BBTime 452 しつこい

BBTime 452 しつこい
「外郎たべる五月のゆきどまり」服部智恵子

今春はコロナに始まりコロナに終わりました。気がつくと鹿児島は既に五月下旬、初夏の始まりです。今年2020年には春がなかったような・・。句の解説に『作者は、このもっちりした歯触りの菓子を食べながら、どういう事情からかはわからないが、五月も末になってにっちもさっちも行かなくなった状況に憮然としている。一年十二ヶ月を道に例えれば、いちばん「ゆきどまり」を感じるのは、年末の十二月か決算期の三月あたりが一般的だろう。そこへいくと、五月はすうっと通り抜けやすい感じが強い。だからこそ作者も憮然としているのであるが、しかし外郎を食べているくらいだから、事態はそんなに深刻ではないのかもしれない。歯切れという意味ではいささかもたつく外郎と、清々しい月のイメージからは外れた閉塞感との取り合わせが、どことなく滑稽にも思えてくる。もっともこの句を、あまり理詰めに散文的にパラフレーズすると、かえって味が落ちるような気もする。作者は実景や心情を帰納的に表現したのではなくて、自分のなかで整理のつかない心持ちを「たとえば、こんな感じかなあ」と演繹的に詠んでみたのだと解するほうが面白そうだ。そういう詠み方も、無論あってよい。『褻と晴と』(2003)所収。(清水哲男)』(解説より)。

老婆心ながら「憮然」について・・本来の意味は「意外なできごとに、呆然(ぼうぜん)とする様子、ぼんやりする様子」です。必ずしも不機嫌ではありません。さて今回は「しつこい:いつまでもつきまとわれて耐え難く思う様子」について。

去る冬、コロナ禍の始まりには「暖かくなれば収束する」とも言われていましたが、さにあらず。初夏になろうとする今「コロナと共に:With Corona:ウイズ コロナ」と言われ始めました・・しつこい!記事に『「新しい生活様式」が提唱されるなど、影響の長期化も懸念されています。そうした中でいま注目されている考え方が、「withコロナ」の社会。新型コロナウイルスと“共に生きる”ことを前提に、私たちの暮らしのかたちそのものを、変えていこうというのです。「withコロナ」の新しい社会へ、どう変わり、どう生き残っていくのか』とあります(出典はこちら)。しつこいコロナウイルスと共に生きる・・withCorona・・閉塞感です。コロナはさて置き、口の中の「しつこい」に話を進めます。

今更ながら『なぜムシ歯になるのか?」の興味深いイラストを見つけました。口の中の「しつこい」がムシ歯を発生させます。「バイオフィルムの形成とう蝕の発症メカニズム」のページから引用します。
1)歯の表面、歯肉溝(しにくこう)、歯周ポケット内セメント質表面に、糖タンパク質や静電気などによって0.1~1μmのペリクルを形成します。これは防ぐことはできません。

2)ペリクルは歯の表面を守る機能も持っていますが、同時にムシ歯菌などを引き寄せる性質も持っています。ペリクルを足掛かりに菌が付着し初期プラークを作ります。

3)初期プラークに、ムシ歯菌を始め雑多な菌が増殖することでマイクロコロニへと成長します。そこに砂糖が供給されるとムシ歯菌がグルカンを作ります。このグルカンが「しつこい」のです。粘着性が強く歯の表面にとどまり、マイクロコロニはより頑固なバイオフィルムへと変貌していきます。このバイオフィルムの中で砂糖を餌にムシ歯菌が酸を作り、その酸で歯が溶かされていくのです。

4)バイオフィルムは言わばバリヤを持っており、抗菌薬(抗生物質)や殺菌・消毒薬などは効きません。このため食べ物に含まれる砂糖を餌にさらに酸生産を続け、ムシ歯を深くして行きます。

・・しつこい話です。このしつこいバイオフィルムを取り除くには、薬液が効きませんので物理的に除去するしかないのです。そうです、ブラシで磨くしかないのです。さらにしつこいようですが、皆様が使っている歯磨き粉はほとんどバイオフィルム除去にプラスにはなっていないのです。BBTime437「鰯の頭も!」ご参照のほど。

唯一確実な方法があります。それは「砂糖を摂らない」こと・・最も効果的ですが、最も非現実的です。歯の健康、ムシ歯予防においては「with 砂糖」・・砂糖と共に「スイーツとともに」で行きましょう、生きましょう、が現実的でしょう。

