BBTime 691 ゆく年余録

「大晦日さだめなき世の定哉」井原西鶴

2025/12/31投稿
今年も今日で終わり。恒例、毎日新聞「余録」です。
 『トランプ米大統領の再登板に世界が振り回された2025年。いろはカルタで振り返る。【い】犬笛にとうとう警笛【ろ】老朽インフラの落とし穴【は】拍手は手をひらひら【に】日銀利上げ賃金上がれ【ほ】本は聴く派?【へ】平和より賞が欲しい【と】トラかTACOか【ち】中露朝そろい踏み【り】リニアいつ浮かぶ【ぬ】ぬるっとウナギ規制回避【る】ルール緩すぎ政治私金【を】置き配するっす【わ】ワーク・ライフ・アンバランス【か】株5万円にご縁なく【よ】与党惨連敗【た】対岸でないオンカジ【れ】連日大入り「国宝」級【そ】卒業できぬ経歴問題【つ】つら過ぎ酷っしょ【ね】値切るな生活保護費【な】内密出産、命救えるなら【ら】ラブブでぬい活【む】無用の用でノーベル賞【う】ウラン濃縮いらん【ゐ】居座るクマ【の】能登励ます最速横綱【お】大波にのまれて洋上無風力【く】空白埋めた遺族の執念【や】闇に逃さぬ闇バイト【ま】麻辣湯(マーラータン)より辛い日中関係【け】限界迎えたげたの雪【ふ】フジ軽チャーの果て【こ】米高騰てんてこここまい【え】MVPで終わりヨシ【て】鉄より強い黄金株【あ】青い故郷に錦の大関【さ】サンセイできぬ排外主義【き】きょうも続くガザの子の苦難【ゆ】ゆ党から半身与党へ【め】目にまぶしい首里城赤瓦【み】ミスターの名は永久に【し】シカける保守回帰【ゑ】エンゲル係数爆上がり【ひ】非核の誓い三原則こそ【も】モームリ、法令違反【せ】千客万博来【す】スーパーでドライ蒸発【京】きょうで終わらぬ戦後80年の誓い』(引用元):毎年、いくつかピンと来ないカルタがあります。皆様も「?」あらば検索を。昨年の「余録」などはこちら

忘れるところでした、句の解説は『今年もあと二日を残すところとなりました。政権が交代し、オリンピックでヒーロー・ヒロインが登場した反面、いまだ故郷に戻れない被災者も多く、昔も今も「さだめなき」無常の世であることに変わりはありません。掲句は、西鶴作『世間胸算用』を集約している句です。『世間胸算用』は、「大晦日は一日千金」というサブタイトルがついた二十からなる短編集です。江戸時代の売買は、帳面による掛売り掛買いがふつうで、大晦日は、そのツケの最終決済日でした。一種の紳士協定による信用取引が江戸の「定」ですから、暴力の行使は許されません。そのかわり、暴力以外のあらゆる秘術を尽くして借金取りから逃れ、かたや追いかけ、元旦というゲームセットまでの極限的な経済心理ゲームが繰り広げられています。たとえば、「亭主はどこだ、いつ帰るのだ」と急き立てる借金取りが凄んでいるところに、丁稚(でっち)が息せき切って帰り、「旦那様は大男四人に囲まれてあやめられました」と女房に伝えると、女房は驚き嘆き泣き騒ぐので、仕方なく件の借金取りは、ちりぢりに帰りました。ところで、女房も丁稚もケロリとしている。やがて、納戸に身を隠していた旦那がふるえながら出てくる、といった落語のような狂言仕立てです。平成の現代は、元禄の「定」とは大いに違います。それでも、大晦日は特別な日であることに変わりはなく、入金を済ませたり、仕事納めをしたり、賀状を書きあげたり、大掃除・整理整頓、何らかのけじめをつけて、新年を迎えようとする心持ちに変わりない定めがあるように思われます。今年一年、お世話になりました。よいお年をお迎えください。なお、掲句の「さだめ・定」の表記はいくつかの本で異なりますが、今回は、『井原西鶴集 三』(小学館)巻頭に載っている短冊によりました。(小笠原高志)』(引用元)。
くる年、みなウマくいきますように!
では皆様、ご自愛の程ご自愛の程 「歯は磨いてももらうもの」

