーンでのタックルの練習です。はっきり覚えています、練習中に「肉体の苦しみと心(頭)の苦しみは同時には来ない」という原理に気がつきました(笑)。タックルする順番を待つ間、列に並び声を出します「さあ、行こうぜ」「ナイス、タックル」「声出して行こうぜ」等々。自分の番が近づくにつれ「痛みに対する恐怖・タックルしたくない気持ち」などが徐々にアップします。いざ自分の番でタックル・・肉体的には痛いのですが、精神的にはストレスゼロです。また、ボールを繋ぐ場合にも「己を殺して球を生かす」・・ワンフォーオール・オールフォーワン(One for all, All for one)。

「理不尽なスポーツ」・・ある時、早慶ラグビー観戦中に連れの一言。言い得て妙!ボールを前に投げてはいけない、スクラムやラインアウトは基本的には敵味方両者にとって対等(サッカーのスローインとは違うと思います)。またファオワードをやって気がついたことは「自分のエリアがない!」ボールの行くとこどこまでも追いかける必要があるのです。理不尽ゆえに「紳士のスポーツ」なのでしょうか。

理不尽に加え「ストイック」もしくは「へそ曲がり」とも言えるでしょう。「トライ」「コンバージョンキック」の由来を簡単にいうと「トライによってキックの権利を得ることができ、キックが成功したら点数になる」とのことです。元々はトライはキックの権利を得られるだけで点数なし、その後の権利行使のキック成功で得点でした(詳しくはこちら)。よってトライTRY=挑戦する(キックに挑戦)し、コンバージョンCONVERSION=転換するキック成功で得点となる。非常にわかりにくいですよね、簡単にその屁理屈を説明します。現行ルールではトライ5点、コンバージョンキック2点合計7点となりますが、昔はトライ0点ただしその後のキックに成功すると7点あげるよ・・との理屈のようです。へそ曲がりの骨頂!

理不尽でへそ曲がりな紳士のスポーツ・・例えるなら、世の流れに翻弄され、付かず離れず付きそうで成就できない、かといって離れない二人がやっと最後に結ばれる(右へ左への流れの中で、スクラムやラインアウト、タックル、モールラックを繰り返し、ついにトライ!)。こちらが観ていて、もどかしくなるような、イライラするような二人がやっとのことゴールインでしょうか。まずは次の一戦、スコッチ飲みながら応援します!1280


BBTime 386 ご存じ?

BBTime 386 ご存じ?
「行先ちがふ弁当四つ秋日和」松永典子

何気なく読んで「運動会のお弁当」と思いきや・・解説には『今日あたり、こんな事情の家庭がありそうだ。絶好の行楽日和。みんな出かけるのだが、それぞれに行き先が違う。同じ中身の弁当を、それぞれが同じ時間に別々の場所で食べることになる。蓋を取ったとき、きっとそれぞれが家族の誰かれのことをチラリと頭に描くだろう。そんな思いで、弁当を詰めていく。大袈裟に言えば、本日の家族の絆は、この弁当によって結ばれるのだ。主婦であり母親ならではの発想である。変哲もない句のようだが、出かける四人の姿までが彷彿としてきてほほ笑ましい。こういうときには、たいてい誰かが忘れ物をしたりするので、主婦たる者は、弁当を詰め終えたら、そちらのほうにも気を配らなければならない。「ハンカチ持った?」「バス代は?」などなど。家族の盛りとは、こういう事態に象徴されるのだろう。みなさん、元気に行ってらっしゃい。』(解説より)。今回は前回「口掃除」の続きです。

画像は京都の和菓子屋仙太郎の「ご存じ最中」です。名前の由来はこちらをご参照ください。さてタイトルの「ご存じ」・・近頃では「ご存知」の表記を目にしますが、どうしても小生これを受け入れられません。「ご存じ」は動詞「存じる」がベース。「存知」と表記すると「ぞんち:そういう事実を知っていること」(新明解国語辞典より)のこととご存じですか?・・と言いたくなります。言葉は生き物、変わるものとも言いますが、こればっかりは頂けません。前回「口掃除」で紹介した糸井さんの文にも『使っちゃいけない理由を知らないままの人は、つい使ってしまうこともある。ある考えが、まちがっているということは、まちがっているという考えを学ぶことでしか直せない。』・・しつこいようですが「ご存じ」は「ご存知」ではないのです!

