BBTime 533 綺羅、星

BBTime 533 綺羅、星:きら、ほし
「父がつけしわが名立子や月を仰ぐ」星野立子

タイトル「綺羅、星」は「きら、ほし」が正しい読み。綺羅星の如くは『元々は「綺羅、星の如く」で読み方は「きら、ほしのごとく」。「綺羅星(きらぼし)」と一語扱いにするのは本来は誤り』(引用元)。今回は歯とは無関係ですが「キラキラネーム」について。

BBTime528「美味求真」の「美しき緑走れり夏料理」も星野立子です。解説に『父は虚子。自分の名前に誇りを抱くことの清々しさもさることながら、父への敬愛の念をこれほど率直に表現した句も珍しい。直接に仰ぐのは月であるが、この月はまた天下の虚子その人なのである。臆面もないと感じる読者がいるかもしれぬ。が、父のつけてくれた名前にかけて凛とした人生を生きていくという気概が、そうしたいぶかしさを撥ね除ける句だと、私には思われる。月を仰ぐ人には、人それぞれの感慨がある。『立子句集』所収』(出典はこちら)。仕事柄、日々多くの方の名前に接します。今月に入って夏休みのせいか、小中学生も多く来られます。数人ですが「?」と思ってしまうキラキラネームの子供さんが・・。

本「親から子へ伝えたい17の詩」で見つけたのが冒頭の「名前は祈り」です。

『「名前は祈り」毛里 武
名前はその人のためだけに/用意された美しい祈り/若き日の父母(ちちはは)が/子に込めた願い  幼きころ 毎日、毎日/数え切れないほどの/美しい祈りを授かった  祈りは身体の一部に変わり/その人となった  だから 心を込めて呼びかけたい/美しい祈りを』親はそれぞれ、子もそれぞれ、名前もそれぞれでしょうけど。
皆さま、ご自愛の程ご歯愛の程。4910

https://youtu.be/9iOFIKP-22Y


BBTime 530 呵呵大笑

BBTime 530 呵呵大笑:かかたいしょう
「赤とんぼじっとしたまま明日どうする」渥美清

本日八月四日は寅さんの命日。1996年、享年六十八。掲句は秋の句ですが御容赦を。解説には『掲句はもう一歩踏みだしている。お前、明日はどうするんだい。そう言ってはナンだが、何かアテでもあるのかい。この優しい呼びかけは、もとより自身への呼びかけである。お互いに、風に吹かれて流れていく身なのだからさ。と、赤とんぼを相棒扱いにして呼びかけたところに、露風とはまた違う生活感のある人間臭い抒情味が出た。作者は、ご存知松竹映画「『男はつらいよ』シリーズ」で人気のあった寅さんだ。いや、寅さんを演じた役者だ。渥美清は、俳号を「風天」と称していた。「フーテンの寅」に発している。掲句は朝日新聞社発行の雑誌「アエラ」に縁のある人々の「アエラ句会」で披露された45句のうちの一句。熱心で、句会には皆勤に近かったと、亡くなった後の「アエラ」に出ている。このことを知ると、どうしても「寅さん」が詠んだ句だと映画に重ね合わせて読んでしまう。止むを得ないところだが、しかし、そういうことを離れて句は素晴らしい。「どうする」の口語調が、とりわけて利いている。この秋の赤とんぼの季節も、そろそろおしまいだ。「明日どうする」。どうしようか。「アエラ」(1996年8月19日号)所載』(解説より抜粋)。今回は寅さんへのオマージュ・・第45作「寅次郎の青春」にエキストラ参加したひとりとして。

タイトルの「呵呵大笑:かかたいしょう」とは、大声をあげて笑うことです。最近、興味深い記事を目にしました。この方が笑うとすべて「呵呵大笑」になるのでは、と思ってしまいます。漢字スタンプはこちら(小生作)。

その記事とは「世界で最も大きな口」の女性、米国人のサマンサ・ラムズデルさん ギネス記録」です。『(CNN) ギネス・ワールド・レコーズは8月1日までに、米コネティカット州に居住するサマンサ・ラムズデルさん(31)を世界で最も大きな口を持つ女性として認定した。開口した場合は縦が6.56センチ、横が10センチ以上と測定された。ラムズデルさんによると口の大きさは既に有名だったが、動画アプリ「TikTok(ティックトック)」上で記録への挑戦を促されたのがきっかけだった』(記事より抜粋)。

記事動画を見て頂くと口がいかに大きいか・・歯科医としては口が大きいと言うよりも「いかに大きく口が開くか」のような気がします。日々の診療の中で、口が開かない、口を開けない、口が開けづらい方が何かしら増えてきたように思います。日常的に大きな声を出さず、大きなモノ(食べ物)を食べず、欠伸(あくび)せずなのでしょうか?歯科医としては治療しにくいので大きく開けて欲しいところです。見て頂くと気付かれると思いますが白い歯です。大きく開けば、奥までしっかり磨けます!やはり「大きいことは良いことだあ!」。ちなみにこの方の愛称も大口です。