BBTime 690 今年のベスト

「数へ日のこころのはしを人通る」矢島渚男

2025/12/28投稿 画像は今朝のお姿(桜島)
早いもので今年も残り三日。句の解説は『もういくつねるとお正月……。こんな子供の歌のように、新しい年まであと何日と数えるから「数え日」。いよいよ押し詰まってきたと実感するころのことをいう。あれこれと年内にすませておきたい用事があり、残された日々との競争で、何から手を付けようかと思案中。そんな心のはしを、会っておかなければならぬ人の姿がひとり、またひとりと通り過ぎていく。そんなわけで、ますます焦燥感にかられることになる。『木蘭』所収。(清水哲男)』(引用元)。・・なるほど「こころのはし」とは頭の中、頭の片隅のことなんですね。今回は今年2025年に買って良かったモノNo.1について。

師走が近づくと画像のようなタイトルを目にします。小生の今年2025年の「買って良かったモノ」の中でNo.1をご紹介します。そのモノとは「靴」、具体的にはvivobarefoot。

今年の二月(2/21)に一足目(初ビボ)買いました。ほぼ1ヶ月後3/22に大阪で50kmウオークを完歩。九月9/14からポルトガル北(ヴァレンサ)を出発しサンティアゴ・デ・コンポステーラ(スペイン)まで124kmの巡礼旅を歩きました。大袈裟なようですが、この靴との出会いで人生が今まで以上に楽しくなったのです。次ブログもご参照の程・・ビボベアフット「中毒性あり」、大阪ウオーク「歩きました50km!」、巡礼旅「巡礼旅

vivobarefoot以外にも似たようなコンセプトの靴がいろいろ登場しているようです。ポイントは1)ゼロドロップ=つま先と踵の高低差がない 2)靴底が薄い 3)足の指の空間がゆったり などでしょうか。この靴を履き始めて変わったこと・気付いたことを時系列に述べてみます。
1)靴底が薄いので、路面や地面の凹凸などをしっかり感じることができる。例えば横断歩道ゼブラの白いペイントの厚みを感じることができる。
2)着地する箇所が「踵:かかと」から「足の前方部」に変化。よって履き始めは指の付け根の足裏に五百円玉大のマメができました。今は皮膚が厚くなっています。
3)歩くことがこんなにも楽しいものなのかと実感!このために「歩き」が全く苦にならなくなった。
4)ちょっとした段差につまづいてもこけない、反対の足がすぐに出る。
5)ビボの靴を履くまではいろいろな靴を履くことが可能でした、特にallbirdsをよく履いておりましたが、今ではビボ以外ではかろうじてkeenとビルケンシュトックのみが使用可能です。allbirdsは全て友人に差し上げました。
6)体重はさほど減りませんが、何十年振りかにウエストにくびれ出現!
7)ともかく歩くようになった。歩くことが楽しいから!

その昔、高校か大学の物理の時間に「ブラウン運動」を習いました。「浮遊する微粒子が不規則に運動する現象である」(Wikipediaより)。いつも歩くようになって「歩く」について気がついたことがあります。
1)歩きは本来、移動手段ではない。
2)歩きは人体における循環の役割を担っている。
3)歩く姿勢は足元を見て手を振らなくても良い。
4)歩きに目的地はなく、ブラウン運動のようにウロウロすることである。
5)真っ直ぐ歩く必要はなく足の向くままにウロウロ。
6)目的地を決めずにウロウロブラブラする散歩は非常に価値のある行為である。
7)ヒトにおいて「歩き」は必要不可欠な活動である。
8)歩く速さは脳の回転を刺激する。
9)ヒトは前に歩く、このことは前向きの考え(ポジティブ思考)を促進する。

以前「パレオダイエット」がちょっとしたブームになりました。歩きながら思うに、地面を感じながら歩くことはヒトを取り戻すことではないのか、歩くことで「ヒト回帰」できるような気がします。直立二足歩行するのがヒトです。ビボの靴を知って、50kmウオーキングに参加し、巡礼の旅に出ました。来年も巡礼旅に出る予定です。