30秒以上の手洗いが推奨されます。歯磨きはせめて三分以上、日に一回は五分以上は必要です。三分以上磨くためには歯磨き粉なしで「唾液磨き」をオススメします。「しつこい」を辞書で引くと『味などが濃すぎて、いつまでも不快な感じが口に残る様子だ。しつこい味』(新明解国語辞典)とあります。甘い味を楽しんだ後の歯の表面はまさに「しつこい味」。諦めて頂いて磨くより他ないようです。



冒頭の句の解説になぜ外郎をういろうと読むのか・・『名前の由来を、老舗「青柳」のHPより引いておく。「およそ600年前の中国が元の時代、礼部員外郎(れいほうえんういろう)という薬の調達をする官職にあった陳宗敬(自ら陳外郎と称した)が、日本に帰化し、せきや痰に効く薬を伝えた。その子宗奇は室町幕府三代将軍の足利義満に招かれこの家伝の薬を作り「透頂香」あるいは「ういろう」と呼んだ。また、客を接待するためにお菓子の製法も伝えたが、それが黒色・四角で「透頂香」と似ていたところからお菓子の方も「ういろう」と呼ばれるようになりました」』(解説より)。こちら「外郎外伝」もどうぞ。4670

BBTime 447 哲学の時

BBTime 447 哲学の時
「緑なす松や金欲し命欲し」石橋秀野

句の解説は『誰にでも、季節は平等にめぐりくる。が、受け取り方は人さまざまだ。病者にとっては、とくに春のつらい人が多い。中途半端な気温、中途半端な自然の色彩。あるいはそこここでの生命の息吹きが、衰えていく身には息苦しいからである。そんな心境を強く表白すれば、この句のようになる。この句を読んで、誰も「あさましい」などとは思わないだろう。今年も、元気者だけのための「ゴールデン・ウィーク」がやってくる。(清水哲男)』(解説より)。

毎日の流れるニュースの八割以上が「コロナ禍」です。各国の為政者が言います「人命か、経済か」。建前は「人命第一」であると述べる言葉の裏に「経済はどうするんだ?」という本音が見え隠れしています・・これは難題です。

経済:この言葉の由来は「経世済民」で、その意味は『經世濟民(けいせいさいみん、経世済民)は、中国古典に登場する語で、文字通りには、め、ふ:よををさめ、たみをすくふ」の意。「経国済民」(けいこくさいみん)もほぼ同義である。略して「經濟」(けいざい / 経済)とも言うが、主として英語の「Economy」の訳語として使われている今日の「経済」とは異なり、本来はより広く政治統治行政全般を指示する語であった』(Wikipediaより)とのこと。至難の技ですが本来は「命もお金も」どうにかするの意味なんです。しかし時代とともに、次第に「経済」の意味が変化して行きます。

再びWikipediaより引用『しかし江戸後期に入って次第に貨幣経済が浸透すると「經濟」のなかでも「社会生活を営むのに必要な生産・消費・売買などの活動」という側面が強調されるようになっていった。海保青陵は、自著で専ら現在と同じ意味で用いており、これは「経済」という語の早い例である。ただ青陵によると、当時の大坂で「経済家」といえば、治政一般ではなく「金銀の事」に詳しい者を指したと言い、大坂商人の間では現代的な用法は既に常識的だったようだ19世紀前半の正司考祺経済問答秘録』に「今世間に貨殖興利を以て經濟と云ふは謬なり」とあるように、(考祺は批判的に指摘しているものの)今日の用法に近い「經濟」が普及していた』(Wikipediaより)。その後「economy」の訳語として使われ始め、次第に『本来の「経済」の語に含まれていた「民を済ふ」という規範的な意味は稀薄となった』とのこと。

前回「本日誕生日」でバーバパパについて触れました。気が付いたことが・・バーバパパと「シュークリームのビアードパパ」は言葉としては同じで、フランス語と英語の違いです。ちなみに『日本語版での綴りは英語風に「バーバパパ」となっているが、仏語圏では、強いてカナ表記すれば「バルバパパ」という具合に r を発音する。仏語で Barbe à papa は元来「パパのひげ」のことで、転じて「綿菓子」をも意味する。このキャラクター名は、「綿菓子」と「パパ」の2語をかけたもの』(Wikipediaより)です。バーバパパは姿かたちを自在に変えて問題を解決し難局を切り抜けます。よって人々から愛され歓迎されます。