まだまだ暑さは続きます、ご自愛の程ご歯愛の程。9940



BBTime 521 むしむし

BBTime 521 むしむし
「でで虫の知りつくしたる路地の家」尾野秋奈

解説に『でで虫、でんでん虫、かたつむり、まいまい、蝸牛。この殻を背負った生きものは、日本人にとってずいぶん親しい間柄だ。あるものは童謡に歌われ、またあるものは雨の日の愛らしいキャラクターとして登場する。生物学的には殻があるなし程度の差でしかないナメクジの嫌われようと比較すると気の毒なほどだ。雨上がりをきらきら帯を引きながらゆっくり移動する。かたつむりのすべてを象徴するスローなテンポが掲句をみずみずしくした。ごちゃごちゃと連なる路地の家に、それぞれの家庭があり、生活がある。玄関先に植えられた八つ手や紫陽花の葉が艶やかに濡れ、どの家もでで虫がよく似合うおだやかな時間が流れている』(解説より抜粋)。今回は去る六月四日、六四:ムシについて。

六月四日は語呂合わせで、昔なら「ムシ歯予防デー」今では「歯と口の健康週間」です(6/4-10)。歯科医師会のページには『1928年(昭和3年)から1938年(昭和13年)まで日本歯科医師会が、「6(む)4(し)」にちなんで6月4日に「虫歯予防デー」を実施していました。1939年(昭和14年)から1941年(昭和16年)まで「護歯日」、1942年(昭和17年)に「健民ムシ歯予防運動」としていましたが、1943年から1947年までは中止されていました。しかし、1949年(昭和24年)、これを復活させる形で「口腔衛生週間」が制定されました。1952年(昭和27年)に「口腔衛生強調運動」、1956年(昭和31年)に再度「口腔衛生週間」に名称を変更し、1958年(昭和33年)から2012年(平成24年)まで「歯の衛生週間」、そして2013年(平成25年)より「歯と口の健康週間」になっています』(出典はこちら)。

八月七日は鼻の日、十月十日が目の日などに対して、病名「ムシ歯」が由来であることを思うに、ある意味「ムシ歯」が親しい、身近もしくは軽いモノであったのでしょうか。極端に言えば病気というより「日焼け」や「肥満」などのような身体のある状態との認識でしかなかったのかも知れません。その証拠に(歯科医師会ですら)初めは「虫歯」の表記を使っており、昭和17年にやっと「ムシ歯」と表記しています。ムシ歯は「虫歯」ではなく「ムシ歯」なのです。なぜなら「蝕まれた歯:むしばまれたは」でムシ歯なんです。

六月四日は「虫の日」でもあると先日知りました。朝日新聞記事「6月4日は虫の日 危機を生きる小さな命、無視できない」には『絶滅の危険性がより高いカテゴリーになるにつれて、むしろ関心や研究の「熱量」が下がっていく傾向が確認できた。極めて絶滅の恐れが高い、絶滅危惧ⅠA類は最も悲惨で、すでに絶滅した種よりも「無視」されていた』(出典はこちら)。

また別の記事「ムシ嫌い助長する都会の生活 カギは「室内」と「誤解」」も・・『そこで①昔は室内に侵入する虫は感染症の病原体を運ぶリスクがあったため、嫌がられた②危険な虫を怖がらないよりも、無害な虫を怖がる方が「誤解」のコストが低く、虫を嫌がる方が合理的、という二つの要因から、都市部では虫嫌いが助長されやすいとの仮説を立てた』(出典はこちら)。いずれも無視できない話です。

不快害虫という言葉をご存じでしょうか。不快害虫「本来無害むしろ益虫にもかかわらずヒトから不快に思われるゆえ駆除の対象とされる虫」のことです。迷惑千万な話です(こちらもどうぞ)。知り合いの和尚さんの話・・ゴキブリであっても出会ったら視界から消えるまで「目を瞑る(つむる)」・・さすがです。

最後に小生にとっては無視できないお話。何気なくラジオを聞いていると、番組「ラジオ英会話」から次のようなダイアログが・・。

私事で恐縮ですが、昔のこと祖父の入院時、朝刊を届けるついでに義歯を洗おうと病室近くの洗い場に行ったところ「食器洗い場」と「洗面所」の二箇所ありました。小生迷わず、食器洗い場の方で義歯を洗っていたところ「入れ歯は洗面で!」と面識のない付き添いの方に言われました。一瞬「入れ歯は食器よりもキレイであるべきなのに」「食器より入れ歯の方が格が上でしょ」と違和感を覚えました。歯科医師にとっては無視できない誤認です。