「看却下:かんきゃっか」小生にとって一足の靴がまさに看却下となりました。ちなみに『暗い夜道で突然明かりが消えたならば、まず今ここでなすべきことは何か。それは他の余計なことは考えずに、つまずかないように足元をよく気を付けて行くということなのです。もう一歩進めて解釈をすると、自分自身をよく見なさいと。つまり、自分の足元を直しながら、我が生き方を深く反省しなさいということなのです。足元を見ると同時に、我が人生の至らなさを見て欲しいのです。未熟である自分に気づく、発見する・・・。足元を見ると言う事の中には、そういう大事な意味があるのです。ここに、もうちょっと違った人生の見方ができるのではないでしょうか』(引用元)。

過去に書きました「ABC三角」。まずは歩きましょう、歩きませんか、歩くべきです。今年も暮れます。ゆく年くる年・・地球も時も歩きます。皆様、ご自愛の程ご自愛の程 「歯は磨いてももらうもの」。手前味噌ながら「おやつ堂」は年末年始開店です。インスタグラムご参照の程。


BBTime 689 看々臘月尽

「数へ日の素うどんに身のあたたまり」能村登四郎

2025/12/06更新
ご無沙汰でした!巡礼旅の続きを書こう書こうと思いながら・・尻切れトンボとなりました(そのうち、これ必須品々は書きます)。早いもので師走、句の解説は『季語は「数へ日」で冬。日数の残りも少ない年末のこと。感覚的には、まだ少し早いかもしれない。が、あらためて壁のカレンダーをを見ると、今年もあと三週間しか残していない。これからは何かと慌ただしく、一瀉千里で今年も暮れていくのだ。忙しいということもあるが、そんな思いのなかでの独りの外食は、見た目にデコラティブな料理よりも、シンプルの極みたいなものがしっくりと来る。「素うどん」などは、その典型だ。とりあえずの「身のあたたまり」ではあるだろう。が、もう少し「素うどん」を敢えて句にした作者の実感に迫っておけば、シンプルな食べ物からしか受けることのできない恩寵に、ひとりでに感謝する響きが込められている。おかげで「身」も暖かくなった。そして、心の内もまた……。年末の多忙は、多く整理の多忙だ。来る年を迎えるために、身辺も心の内もさっぱりとしておきたい。その気持ちが、たとえば「素うどん」の「素」にすんなりとつながっていく。そういうことだと掲句を読み、今日はどこかの立ち食いの店で「素うどん」を食べたくなった。それも「七味」ではなく「一味唐辛子」を、さっと振りかけて。『人間頌歌』(1990)所収。(清水哲男)』(引用元)。この句を見て、次は絶対「かけ蕎麦」食べます!もちろん「万謝:ばんしゃ」にて。今回は「歌」で身のあたたまりのお話。

以前「Music for 介護」「唄を楽しむ」に書きましたが、訪問診療時にスマホで音楽を流します。去る十月のこと「唱歌・秋」で検索してBGMをかけていた時のこと。その方(訪問先の患者さん)が、流れてきた曲にはっきりと「庭の千草だ」と一言。他の曲には反応はなかったのに、この曲だけしっかりとタイトルをおっしゃいました。おやっと思い、他の曲の後に再度流すとやはり「庭の千草」とポツリ。きっと思い出がお有りなんでしょう。その方はその瞬間、小学生か中学生に戻られたのかも知れません。

こんなこともありました。数ヶ月に一回小生がご自宅に伺います。その日もかかっていた曲は「井上陽水」。カルテを見ると過去、小生訪問時も陽水。介護されているご主人に「この(陽水)のリクエストは奥様ですか?それともご主人?」・・ご主人のご返事は・・「先生(小生)がお好きだから」・・ウルウルでした。以前、奥様とも井上陽水について話したことがありました。「小生がひとつだけ勝ったことがあるんです、それは歯科大に合格したこと」。彼は受験に三度失敗して歌手になられました。合格されていたら「陽水ワールド」はこの世に誕生しなかったでしょう。

訪問診療のみならず、介護に携わっていらっしゃる方々、ぜひ歌をそばに!もちろん「万謝」、それは蕎麦でした。お後がよろしいようで・・。