そこで難題難問ですが・・「命か、お金か、人ごとか」。答えはその方の立ち位置・ポジション(職業など)でそれぞれでしょう。正解はないでしょうが、参考にすべきは「バーバパパ」自在に形を変える・・レストランがテイクアウトに切り替える、ネットを活用する等々。職種によっては到底無理な仕事もあるでしょう・・勝手に無責任な思いつきがあります。プロ野球・Jリーグ・大相撲などプロスポーツも大変です・・そこで無観客開催し、勝敗を「賭け」の対象とするのはいかが?観客は入場料の代わりに「掛け金」として支払う、予想が当たればわずかばかり「返金」あり。千円のチケットで三百円くらいでしょうか?残りの掛け金収入は大相撲ならば大相撲協会の収入として力士にはお金は行かない。プロ野球であれば各球団に配分され、もちろん選手にはびた一文も行かない。試合はネットで無料配信する・・結果、人は動かずともお金は動く・・などのアイデアいかがでしょうかね。先日「万馬券」のニュース見て思いました。

イラストをご覧ください、パパがピンクでママが黒です。原作者が日本人ならあり得ない色使いです。既成概念や前例にとらわれず、柔軟な頭で難局を少しでも切り抜ける方法を、国民全員で考える時だと思います。それぞれの物差しや考え方に立って深く「哲学の時」なのではないでしょうか。8980



追加:朝日新聞「折々のことば」に見つけました。

BBTime 446 本日誕生日

BBTime 446 本日誕生日
「古池や蛙とび込む水の音」松尾芭蕉

本日 4/22 「アースデイ:Earth Day」・・『地球環境について考える日として提案された記念日である(中略)アメリカ合衆国ウィスコンシン州選出のアメリカ合衆国上院議員であったゲイロード・ネルソン英語版は、レーニン生誕100周年日にあたる1970年4月22日に環境問題についての討論集会を開催することを呼びかけた。この呼びかけに呼応した人間の数は2000万人以上であったとも言われている。この時、ネルソンがアメリカ合衆国内の活動の統括役として選び出したのが、当時スタンフォード大学大学院生であったデニス・ヘイズである。ヘイズはガレット・デュベルを編集者として討論集会の為のハンドアウトを作成するなど、ネルソンの構想に協力して集会を成功に導いた。ヘイズはこれをきっかけとして大学を去り、アースデイの定着に力を注いだ。その後、4月22日のアースデイ集会という運動形態は、全世界へ広まっていった。またアメリカでは、この行動によって、環境問題に対して人々の関心が払われるようになり、環境保護庁の設置や各種環境保護法が整備された』Wikipeiaより。1970年のことですから本日「アースデイ」50歳の誕生日です。

実はこのブログ「connote:カノート」も誕生日。1999/04/22にスタートしました、21歳です。ネットで知ったのですが他にも「サザエさん」74歳、「バーバパパ」50歳も今日が誕生日のようです。

サザエさん:『原作漫画は新聞連載の4コマ漫画である(ただし、5ページほどのショートストーリー漫画が雑誌連載されており、「別冊サザエさん」に収録されている)。西日本新聞社から独立したフクニチ新聞社の整理部長牟田口宗一郎が長谷川に福岡地方新聞夕刊フクニチ』誌上での連載を依頼1946年(昭和21年)4月22日から連載を始めたが、長谷川が東京へ引越しするために連載を打ち切った』Wikipediaより。画像は第一回目の「サザエさん」です。

バーバパパ:土の中のピンクの丸いのがバーパパパです。記事を見つけました、以下引用『「バーバパパ(Barbapapa)」の名前の由来となった「Barbe à papa」とは、フランス語で「おじさんのヒゲ」「わたあめ」という意味。フランスではわたあめと言えばピンク色なのだそうだ。1969年のある日、アメリカからパリに旅行に来ていたテイラーがカフェで偶然アネット・チゾンと隣り合った。そこで「わたあめが欲しい」と言っている子どもたちを見て、テイラーが紙ナプキンに描いたいたずら書きからバーバパパが誕生したと言われている。当時、テイラーはフランス語がしゃべれなかったため、2人は絵を交換しながらコミュニケーションを取っていたわけだ。2人はのちに「バーバパパ」の共著者、そして夫婦となる』(引用元)。

さて22日には他にも「マルマルの日」があります。ご存じの方も多いでしょう、今日はショートケーキの日です。理由は月カレンダーをじっくり眺めてください・・わからない時にはこちらをどうぞ