鹿児島は梅雨の中休みゆえか、日中はすこし蒸し蒸し。皆さま、ご自愛の程ご歯愛の程。9100


https://youtu.be/SSudCtDoSTk

BBTime 520 ゆめゆめ

BBTime 520 ゆめゆめ
「夏草や兵どもが夢の跡」松尾芭蕉

句の解説には『五月雨の降のこしてや光堂:旧五月十三日、芭蕉と曽良は平泉見物に訪れ、別当の案内で光堂(正式には金色堂)を拝観している。「おくのほそ道」の途次のことだ。句意を岩波文庫から引いておく。……五月雨はすべてのものを腐らすのだが、ここだけは降らなかったのであろうか。五百年の風雪に耐えた光堂のなんと美しく輝いていることよ。とまあ、これは高校国語程度では正解であろうが、解釈に品がない。芭蕉はこのように光堂の美しさをのみ詠んだのではなくて、光堂の美しさの背景にある藤原氏三代やひいては義経主従の「榮耀一睡」の夢に思いを馳せているのだからである。有名な「夏草や兵どもが夢の跡」はこのときの句だ。』(解説より抜粋)。今回は「ゆめ」について。

先日、目覚めた時に、ふと気が付いたんです。睡眠中に見る「夢」と、あなたの夢は?と聞かれて「はい、私の夢は宝くじ1等に当たることです」「ムシ歯をなくすことです」の「夢」は全く別物であるということに、今更ながら気が付きました。

全く同じ「夢」を使うため「どうせ夢なんだから、実現できなくてもいいんじゃない」「そんなの単なる夢よ」「バカな夢見るのはおよしなさい」等々、言われるのがオチ。目覚めるといつしか忘れてしまう儚い夢と「将来こうありたい」「いつしかこうなりたい」の「夢」が漢字も同じであるため、混同されていると思いました(これまた今更ながら)。

ラジオか何かで聞いたのですが、就寝中に見る夢は、寝ている間の脳内整理整頓で出たゴミだそうです。ホリエモンの文章に『僕が睡眠時聞を大事にするのは、ビジネスや遊びの能率を上げるためだ。人間は通常、睡眠中に浅い睡眠と深い睡眠を1~2時間のサイクルで繰り返す。脳内では、深い眠りの間に昼間の短期記憶が整理され、浅い眠りのときに長期記憶への固定化が行われるという。つまり、学んだ知識を自分のものとして定着させるには、睡眠中の記憶の固定化が欠かせないのだ』(出典はこちら)。ここに出てくる「深い眠りの間に昼間の短期記憶が整理され」た時のゴミとのこと。よって目覚めた時には夢の内容を覚えていても「おはよう」と言った瞬間に忘れてしまいがちだし、無理して思い出さない方が脳のためには良いそうです。寝ている間に見る夢はゴミ(不要なもの)ですが、若い時に見る夢はゴミではありません。

現在放送中のNHKラジオ第二「こころをよむ」の「健康長寿の”賢食”術」に「上医治未病」が出てきます。日経新聞記事に『中国の古い医学書「黄帝内経」にこんな記述がある。「上医治未病、中医治欲病、下医治已病」。大まかな意味は「一流の医者は、病気にさせない。二流の医者は、病気になりかかっている人を治す。三流の医者は、病気になっている人を治す」。一流の医者は、まだ病気になっていない「未病」を治すと諭している』(出典はこちら)。古い医学書「黄帝内経:こうていだいけい」とは前漢代に編纂された中国最古の医学書(wikipedia)と言われるもので、前漢とは紀元前206年−8年の王朝です。二千年以上も前に、病気になりかかっている人を治すのではなく、さらに手前の未病の人を治す医者が最良の医者であるという考えがあったことに驚きました。まさしく治療ではなく予防する医者です。

歯科医院の電話番号に「6480」を見かけます。ムシ歯ゼロの語呂合わせです。ムシ歯ゼロもしくはムシ歯予防は「夢」なのでしょうか。いえいえ決してそんなことはありません、実現可能なことです。「上医治未病」とはまさにムシ歯ゼロを実現している歯科医。全ての歯科医は「上医:最良の医者」になることができます。

夢を掴むような、いえ雲を掴むような話になりましたが、最後におまけをひとつ。今宵の夢見る前の歯磨きだけは「ゆめゆめ忘るるなかれ」の「ゆめゆめ」を漢字で書くと?・・驚くなかれ「努努:ゆめゆめ」なのです。では皆さま、ご自愛の程ご歯愛の程。8290