さて糸井さん提唱の『ぼくは「歯をみがく」を死語にしようと思っている』・・大賛成です。小生も代わる語として「口清め・口浄め:口をきよめる」を書きましたが、他にも考えました。「口洗い:口を洗う」「口クリン:口クリーン、口をクリーンにする、口クリーニング」「歯洗い」・・音韻を考慮すると、やはり「口きよめ」でしょうか。「口クリン:くちクリン」も良さそうに思います。

「歯をみがく」の言葉からの連想で「ゴシゴシ磨き」になることを懸念します。過去にも書いてますが、ゴシゴシ横磨きが「楔状欠損:くさびじょう欠損」の原因になるからです。ひとたび楔状欠損が生じると、その後の治療はムシ歯治療(樹脂による充填)と同じです。ムシ歯にならないように「磨いた」ことが結果的にムシ歯(と同じ状態)を作ってしまう・・ご本人は釈然としませんし、全くもって勿体無い話です。歯を守るためには「歯を磨く」ではなく「口を清める」の方がベターなんです・・って、ご存じですか?7510

BBTime 385 口掃除

BBTime 385 口掃除
「秋風や書かねば言葉消えやすし」野見山朱鳥

句の解説に『書かれない言葉が消えやすいのは言葉が思いを正しく反映しないからだろう。もやもやした言葉になる以前の混沌をそれでも僕らは言葉にしないと表現できない。加藤楸邨には「黴の中言葉となればもう古し」がある。書かねば消えてしまう言葉だからと、書いたところでそれはもう書かれた瞬間に「もやもやした真実」とは乖離し始める。百万言を費やしたところで、僕らは思いを正確に伝えることは不可能である。不可能と知りつつ僕らは今日も言葉を発し文字を書き記す。言葉が生まれたときから自己表現とはそういうもどかしさを抱え込んでいる。』(解説より)。今回は「ことば」について、ほぼ日刊イトイ新聞「今日のダーリン」(9/13)から。

・かつてあったいろんなことばが、さまざまな事情で使われなくなったりしている。ある時代までの考えが、新しい時代になってまちがっているということになると、ことばが消される。ここにいちいち書き連ねることはしないけれど、「そのことば、使っちゃだめなんだよ」ということは、けっこうたくさんある。

そして、使っちゃいけない理由を知らないままの人は、つい使ってしまうこともある。ある考えが、まちがっているということは、まちがっているという考えを学ぶことでしか直せない。先に学んだ人が、学んでない人のことを「とんでもない考え」をもった人間としてきびしく断罪することがあるけれど、それが、どうもぼくにはしっくりこないことが多い。「考え」だとか「ことば」というものは、学んで身につけるということがとても多いものだ。

・さて、話は、まったく変わって、倫理に関わるようなことばではなく、このことばは変えてしまったほうが世のため人のためではないかという例を思いついた。「歯をみがく」ということばである。歯の表面の汚れを磨くことできれいにする、という意味では、このことばはまちがってはいない。しかし、歯は、ほんとうはみがくものではない。歯と歯の間や、歯と歯肉の間の汚れや菌などを、掃除することが「歯みがき」と言われている行為の、ほんとうの目的であるはずだ。

英語では、歯は「ブラッシング」するものでね。ほんとうに、目的にかなった言い方を探すなら、歯は「掃除する」としたほうがいいはずだ。煙突掃除や、耳掃除などのように、掃除するもの。もっと大きく「手入れする」のほうがいいかもしれない。「歯みがきする」と言われたままだと、「歯間や歯肉の問題」はないがしろにされてしまう。ぼくは、「歯をみがく」を死語にしようと思っている。さて、眠くなってきたから、風呂に入って、口のなかの掃除をして寝ようかな。   今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。歯の手入れは、健康の手入れの入り口だと思うんだよねー。

まずは仕事柄イトイさんに深謝です。歯磨きを取り上げてくださって感謝します!
嬉しくなってメールしました。以下メールから抜粋。
ほぼ毎日、拝読しております。歯科医師です。全く同感です。「歯をみがく」という言葉ゆえに誤解を招き「グゥ握りでゴシゴシ」となり、人によっては歯や歯ぐきを傷めてしまう方もいらっしゃいます(楔状欠損など)。歯が硬いゆえに「磨く」が当てられたのでしょうか。   小生も「洗顔洗歯」「歯洗い」「口洗い」・・などの言葉を考えました。昔のお坊さんはやはり賢いと思います。神社やお寺には「手水場」があり、磨き(洗い)はしませんが「うがい」します。   口清め・・なんていかがでしょう。「口を清めてから寝なさいね」「おやすみの前に、口清めね」実は「グゥ握りゴシゴシ」を「鉛筆握りチョコマカ」に変えるべく「新歯ブラシ」考案中です。毎日道具である歯ブラシ(ちなみに毎日道具No.1は歯です)、口の友(口友)である歯ブラシ。新デザインの歯ブラシによって「歯磨き」から「口清め」に!最後になりましたが、「歯」を取り上げて頂いて深謝いたします。」先日の「味のある」でも「今日のダーリン」について書いています。2930


おまけの言葉:先日、来年のほぼ日手帳が届きました。箱の中蓋に次の言葉が・・。セフティ・マッチ氏とはシャレなのでしょうか?