冒頭のあまりにも有名な句の解説に『俳句に関心のない人でも、この句だけは知っている。「わび」だの「さび」だのを茶化す人は、必ずこの句を持ち出す。とにかく、チョー有名な句だ。どこが、いいのか。小学生のときに教室で習った。が、そのときの先生の解説は忘れてしまった。覚えておけばよかった。どこが、いいのか。古来、多くの人たちがいろいろなことを言ってきた。そのなかで「実際この句の如きはそうたいしたいい句とも考えられないのである。古池が庭にあってそれに蛙の飛び込む音が淋しく聞えるというだけの句である」と言ったのは、高浜虚子だ(『俳句はかく解しかく味う』所載)。私も、一応は賛成だ。つづけて虚子は、この句がきっかけとなって「実情実景」をそのままに描く芭蕉流の俳句につながっていく歴史的な価値はあると述べている。この点についても、一応異議はない。が、私は長い間、この句の「実情実景」性を疑ってきた。芭蕉の空想的絵空事ではないのかと思ってきた。というのも、私(田舎の小学生時代)が観察したかぎりにおいて、蛙は、このように水に飛び込む性質を持っていないと言うしかないからだ。たしかに蛙は地面では跳ねるけれど、水に入るときには水泳選手のようには飛び込まない。するするっと、スムーズに入っていく。当然、水の音などするわけがない。そこでお願い。水に飛び込む蛙を目撃した方がおられましたら、ぜひともメールをいただきたく……。』(解説より)。季語はもちろんのこと、和菓子の「銘」にも自然に関する言葉が多く見られます。理由は「自然への畏怖・敬意の表れである」とラジオで聴きました(NHK第二「こころをよむ」和食という文化)。

人が奢ると、地球は「神」の仕業に見せかけてヒトに「灸をすえる」ような気がします。人々が地球に負荷をかける、環境を破壊する、あたかも地球を支配したかのような振る舞いをする・・きちんと考え直すのが「今でしょ」と思わざるを得ません。8160


https://youtu.be/TsOiit3Mu3k


BBTime 428 時計と手帳

BBTime 428 時計と手帳
「蛇穴を出づるとの報時計見る」鈴木鷹夫

題名よりも本文の方が短い草野心平の「詩」です。昨今、ラジオから早すぎる季節の便りが聞かれます。確実に地球温暖化が進んでますね。雲雀(ヒバリ)や桜はたまた向日葵(ひまわり)の報まで・・。掲句の解説は『季語は「蛇穴を出づ」で春。ははは、とても可笑しい。面白い。でも、どういうシチュエーションなのだろうか。冬眠から覚めた「蛇」を見かけたという「報」が入った。「ずいぶんまた、今年は早く出てきたな」と思った作者は、途端に無意識に「時計」に目をやったというのである。つまり、そこで普通なら「今日は何日だったかな」と壁に掛けたカレンダーなどで確認するところを、思わずも「いま、何時だろう」とばかりに、時計を見てしまったというわけだ。カレンダー付きの時計もなくはないけれど、そうした種類の時計ではない。あくまでも、普通の時計だからこそ可笑しいのだ。咄嗟の行為だから,シチュエーションとしては電話で報せてきたと考えるのが妥当で,手紙だったらこのような間違いにはいたらないはずだ。作者はとにかく間抜けなことをやっちまったわけだが、しかしこの種の間抜けは、誰にでも思い当たる質の間抜けである。すっかり日常的に身についている行為が,何かの判断ミスから、すっと出てきてしまう。だが、その間抜けは、多く自分にだけわかる性質のものであり、たとえばこのときに誰かが作者の傍らにいたとしても、単に時計を見た作者の行為が間抜けとはわからないわけだ。したがって,間抜けの主人公は一瞬「しまった」と思い,だが次の瞬間には(誰にもそれと悟られなくて)「ああ、よかった」となる。ましてや、この場合の素材が眠りから覚めたばかりでボオッとしているであろう蛇だから,余計に可笑しく写る。そんな微妙な色合いの失敗を、淡々として提出している作者は,おそらく人生の機微をよく知る人なのだろう。『千年』(2004)所収。(清水哲男)』(解説より)。

今回は「時計と手帳」について・・。年明けて使い始めたものに「Apple Watch 3」と「ほぼ日手帳オリジナル」があります。この2つ対照的でデジタルとアナログです。まだ2月初旬ですが、小生の今年の買い物ベスト3に間違いなくランクインするでしょう。まず時計から。

「Apple Watch 3」シリーズ5が出たため、税別22,800円で購入可能です。昨年6月下旬から体重記録しながら減量に取り組んできましたが、71kgを境に壁が・・それ以上減らないのです。かといって食事量を減らしたくないし・・解決法は明白。運動量増加しかありません。そこで白羽の矢を立てたのが「Apple Watch」。悩みました・・「3」か「5」か。決断は正月二日に到来、何とアップルから対象商品にはお年玉が出るとの報。たまたま福岡市にいたため勇んでアップルストアに・・しかし長い長い行列でした、残念。ところがその夜、ネット購入でもお年玉がもらえることを知り決断しました。アルミケースを選び、シリーズ3は白バンドですので赤バンドも注文。が、パソコンをポチッとした後も一抹の不安が・・これで本当に(サイトで謳っているように)アクティビティ(活動・運動)が増えるのか?・・杞憂でした!今、歩く歩く!これまで自転車使用の距離も喜んで歩いています。駅エスカレータ、ビルエレベータも階段選択、歩く歩く!Watchの心憎い仕掛け(バッジや通知というよりお節介)も結構背を押してくれます。「耳からウドン(AirPods)」との相性もバッチリ!迷っている方にはオススメします。