BBTime 516 明珍家の音

BBTime 516 明珍家の音
「厚餡割ればシクと音して雲の峰」中村草田男

厚餡:あつあん「薄皮の饅頭でしょう」と解説にありますが、歳時記によっては「あんパン」とも。ちと早いのですが・・『季語は「雲の峰」で夏。もこもこと大きく盛り上がった入道雲を意識しながら、何も暑い季節に「厚餡(あつあん)」を「割る」こともあるまいに、と……。要するに、飲み助は甘いものを暑苦しいと思い込んでしまっているのです、たぶんね。でも、最近酒量の落ちてきた私にはよくわかるようなつもりになっているのですが、そんなことはないようです。薄皮の饅頭(まんじゅう)でしょうか。特に冷やしてあるわけでもないのに、手にする「厚餡」入りの菓子はどこか冷たく重く感じられます。作者が言いたいのは、この「厚餡」と「雲の峰」との質感の相似性でしょう。あの「雲の峰」も、いま手にしている饅頭と同じように、そおっと丁寧に「割ればシクと音して」割れるようだ。「シク」が眼目。「パクッ」でもなければ、ましてや「バカッ」でもない。あくまでも大切に割るのですから、無音に等しい「シク」と鳴るわけですね。日本のどこかで、今日もこんなふうに「雲の峰」を眺めている人がいるのかと思うと、それだけでも心が安らぎます』(解説より抜粋)。今回は前回「変異人」を踏まえて「変異しない」についてのお話。

画像は姫路の明珍火箸風鈴、まさに明珍さんは「変異人」・・時代の流れに形は変われど、唯一変異しなかったものは「音」なんです。以前、拙連載「ものづくり名手名言」で取材させていただきました。以下、抜粋引用します。
『まずはいただいた資料を元に、明珍家の歴史を少し紹介します。・・・“明珍”の名の由来は、平安の頃、京都九条で甲冑師をしていた宗介紀ノ太郎が、近衛天皇に鎧、轡を献上したところ「触れあう音が朗々とし、明白にして、たぐいまれな珍器である」とお気に召され、明珍の姓を賜ったとのことである。江戸時代になると、明珍宗信が江戸に居を構え、17世紀半ば以降、系図や家伝書を整備するなどして自家の宣伝に努めた。また、鍛造技術を顕示した作品を残すとともに、古甲冑を自家先祖製作とする極書(きわめがき;鑑定書)を発行している。特に、明珍家の特徴としては家元制度を整えたことであり、江戸時代の明珍本家には諸国から門人が集まった。その後、徳川譜代の大名で姫路城主となった酒井公に従って姫路に移り住み、代々が歴々の藩主に仕えた藩お抱えの甲冑師で、千利休の注文によって茶室用の火箸を作ったことが語り継がれている。』(引用元

「52代目として当然のことのように、家業を継がれたのですか?」・・とんでもありません、そりゃあもう大変でしたわ(笑)。江戸の終わりまでは酒井の殿様から禄貰うて仕事してたわけです。そやから、贅沢はできませんけど、衣食住には困らしません。そら、ええ仕事できますわ。それが、明治になって禄がのうなりました。作るもんも甲冑から、それまでは副業やった火箸が専業になってきたんですわ。大正時代ですか? 志賀直哉の「暗夜行路」は。あの本のなかにも「明珍火箸」がでてきます。まあ当時は必ず、家に一つは火箸があったもんです。加えて御 先祖さんから受け継いできたうち独特の鍛え方によって、ええ音がする。そういうわけで、そこそこ需要はあったんです。昭和になって、太平洋戦争が本格化した頃に私は生まれました。そりゃもう深刻な鉄不足で、軍が来て鍛冶道具まで供出させられて、親父は少しばかりの財産を切り売りしながら食いつないどったんですわ。・・・終戦後の昭和27年から、地元の名士のかたのお口添えもあって仕事を再開するんですけど、どうにか軌道に乗り始めたと思うたら、今度は昭和35年頃からの高度経済成長による燃料革命ですわ。それまでは、夏場はともかく冬場はまだ注文がありよりました。それが、石油ストーブがでて、ガスコンロに電気コンロと・・・。もうお手上げですわ、注文なんてありゃしません。・・・当時、一番上の兄が親父とやっとったんですけど、そんな状況やさかい、もひとつ身がはいらん。他の兄たち(次男,三男)は、すでに別の仕事に就いていました。さらに私らの生まれた家まで人手に渡る。そんなときに高校卒業。食っていけるめどもありませんけど、今まで何十代と続いた技を「絶やすわけいかんと違うか」という使命感だけで、「何とかやってみよう」「何とかやりたい」という気持ちだけで、家業に就きました。三度の飯食うにも借金せなあかんというときの出発でしたわ。』(引用元)。

「では、そのあとに「火箸風鈴」を考案されたのですか?」・・・そうです。今だに風鈴を考えつかなんだらと思うと、ゾーッとしますわ。さっきも言いましたように、夏場はほとんど注文がありません。代々伝わってきた鍛え方によって、火箸が触れ合うときにええ音がする。ほな、この音を何とか使えんやろかと思うたわけです。そりゃあ、もう生きんがため、この技を伝えんがため、それだけのことですわ。何もきれいごとありゃしません。・・・いろいろ考えて、あれやこれや作ってみましたが、どうにか形になったのが昭和40年頃です。不安いっぱい抱えて店に持っていきよりましたところ、2、3日して店から「売れた。あれは売れるで、はよ作れ」との返事。ということで、少しずつ世間様に知れるようになってきたわけです。(引用元