BBTime 383 味のある

BBTime 383 味のある
「赤とんぼじっとしたまま明日どうする」渥美 清

ほぼ毎日読むエッセイに「今日のダーリン」があります。糸井重里氏のほぼ日刊イトイ新聞の冒頭コラムです。本日(9/4)分を読んで頭に浮かんだのがこのひと「寅さん」。以下スクリーンショットです。

「やさしく、つよく、おもしろく。」この順序が大事なんだよと、よく言う。なによりまず、「やさしく」からはじまる。他の人が「愛」と呼んでいるのと同じようなことだ。そして、「つよく」がそれを支える。「よわさ」のままで、ほんとうになにかするのは、ちょっと難しすぎるだろう。約束は、つよくないとなかなか守れない。そして「おもしろく」は、最後にくるのだけれど、この「おもしろく」はめしのタネです、と、ぼくは言う。腹の皮がよじれるほど笑う、というようなことではない。ふつうにしていて、しかも「おもしろい」のがいい。ふつうであることは、たいしたことなのだけれど、そこに「おもしろく」がないとそのまま埋もれてしまう。

「おもしろく」って、どういうことですか?と、よく質問されてきたような気がする。そこにはっきりした答えがあるとも言えない。ぼく自身も、その「おもしろく」ってどういうものか、ずっと考えてきているのだ。どうすれば「おもしろく」なるのか、よくわかってはいないのかもしれないけれど、実際に「おもしろい」ものは、たくさんある。それは、「いい人ってどういう人?」と訊かれて、なかなか説明しきれないのだけれど、現実には、たくさんの「いい人」がいるというのと、とてもよく似ている。

前にも書いたかもしれないけれど、ぼくの知っている、ぼくよりかなり年上のご夫婦がいて、その旦那さんが、ぼくに、さらっと言ったことがある。「女房はね、おもしろいんですよ」と、少し離れたところにいた奥さまを見ながら言った。「かわいい」ご婦人だというのは、見ていてわかった。でも、「おもしろいんです」と言われて、はじめて、なんだか、とてもうらやましいお二人なんだと思った。ぼくの言う「やさしく、つよく、おもしろく。」の「おもしろく」というのは、こういうことだ、たぶん。「あのこは、やさしくて、つよくて、おもしろいね」と、そんなふうに言われる人に、こどもたち、育つといいね。  今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。「おもしろくない」ということは、ほっといたらダメだね。

読み返すほどに読み返しました。「やさしく、つよく、おもしろく。」を漢字にすると「愛情、正義、滋味」でしょうか。糸井さんのおっしゃる「おもしろく」とは「味のある」のような気がします。「おもちや」や「あんぱん」で触れたTED も同じく。『「あのこは、やさしくて、つよくて、おもしろいね」と、そんなふうに言われる人』になるためには、やはり磨く必要があるでしょう。英語に代表される外国語習得を例とするならば、単語や文法を覚えることはできても会話や文章のユーモア・センスまでマスターするなると、ちと難しいように思えます。だからこそ、最後の文章『「おもしろくない」ということは、ほっといたらダメだね。』なのでしょうか。これは冒頭の句の「どうする」に通ずるような・・。

『三木露風の童謡「赤とんぼ」を思い出す。三番の結び。「……、とまっているよ、竿の先」。掲句の作者も見ているように、よく赤とんぼ(だけではないけれど)は、秋の日に羽を光らせて「じっとしたまま」でいることがある。休息しているのだろうか。が、鳥のように羽をたたまずにピーンと張ったままなので、緊張して何か思案でもしいるような姿に写る。露風の詩はここまでで止めている(この詩が、露風十代の俳句を下敷きにしていることは以前に書いた)が、掲句はもう一歩踏みだしている。お前、明日はどうするんだい。そう言ってはナンだが、何かアテでもあるのかい。この優しい呼びかけは、もとより自身への呼びかけである。お互いに、風に吹かれて流れていく身なのだからさ。と、赤とんぼを相棒扱いにして呼びかけたところに、露風とはまた違う生活感のある人間臭い抒情味が出た。作者は、ご存知松竹映画「『男はつらいよ』シリーズ」で人気のあった寅さんだ。いや、寅さんを演じた役者だ。渥美清は、俳号を「風天」と称していた。「フーテンの寅」に発している。掲句は朝日新聞社発行の雑誌「アエラ」に縁のある人々の「アエラ句会」で披露された45句のうちの一句。熱心で、句会には皆勤に近かったと、亡くなった後の「アエラ」に出ている。このことを知ると、どうしても「寅さん」が詠んだ句だと映画に重ね合わせて読んでしまう。止むを得ないところだが、しかし、そういうことを離れて句は素晴らしい。「どうする」の口語調が、とりわけて利いている。』解説より。

寅さんを敬愛し、第45作「寅次郎の青春」にエキストラとして参加した小生にとって寅さんは永遠です。去る8/27は、第1作「男はつらいよ」の公開から50年でした。朝日新聞に「月刊寅さん」がスタート。こじつけですが「やさしく、つよく、おもしろく。」のムシ歯予防を考えています。近々、第一弾「歯と歯茎にやさしい歯ブラシ」をご紹介予定、乞うご期待!8001