かたや「ほぼ日手帳」長らく「weeks」使用でしたが、十年ぶりくらいに「オリジナル」に変えました。1日1頁ですので、これまでの使い方のメモや記録だけでは埋まらない日もあります。しかし、余白を残したくないので埋める(書く)か貼るかして無理矢理消化します。ラジオ外国語テキストの文章、気になる俳句、楽曲の名前、目についた語句等々・・先日「韜晦:とうかい」をメモ、意味は「自分の才能、地位などを隠しくらますこと」、また朝日新聞「折々のことば」など貼るのにジャストの大きさ。

これらに言えることは、画像にあるように「行為を豊かにする装置」です。BBTime 422 「革命的」に取り上げた「いいデザインは革命的である。Good design is innovative.」「いいデザインはデザインが最小限である。Good design is as little design as possible.」とはこのようなデザインを言うのでしょう。もっともっと歩きたくなる「時計」、さらに更に書きたくなる「手帳」。まさしく「生活を豊かにするモノ」「ライフを幸せにするモノ」です。

このような意味合いで、手帳開発者イトイさんはLIFEのBOOKと表現していらっしゃるのでしょう。ほぼ日手帳がLIFEのBOOKなら、さしずめApple WatchはLIFEのWATCH。小生オススメの「チョコブラシ」も生活を豊かにする歯ブラシと自負しております、ご興味ある方は是非。0300




このCMは誇大広告ではありません(笑)よ。

BBTime 421 耳うどん

BBTime 421 耳うどん
「パンに耳うどんに腰や冬うらら」千坂希妙

バイアスがかかってました(笑)。毎日新聞朝刊(1/13付)に、この句を見た瞬間「耳うどん」が俳句に詠まれてる!と驚き「パンに 耳うどんに 腰や冬うらら」と読んでしまい何度読んでも「?」意味不明・・前回「うどんの形」をアップしたので頭の中に「耳(から)うどん」が茹で上がっていました。皆様は、お分かりのように「パンに耳 うどんに腰や 冬うらら」です。普通に読めばすんなりと解説文も理解できます。(バイアス:思い込みや偏見)

以下解説より『「パンに耳うどんに腰」がある。では、大根には?答えは「足がある」だろうか。とまれ、こうした言葉遊びを楽しむような、いわば能天気でおだやかな日和、それが季語「冬うらら」』(毎日新聞季語刻々より)。

「大根には足がある」もバイアスがかかっているような気がします(笑)。「首がある」も正解では?(青首大根があるでしょ)。さて「お菓子を食べすぎるとムシ歯になる」・・これもバイアス。他の食べ物でもムシ歯になります、砂糖が僅かでも含まれていればムシ歯になり得るのです。肝心なのは「何を食べてもいいので、食べた後にいかにキレイにするか」。お菓子→甘い→砂糖が多く含有であれば、ムシ歯のリスクは高くなりますが「お菓子の食べ過ぎ=ムシ歯発生」ではありません。

さらに「歯を磨けばムシ歯予防できる」も思い込みです。歯を磨くことはできますが、完全に磨き上げることは、ほぼ無理難題なのです。そのため歯医者の口から「あまりお菓子を食べないように」の一言が出るのです。毎日100%磨き上げるのは無理ですが、乱暴な言い方をすると「一週間で磨き上げる」ことは可能です。歯ブラシのみならず、フロスや歯間ブラシも使ってくださいませ。定期的(せめて3ヶ月に1回)な歯科受診もお勧めします。チョコマカ磨きしやすい「チョコブラシ」もオススメです!2120

BBTime 417 門松の竹

BBTime 417 門松の竹
「まつかれてたけたくひなきあしたかな」作者不詳

ネットで見つけた画像です、よく見ると竹が水平に切ってあります。「寸胴:ずんどう」と呼ばれネット記事には『門松の寸胴は水平に竹が切られている状態のものを指します。こちらの形が実は門松の本来の形状で、そぎの切り方は後ほど現れた形です。元々は寸胴の方が一般的で、江戸時代以前は寸胴でした。江戸時代になっても武家の家では寸胴の門松が飾られたと言われています』(出典はこちら そぎ:斜めにカット)とありました。