「その音については?本来、副産物のように思えるのですが・・・。」・・・確かに、鉄に音は必要ないかもしれません。けれども、明珍の姓をいただいたのもこの音のお陰ですし、何十代と続いてきたのもきっとこの音あってのことでしょう。近くの大学で調べてもらったところ、鉄そのものやなくて、鉄の鍛え方にこの音をだす秘訣がある、いうことらしいですわ。その後、音色と余韻が優れていて、しかも音源として安定しているということで、ソニーのマイクロフォンのサウンドチェックに使われるようにもなりました。さらに、冨田 勲先生との出会いによって、この音がクローズアップされるようになり、平成9年からは、NHK「街道をゆく」のテーマ音楽に使うていただきました。また、その年の冬には「伝統工芸を守り,暮らしと心に潤いを与えてくれる音」として「音の匠」(日本オーディオ協会主催)にも選定されました。デジタル技術の発達によって、この音のほぼ完全な再現が可能になったらしく、冨田先生の昨年のロンドン公演「源氏物語交響絵巻」のCD化に際し、この火箸の音を加えたいとのことで、この2月に火箸の音色の録音がありました。何かしら、「源氏物語交響絵巻」のなかの「宇治十帖」で、浮舟が雪の降りしきる宇治川に身投げするシーンに合うらしいですわ。(引用元

「この仕事、槌を握って間もなく40年、鉄に苦しめられ、鉄に楽しませてもらいましたわ」とお話されていました。お話を伺っていて、まさしく鉄のような生き方をしてこられたのだなと思いました。鉄はさまざまな形に姿を変えます。たとえ形は変わっても、鉄は鉄。しなやかさ、強さ、時代に翻弄されるなどの脆さ、加えてこの音。時代に合わせて自由自在に形を変化させながらも、普遍のものをしっかりとなかに秘めている、継承してきている。  この「明珍火箸風鈴」の音はまさしく諸行無常の響き、不立文字の音。音を聞くと、思わず手を合わせて拝んでしまいます。この音色の何ともいえない余韻の底には、脈々と続いてきた明珍家の魂、すなわち伝統が聞こえるような気がしました。(平成12年2000年当時。出典はこちら

抜粋ゆえ話が飛んでおります。是非引用元をお読みください。現在(令和三年五月)、明珍宗敬(むねたか)氏が第五十三代として明珍家を継承されております。平安の世から兜甲冑、火箸、風鈴と形を変えつつも、変わることなく脈々連綿と受け継いでこられたものが「音」。令和はまさに「歳歳年年世不同:歳歳年年(さいさいねんねん)世同じからず」・・あなたの「音」その仕事の「音」・・耳を澄ませれば聞こえてくるはずです。ご自愛の程ご歯愛の程。3310

BBTime 513 理不尽

BBTime 513 理不尽
「行春や鳥啼き魚の目は泪」松尾芭蕉

ひと雨ごとに「行く春」を感じます。この句が詠まれたのは332年前の五月十六日。解説に『芭蕉が「おくのほそ道」の旅に出発したのは、元禄二年(1689年)の「弥生も末の七日(三月二十七日)」のこと。この日付をヒマな人(でも、相当にアタマのよい人)が陽暦に換算してみたところ、五月十六日であることがわかったという。すなわち、三百十一年前の今日のことだった』(2000/5/16の解説より)。「魚の目は泪」の解釈にも諸説あるようです。今回は昨春からのことを念頭においての「理不尽」。

画像は三年前(2018/5/14付)朝日新聞「折々のことば」。読み返してまさに「今でしょ!」と思います。死亡、会社の倒産、店の閉鎖、減収などを「理不尽」の一言で済ますことはできません。が、しかし未だ先が見えず、まだまだ続くであろう現状を思うに、こうでもとらえなければ「忿懣やるかたない」のです。

学生時代、ラグビーやってました。「理不尽」なスポーツです。ボールを前に投げる「スローフォワード」は禁止、スクラムやラインアウトも基本的には同等な条件です。加えてボールがご存じのように楕円球、着地後どちらにバウンドするかは球次第!・・まさに人生。ひとたび試合が開始されると「楕円形が悪い」「スローフォワードのルールが悪い」「・・が悪い」などと言っている暇はありません。

『食事は独りでとるより誰かとお喋りしながらするほうが旨い』・・これも真実。人(他人)に会いたい、集いたい、触れたい・・など、人としての根本的な行為が禁止・制限されるから「忿懣やるかたない」のです。

変異株について次のようなことを耳にしました。『ウイルスは宿主が居ないと生存できないので宿主が全滅してしまうと自分たちも全滅してしまいます。宿主が免疫を付けても繁殖しにくくなり死活問題になりますので変異して生存し続けようとしますが、感染力は上がるかもしれませんが宿主を全滅させないように基本的には弱毒化します』(出典はこちら)。だからと言って感染予防策を怠って良いということではありませんが、永遠に今と同じではないであろうということは想像に難くありません。