では斜めカット(そぎ)の由来は・・結構えぐい話です。冒頭の句の解説に『新年早々、頭の体操です。この句は、どう読んだらよいのでしょうか。時は戦国時代。元亀四年正月。浜松北方の三方ケ原で武田軍との合戦に破れ、浜松城に逃げ帰りシュンとしていた徳川家康のもとに、武田方よりこれみよがしに上掲の句が届けられた(昔の戦さは呑気なところがあった)。読んでみると、「松(松平=徳川)枯れて竹(武田)類なきあしたかな」とあり、要するに、これからは武田の天下なんだぞと書いてあった。家康にしてみれば、結局はこの敗戦が生涯唯一のものになるわけだから、その意気消沈ぶりもすさまじかったに違いない。そんな心境の彼に、句の追い討ちである。まいったなあ。落ち込んでいると、徳川方にも知恵者がいた。「殿、おそれながら……」と、彼は独自の読み方を披露してみせたのである。すなわち、「松枯れで武田首無きあしたかな」と。これで家康も元気になった。で、ここからが本題。いまだに東京などで門松の竹を槍のように尖らせているのは、このときの「武田首無き」という徳川方の解釈に由来している。武田の地元である山梨県や外様大名の支配下にあった土地では、門松の竹は節のところから水平に切り落として飾るのが普通だ。お宅は、どちらでしょうか。(清水哲男)』(解説より)とあります、血生臭い話です。

来週月曜日(1/6)より今年の本格始動の方も多いことでしょう。「口は生きるの1丁目」、「百年一生」の百分の1の2020年今年、ご自愛の程ご歯愛の程!年の始め、エンジン始動にはこの曲を!6100


おまけ:あるラジオ番組でゲストデザイナーが「今年2020は、アヒルが卵を背負って歩いているようだ」と、言い得て妙!ひょっとすると子年ならぬアヒル歳?

BBTime 414 亥年の余禄

BBTime 414 亥年の余禄
「その前に一本つけよ晦日蕎麦」鷹羽狩行

今年も大晦日になりました・・皆様の一年はどのような歳でしたか?句の「その前に」には「名残惜しさ」を含んでいるような気がします。余禄をもって振り返ってみます。イラストの出典はこちら

今朝(12/31)の毎日新聞「余禄」より・・『元号が令和になった2019年。いろはカルタで振り返る。【い】イチロ邁進(まいしん)の野球人生【ろ】ロン待つ黄泉路(よみじ)ヤスがゆく【は】板門店またいではみたが【に】24時間戦えません【ほ】補助金取れんナーレ【へ】ベスト8でにわかファン【と】都知事にバッハの戦慄(せんりつ)【ち】チッ、チケット当たらず【り】輪禍悲痛【ぬ】抜き差しならぬ日韓【る】は客を呼ぶ【を】沖縄の心、国知らず【わ】ワンチームに遠い世界【か】家族差別も根絶へ【よ】世つなぐ京アニ愛【た】台風停電で逐電ちくでん)【れ】令和平安絵巻【そ】ゾゾをヤフーでラインして【つ】ついに撮った漆黒の穴【ね】子年に祈る子の平安【な】なんと、クリステル【ら】来夏よりパリで璃花子の夢【む】無理だ老後2000万【う】宇宙のかなたにタッチダウン【ゐ】いつまデモ香港【の】のれんに腕押し弾劾訴追【お】汚職ドットコム【く】グレた世界に少女の怒り【や】闇トークでやめトーク【ま】毎月勤漏統計【け】契約者なめたらいかんぽ【ふ】文化財切断の言語道断【こ】小判ザメ原発に群がる【え】エリカロシアも薬物で【て】電池で革命ノーベル彰【あ】アフガンの井戸は枯れぬ【さ】の疑枠【き】球速より球児に休息【ゆ】ゆめゆめブレぬジット【め】目黒のサンマも貴重品【み】短い国会長い政権【し】シンゾーにトウモロコシ全部【ゑ】炎上恨めし首里パリ【ひ】ヒナコだけどシブコ【も】文科省の考えぬ力【せ】税上げてポイント甘言【す】の一手【京】教皇の祈り、核なき世界』(毎日新聞「余禄」より)【ん】ん!これはいいぞ「チョコブラシ」。記事リンクは、小生が勝手に選びましたので、ひょっとすると的外れがあるかもです、ご容赦の程。

最後に「いろは」の俳句をご紹介・・「竹馬やいろはにほへとちりぢりに」久保田万太郎 余禄ならぬ余談ですが、過去の「余禄」をリンクしておきます。201220142015201620172018 ということで、今年一年の皆様の「connote.jp」へのご訪問に感謝!皆様、よいお年玉を!4040



BBTime 412 EVE

BBTime 412 EVE
「聖菓切るキリストのこと何も知らず」山口波津女

我が家のシュトレン、ラストピースです。句の解説には『ほとんどの日本人は、この句のようにふるまっている。宗教をムード的にとらえ、聖なる日を娯楽化してしまう国民的規模のセンスとはいかなるものなのであろうか。したたかなのか、単にお調子者なのか。かくいう私ももとより例外ではないけれど、とにかく不思議という以外にはない。小学校の低学年だった昭和二十年代前半には、私も友達もキリストやサンタクロースという名前すら知らなかった。まだあちこちの家には、煙突があった時代である。(清水哲男)』(解説り)。作者の「山口はつじょ」氏は山口誓子の奥様で明治39年(1906)年10月25日生、昭和60年(1985)年6月17日没とのこと。この句がいつの作かはわかりませんが、各家庭から煙突が消えた頃からサンタさんが訪問し出すとは、サンタさんもご苦労な話です。

句にあるように、特に最近日本人は深く考えず、はしゃぐように思えます。来年に向けていろんな場面で「おもてなし」を耳にしますが、相手の文化を理解することも必要な「おもてなし」だと思います。さて、クリスマスは何の日でしょう?

Wikipediaには『クリスマスChristmas)は「キリストのミサ」という意味で、一部の教派が行うイエス・キリストの降誕祭。あくまで誕生を祝う日であって、イエス・キリストの誕生日ではない』(Wikipediaより)とあります。そうなんです、イエス様の誕生日ではなく、イエス様の誕生を祝う日なのです。

これには大まかには二つの理由があるようで、ひとつは「イエス様の誕生日は不明」、もうひとつは初期のキリスト教会による「入会キャンペーン」・・過去ブログに書いておりました「ところで「クリスマスって何の日?」と十人に聞いたらおそらく十人が「イエス様の誕生日」と答えるでしょう。百人に聞いたら1人くらいは「イエス様の誕生日ではないよ」と答える人がいるかもしれません。イエス様の誕生日は不明ですが、西暦354年にローマ主教リーベリウスが「誕生を記念する日」として12月25日に制定したそうです。詳しいことはネットで探すと色々と出てきます、そちらを参考に。」(BBTime 023 為にが駄目に)。詳しくはここを是非お読みください、目から鱗(この言葉も聖書から)ですよ!

今朝(12/24)の朝日新聞朝刊天声人語に『日本文化のありようを「雑種文化」だとしたのは、評論家加藤周一の慧眼である。ここ数年もハロウィーンの広がりなど、雑食ぶりは健在だ。節操なき嫌いはあれど、目も耳も舌も、楽しく味わえるのが増えるこのは悪いことではない。』とありますが・・ね。

最後に「メリークリスマス」を他の言語で。仏語:ジュワイユ ノエル Joyeux Noel !。伊語:ブオン ナターレ Buon Natale !。西語:フェリス ナビダ Feliz Navidad !。1130

BBTime 411 CASE

BBTime 411 case
「自動車のとまりしところ冬の山」高野素十

句の解説に出てくる車はこのような自動車でしょうか。解説には『まだ「クルマ社会」ではなかった頃の句。「自動車」という表現から、そのことが知れる。これは作者が乗っている「自動車」ともとれるし、それなりに句は成立するが、私は乗っていないほうが面白いと感じた。さて、バスやトラックではなくて、いわゆる乗用車が田舎道を走ってくることなどは滅多になかった時代である。走ってくればエンジン音がするし、いやでも「何事だろう」と村中が好奇の目を注ぐことになる。みんなが、どこの家の前でとまるのかと、じいっと眺めている。同じように作者も目で追っていると、点在する人家を遠く離れたところでやっととまった。はて、不思議なこともあるものよ。人の降りてくる気配もないし、なかなか発車もしない。しんと寝静まったような小さな「冬の山」の前に、ぽつんとある一台の黒い「自動車」は奇怪だ。好奇心はいつしか消えて、だんだん光景が寒々しい一枚の絵のように見えてくる。見慣れた自然のなかに、すっと差し込まれた都会的な異物が、ことさらにそう感じさせるのだ。昔の乗用車はたいてい黒色で塗ってあったから、この山がすっかり冠雪しているとなると、ますます寒々しい光景となる。子供の頃、近くを「自動車」が通りかかると、走って追いかけたのが私の世代だ。そんな世代には、懐かしくてふるいつきたいような寒々しさでもある。『雪片』(1952)所収。(清水哲男)』(解説より)。考えてみると名は「自動車」であっても「自動」では走らない。牛や馬、はたまた人に引かれる事なく自力(と言っても燃料は必要)で動くという意味でしょう。今回は前回「SEERS:シアーズ」で触れたケースのダジャレです。車とは無関係の二つのケースの話。