ノーサイドの笛が、いつ吹かれるかは神のみぞ知る。その時まで「日常は理不尽」として日々過ごすほうが、賢いでしょう楽しいでしょう。呉々もご自愛の程ご歯愛の程。6060

BBTime 497 大晦日の余禄

BBTime 497 大晦日の余禄
「ともかくもあなた任せのとしの暮」小林一茶

本日で2020年も終わります・・が「ともかくもコロナ任せの歳の暮れ」となりました、どうなることやら。解説には『あいかわらずとぼけていて、わかったようでどうもよくわからない句です。「あなた」をどのように解釈するかによって、家庭の中のことを詠んだ句なのか、あるいは世の中すべてを見渡している句なのかが決まるのでしょう。どちらにしても、「ともかくも」この句を読んでいると、なぜか安心してしまいます。年末だからといって、そうあくせくする必要はない。どうせなるようにしかならないのだからと、だれかに肩をたたかれているような、ほっとした気持ちになってきます』(解説より抜粋)。現状は解説と異なり「どうせなるようにしかならないのだからと・・ほっとした気持ち」にはなれませんが。さて恒例の大晦日の余禄です。今年一年366日を振り返ってみましょう。ちなみに昨年2019年はこちらへ。画像は今朝(12/31)の雪化粧した桜島。

新型コロナウイルスの世界的な感染拡大に揺れた2020年。いろはカルタで振り返る。【い】医療従事者へのエール【ろ】論よりGoTo【は】ハンコ業界の反抗【に】二階からお目付け【ほ】香港、涙の国暗法【へ】平和の礎(いしじ)、核禁条約【と】トランプにバイバイデン【ち】沈黙の巨人【り】竜宮から黒い宝石【ぬ】「ぬれ手であわ」とGAFA規制【る】ルートたどれぬクラスター【を】大阪都構想は二度死ぬ【わ】ワクチン競争曲【か】家族の前で照れワーク【よ】世に訴えたなおみマスク【た】ダウンで信頼ストップ安【れ】レバノンにゴーン【そ】総合的・好かん敵【つ】翼をくださいスペースジェット【ね】寝耳にアベの一斉休校【な】夏に響いた春の球音【ら】来年会いたいキャンパスで【む】ムダノマスクの山【う】腕すり合うもタッチの縁【ゐ】石破氏をたたいて首相の座【の】農相接触者の激白【お】大飯隠せぬ不安【く】苦悩実習生【や】夜郎自大の自粛警察【ま】町のくまさん【け】検察重宝改正案【ふ】フリップ欠かせぬ小池劇場【こ】五輪霧中【え】AI超えで最年少2冠【て】天国からアイーンを【あ】嵐、去る【さ】桜で論外の弁【き】金窮事態宣言【ゆ】夢が暗転クルーズ【め】夫婦(めおと)断罪【み】未来がかかる脱炭素【し】親しき仲にもアクリル板【ゑ】SNSの刃(やいば)【ひ】ヒット曲に魅せられて【も】もうイイデス・アショア【せ】全集中で「答弁控える」【す】巣ごもりであつ森【京】協調の世界、コロナ克服を

(イラストはこちらから引用)いろは四十七文字の中でコロナ関連が二十一字で約半分弱45%、まさにクラスター発生!おそらく余禄の歴史の中でも稀有なことでしょう。
ともかくもコロナ任せの今の世界・・どのような丑歳になるのやら、牛のみぞ知るか。8110


 

BBTime 487 パンとイタミ

BBTime 487 パンとイタミ
「立冬のクロワッサンとゆでたまご」星野麥丘人

クロワッサンとゆで卵の組み合わせが、ホッと温もりを感じさせます。解説にも『このパンの名前にはアンパンやメロンパンとはひと味違うよそいきの雰囲気がある。掲句はもちろん三日月形のパンそのものだろうが、このクロワッサンはおいしそうだ。かさこそ音をたてる落葉道を散歩していると、店先からパンを焼く香ばしい匂いが流れてくる。思わず買ってしまったパンのぬくみを紙袋に感じつつ帰宅。濃くいれた熱いコーヒーにゆで玉子を添えて朝の食卓を囲む。そんなシーンを思い描いた。パリパリと軽いクロワッサンの感触とつるりと光るゆでたまごの取り合わせも素敵だ。一見何の技巧もなく見えるが、これだけの名詞を並べるだけで立冬の朝の気分をいきいき感じさせている』(一部抜粋)。今回はパンと痛みについてのお話。