字面通りに読めばcaseの「A:autonomous:自主的な」が自動の意味を持ちます。さて、今回「iPhone8plus」を「iPhone11」に機種変更しました。例によって画面に保護フィルムを貼り、好みのクリアケース(ハード)をつけました。使い始めると11にはホームボタンがないため、画面をなぞる操作が増え・・結局、指の腹がフィルムに引っ掛かるのが不快で、フィルムは外して画面は裸で使っています。

8プラスを初期化してケースを外し下取り返却・・ふと手元に残ったケース(ソフト)を捨てるしかないなぁと思いながらイレブンと遊んでいると・・あらら、ぴったり入るではありませんか。8プラスのソフトケースにハードケース入りイレブンが入れ子のようにすぽっと入りました。携帯時(移動時)は表をソフトケースで覆い、使用時には背面にはめて使ってます。捨てたらゴミ、生かせばケース!

もうひとつはエアポッズ、普通のエアポッズです。何と画像のリコーカプリオの液晶ビューファインダー革ケースがぴったし!これは重宝してます。車とは無関係なケースのお話でした。

おまけ:俳人「高野素十」のwikipediaを読んでみると、東京帝国大学医学部出身で大学教授まで勤めたお医者さん、天は二物も三物も与えたんですね。医者で俳人で大学教授とは、希有なケースでしょうけど。0850


BBTime 401 石榴と勉強

BBTime 401 石榴と勉強
「実ざくろや妻とは別の昔あり」池内友次郎

『石榴(ざくろ)の表記は「柘榴」とも。夫婦して、さて季節物の何かを食べようというときに、必ずと言ってよいほど話題になる食物があるはずだ。「子供のときは家族そろって大好物だった」とか、逆に「こんなもの、食べられるとは思ってなかった」とか。そういうときに、私も作者のような感慨を覚える(ことがある)。石榴の場合は、おそらくは味をめぐっての思い出話だろう。一方が「酸っぱくて……」と言えば、片方が「はじめのうちだけ、あとは甘いんだよ」と言う。石榴を前にすると、いつも同じ話になるというわけだ。ま、それが夫婦という間柄の宿命(?)だろうか。私は「酸っぱくて……」派だけれど、子供のころに野生に近い石榴しか知らなかったせいだと思う。(中略)たしかに「妻とはべつの昔」に生きていたのだ。石榴といえば、とても恐い句があるのをご存じだろうか。「我が味の柘榴に這はす虱かな」という一茶の句。虱は「しらみ」。江戸時代、柘榴は人肉の味に似ていると言われていたそうだ。(清水哲男)』解説より。今回は言葉「ザクロ」と「勉強」について。

画像はアップルウオッチバンドで、色が「pomegranate:ポムグラネット」・・初めて目にした色名なので辞書を引くと「pomegranate=ザクロの木・実」とあり、さらに「たくさんの種をもつリンゴ」の意と書いてあります。確かにpommeはフランス語でリンゴ。

ザクロといえば「紅一点」の紅は、ザクロの花で王安石の「万緑叢中紅一点:ばんりょくそうちゅうこういってん」が出典です。次は「勉強」について。

ブログ「BBTime 399 耳障り」に書いた「私の日本語辞典・生活の中の身近な漢語を考える」に「勉強の使い方」が出てきました。昔のことです・・遠い記憶で弟の勉強机をデパートか家具屋に買いに行ったシーンです。机が決まりこれから支払いという時に親が「勉強してください」と言うではないですか。幼心に「勉強するのは弟なのに・・?」と不思議でなりませんでした。店員さんとのやりとりで「勉強しますよ」「もうちょっと勉強してください」・・。のちに「勉強する」とは「値引きすること」であると知りました・・やっと今回、半世紀ぶりに理由が判明!

本来「勉強」とは「勉めて強いる」こと。言い換えるなら「商売に励む」転じて客側からは「値引きしてもらう」となったようです。そもそも「勉強する=study」の使い方は明治以降のようで、このラジオ(私の日本語辞典)を聴いた後に「ラジオまいにち中国」放送時に合点しました・・番組では「さあ、今日の学習を始めましょう」!「勉強始めましょう」ではありませんでした。面白いことに英和辞典にstudyの古語として「・・しようと努める」とあります。今回のブログは歯科とは無関係・・ボチボチ読みながらダラダラ磨きしてください(唾液のみで)。7420