先日、福岡市の有名なパン屋のショップカードを眺めていて「?」。美味しいパン屋さんなので敬意を表して仮に「パン・ショップ」としましょう。店名がカタカナであれば全く問題ないのですが・・・「pain shop」でパン・ショップなんです。えっ何が「?」なの・・実は、この表記だと「pain:パン」はフランス語で「shop:ショップ」は英語。ですから「pain shop」を英語圏の人は「pain shop:ペイン・ショップ」と読み、「痛みの店」の意味。ペインは英語で「痛み」です。ちなみに英語で「パン:pan」はフライパンのこと。

パンの英語はブレッド(bread)。詳しくはこちらを御賞味あれ。折角ですので、食べる「パン:pain」の語源を調べてみました。時は織田信長の時代、パンはポルトガル人によって日本に伝えられ、ポルトガル語の「パウン」がパンとなったようです。その「パウン」の語源はラテン語の「panis:パニス」で意味は「食べ物、生活の糧(かて)」。鹿児島市にその名もズバリ「panis」というパン屋さんがあります。ここがまた「生きる糧・食べる喜び」を与えてくれる美味しさ!

さて、時に「痛くなったら来ます」とおっしゃる方がおられます。ところが歯に関しては、痛くなった時には手遅れ(不可逆的)のことが多いのが、歯科治療のイタイところです。是非、痛みがない時・問題ない時に来られることをオススメします。お節介ですが、pain(パン)もイタミがくる前に美味しくどうぞ。皆さま、ご自愛のほど御歯愛の程。5880

BBTime 483 スフォリーノ

BBTime 483 スフォリーノ
「梅干の真紅を芯に握り飯」中嶋秀子

握り飯なのにパスタ?まずは句の解説からどうぞ。『季語は「梅干」で夏。梅を干す季節から定まった季語だが、句のように「握り飯」とセットになると、夏よりもむしろ秋を思わせる。運動会の握り飯、遠足やハイキングの握り飯など、とりわけて新米でこしらえた握り飯は美味かった。当今のスーパーで売っているようなヤワな作りではなく、まさに梅干を「芯(しん)」にして固く握り上げたものだ。飾りとしか言いようのない粗悪な海苔なんかも巻いてなくて、純白の飯に真紅の梅干という素朴な取り合わせが、目の保養ならぬ目の栄養にもなって、余計に食欲が増進し、美味さも増したのだった。掲句は、そうした視覚的な印象を押し出すことによって、握り飯本来の良さを伝えている。昔話「おむすびころりん」のおじいさんが取り落とした握り飯も、きっとそんな素朴なものだったのだろう(後略)』(解説より)。

加えて春の句ですが「母の日のてのひらの味塩むすび 鷹羽狩行」・・『海苔も巻かず、米と塩だけを供する塩むすびはまさしく家庭の味。かつての母達は、おなかをすかせた子供達のためにさっとおむすびを作ってくれた。贅沢とは無縁だった古き日本の母親達は、その<てのひら>から素朴な、しかし間違いなく美味しいものを生み出してくれた。子が母を信頼するのは、理屈ではない。空腹を満たしてくれたかどうか、である』(櫂未知子著「食の一句」82頁より引用。BBTime449「笑の素」参照)。

今回「塩むすび」のようなパスタを見つけました!皆さん「スフォリーノ:Sfoglino」というイタリア語をご存じでしょうか?小生、初めて知りました。スフォリーノとは『ボローニャでは、パスタの製麺に従事する者を2通りの名称に分けて呼びます。ひとつは”Pastaio”、もうひとつは”Sfoglino”です。Pastaioとは機械を用い製麺する者、SfoglinoとはMatterello(麺棒)を用い完全手作業で製麺する者を示します』(出典はこちら)。先日、フリーペーパーの記事「間借りのグルメ」に「ボローニャ仕込みの週末限定手打ちパスタ」の小見出し。これは調査隊としては百聞は一見に如かず!と先日早速調査へ。そのパスタが冒頭の画像で、次はその記事。

日曜の昼お店に・・白シャツの清潔感ある男性(この人がスフォリーノ)がにこやかに迎えてくれました。間借りゆえか流しの台に「茹でるだけですから」と電熱器ひとつ。きしめんのような平たいパスタの「タリアテッレ」(冒頭画像)と、クリームチーズとほうれん草を詰めた「トルテッローニ」(次画像)の二種のみ。二人で二種頼みシェア、まずはタリアテッレを口に、続いてトルテッローニ。食べ終わらないうちに「替え玉(お替り)可能ですか?」・・「はい可能です」。

感動でした。これ以上「何も足さない何も引かない」パスタ。初めての味わい、蕎麦なら掛け蕎麦、うどんなら素うどん。思わず質問「スフォリーノを名乗っている方は九州でも少ないでしょう?」・・「ひとりです」。「鹿児島市で究極のシンプルパスタだけを提供する」「スフォリーノを名乗る」に対して感動しました、もちろん味にも。ソースも具もないパスタのみで客を満足にさせる・・スフォリーノとしての「気合い」のみで客を幸せにする、志の高さに脱帽です。まさにパスタの伝道師!

画像は再びタリアテッレ。麺は小麦粉と全卵(白身と黄身)のみから作られます。週末(金土17時〜21時、日12時〜14:30)だけの営業。インスタグラム@sfoglinoyoshimoto スフォリーノに敬意を表してイタリア語の曲を。参考までに兄弟子の方の記事を二つ、こちらこちら。ではでは、ご自愛の程ご歯愛の程。1600


BBTime 481 咖哩

BBTime 481 咖哩:カレー
「秋風やカレー一鍋すぐに空」辻桃子

「カレェェ鍋 すぐにそら」ではなく「カレーひと鍋 すぐにから」です(笑)。解説は『ややこしい句がつづいたので、スカッとサワヤカに。「空」には「から」の振り仮名。カレーライスは、こうでなくてはいけない。いつまでも、ぐちゃぐちゃと食べるものではない。福神漬かラッキョウを添えて(ベニショウガもいいな)、一気呵成に口に放り込む。食べた後の一杯の水の、これまた美味いこと。健啖の楽しさに充ちた爽やかな句だ。この句を思い出すと、つられてカレーが食べたくなってしまう。カレーは、子供が辛いものにも美味いものがあることを知る最初の食べ物だろう。なかには父親の晩酌相手の塩辛だったという剛の者もいるけれど、たいていはカレーだ。私も、そうだった。塩辛とは辛さが違い、唐辛子のそれとも違い、なんだか不思議な辛さだなと、子供心に思ったことである。ハウス・バーモントカレーもいいけれど、専門店のカレーはやはり唸らせる。ただし、私には激辛は駄目。いつだったか、タイに住んでいたことのある人と一緒に食べたことがあるが、一口でダウンした。その人は、この程度じゃ利かないねと澄ましていた。専門店もいいが、蕎麦屋系の店が出すとろみのある和風味のカレーも好きだ。ただ、そういう店ではよく、水の入ったコップに匙を漬けて出してくる。あれは、いったい何のマジナイなのだろう。あれだけは、ご免こうむりたい。『ひるがほ』(1986)所収。(清水哲男)』(解説より)。今回はカレーについて、ひと言。

実は昨年より月に数回、厨房に立つようになりました。先々を考え「まったく料理できません」では話になりませんので。・・料理に関しては苦い思い出が・・今から四十年近く前、大学三年か四年のゴールデンウイーク。ラグビーの春のリーグ戦が始まったばかりで、連休中ももちろん練習、日によっては午前午後の二回。この時、何を思ったのかチャーハンを自炊。当時たまに作っていましたが、小生にとっては「自炊=苦行」でした。理由は明白。空腹ゆえ料理を作るのに、完成まで食べられない!まさに苦行。料理途中つまみ食いするので、完成時には半分程の量しか残っていませんし、途中つまみ食いするものは、半焼けや半煮え。その自炊チャーハンに当たってしまったのです。使った卵が古かったのか?おかげで連休中、果物しか喉を通らず苦しい連休となりました。それ以来、自炊をやめました。

閑話休題。思い描く味のゴールは熊本市の「洋食屋橋本」の土鍋で供されるカレー。
家人に必要な材料を聞き、リストを作りスーパーに買い出し。数回目からは「牛すじ」に凝り下処理もじっくり。「豚軟骨」に至っては四時間以上かけて。カレールゥもその都度変えて味比べ。食事後の皿洗い・鍋洗いで、スポンジが油でべたべたになるのに驚きながら・・。

近頃では、理想の味に程遠いものの「我ながらまずまずのカレーができた」とひとりほくそ笑んでおりました。カレールゥ以外にカレーフレークの存在も知り使うように。巷のカレー屋は「スパイスカレー」がちょっとしたブーム。足を運びつつ、スパイスカレー(この表現も考えてみれば奇妙)には舌を出しても手は出さないと思っておりました。ところが、小生に刺激を受けた?家人が作ったスパイスカレーが美味!それ以来、ルゥやフレークで作るカレーには戻れなくなりました。

ネットで「印度カリー子」氏の記事で「日本のカレーはイギリス由来の煮込みカレーで、インドのカレーは炒め物」などを読むと妙に感心したり。必須のスパイスも普段に入手可能な「クミンパウダ・コリアンダ・シナモンパウダ」の三種のみ。このレシピで作ってみると、最後に味の調整が必要でした(甘酢と蜂蜜)が、従来のルゥカレーに比ぶれば「すぐに空」「お替り」と言いたくなる程の美味しさでした。

小学生の頃から、母が家で作る様子、当時のバーモントカレーのCM、キャンプでのカレー作り体験などから、カレーとは肉にジャガイモ、にんじんなどを入れて、箱入りカレールゥのもとを加え、煮込んで作るものと洗脳されていましたので、今回のスパイスカレーを自炊可能であることは「眼から鱗・口からヨダレ」でした。思い込みは損すると、実感した次第でした。皆さま、ご自愛の程ご歯愛の程。0620