BBTime 292 毎日道具は!

BBTime 292 毎日道具は!
「温めるも冷ますも息や日々の冬」岡本 眸

言い得て妙!フーもハーも「同じ息・同じ温度」なのに。以下句の解説より抜粋「日々の、なにげない所作の意味を新しい視点でとらえなおすことは、創作の喜びのひとつです。作者自身が、「そうか、そんな見方があったのか」と、書いて後に気づくこともあります。掲句を読んで最初に感じたのは、なるほど「息を吐く」ことは、ものを温めもし冷ましもするのだったという発見でした。そしてこういった句を読むたびに、どうしてそんなあたりまえのことに今まで気づかなかったのかと、自分の鈍感さを思い知らされるのです。「温める」は、冬の寒さの中で頬を膨らませて、自分の体の中の温かみを掌に吹きあてる動作を言っているのでしょう。一方「冷ます」は、たとえばテーブルに載ったコーヒーカップの水面へ、横から冷たい息を送ることでしょうか。でも、いったんは冷ましたコーヒーも、結局は体の中に流れ込んで、人を温めることに結びついてゆきます。全体が、人の動作のやさしさを感じさせてくれる、てのひらで包み込むような句になっています」解説より。

マイカップで日々コーヒーを楽しむ珈琲党の方もおられるでしょう、今回のタイトル「毎日道具は!」は「毎日使う道具」の続きです。あなたにとって365日使うパーソナルユース(あなたが所有しあなただけが使う)の毎日道具は何?でしょうか。

小生の毎日道具をリストアップすると・・携帯ラジオ(画像)・iPhone・財布・腕時計・歯ブラシ・・。マイ箸・マイスプーン・マイボトルなどをお持ちの方はリストに入るかもしれません。小生の場合、休日にはマイボトルを使用しませんし、箸やスプーンは家族と共用です。雨の日に自転車には乗りません。

あれかなこれかなと考えながら、これまた風呂磨きをしていて次のことに気がつきました。前回「毎日使う道具」で歯ブラシNo.1と書きました、実はそれ以上の「毎日道具」がありました!・・それは「は」です、歯そのものです。毎日歯ブラシを使うのは「歯」を磨くためであり、毎日食べることで「歯が汚れる」ので磨く必要があり、歯ブラシを使うことになるのです。よって毎日道具のナンバーワンは「歯」です!

多少こじつけです(笑)が「毎日道具」ナンバーワンは「歯」。鹿児島もここ数日で師走の寒さとなりました。熱々の鍋よし、焼肉よし、ラーメンよし、焼酎湯割りよろし・・温かいのが一番のご馳走。日々の味わいのために毎日道具の「歯」のお手入れも毎日必須、ご自愛のほど、ご歯愛のほど。

おまけをひとつ:「フーとハーの温度の違いは?」について。リンク先を読んでもわかりにくいのですが、簡単に言うと「フーもハーも共に体温に近い温度ですが、フーを冷たく感じるのは扇風機やうちわの風を涼しく感じるのを同じ原理」のようです。寒い朝には手に「ハー」、熱々の鍋には「フー」、鍋を堪能した後は歯ブラシ「コショコショ」お忘れなく。4400
おまけのおまけ:フーとハーについて家族と話したところ・・「対象が冷たいと「ハー」熱い・温かいと「フー」じゃない?」・・言い得て妙!


https://youtu.be/KY7gPcDFwQc

BBTime 290 満腹笑顔

BBTime 290 満腹笑顔
「福助の頭は空つぽや十二月」小泉八重子

前回「油熱乾燥法」で安藤百福氏のことを書きました。書いた後に再度本を読み、ラジオの録音(ラジオ深夜便)を聞き直して、百福氏と中華店のご主人のどちらが偉い・偉くないではなくただ単に「目指す山が違う」のだと再認識しました。目指す山は人それぞれ、そもそも山登りを希望しない人もいます。

前回ラストに「満腹笑顔の創造」と書きました。思うに安藤百福氏が創りたかったモノは「即席麺」というよりも「満腹笑顔」だったと確信しました。百福氏の脳裏に焼き付いた闇市の屋台に並ぶ人々、ラーメンを食する人の笑顔・・。

画像は「街頭テレビ」。百福氏は街頭テレビ前の黒山の人だかりを見てすぐさま「これからテレビの時代だ」と、開局間もない民放がCMスポンサー集めに四苦八苦している時分に、積極的にテレビCMを導入したそうです。闇市屋台のラーメンの味ではなく食べる人の笑顔、街頭テレビの黒山の人だかりを見てのCM導入。百福氏の凡人との違いは「視点」だったのではないでしょうか?

チキンラーメンをアメリカに売り込みに行った際、現地には「丼と箸」がない事に気づき・・器とフォークを(アメリカ人に)そちらで用意して食べてください・・ではなく私が創りますと、パッケージ・輸送時の保護容器・調理器(鍋)・食器(丼)を兼ねたカップとの融合で「カップヌードル」を発明しました。これも「視点」の違いだと思います。見ているところが違う・目の付け所が違うのです。「目の付けどころが、シャープでしょ。」というコピーがありました。まさしくこれです。すなわち・・

「目指してる、未来がちがう。」となるのです。最近「階段昇降」と称して住んでいる集合住宅の非常階段をペットボトル五本(計8キロ)背負って上り下りします。非常階段のジム化です。日々やっていることも「目の付け所」を変えれば「目指すもの」が変わり「未来(結果)がちがう」事につながります。百福氏の言葉「食足世平」「食足りて世は平らか」。百福氏の目指したものは名の通り「百人(全ての人)に萬福を!」だったのでしょう。

小生「世のため人のため」に我が人生を「消費燃焼」したいと思います。よって日頃から「目の付け所をシャープに」と行動しますが・・ままならぬ毎日。おそらくヒントのひとつは「福助の頭」のような気がします。既成概念・社会通念・一般常識等々にとらわれず頭空っぽに物事を考えれば・・百にひとつ千にひとつ萬にひとつ「チキンラーメン級」の発明を世に出せると思う・・日々です。ところで件(くだん)のかた焼きそばは美味でしたよ(珍萬)。1180


https://youtu.be/jdvQRqRl0Mc

BBTime 289 油熱乾燥法

BBTime 289 油熱乾燥法
「らあめんのひとひら肉の冬しんしん」石塚友二

もうすぐ師走なれど寒くない今日この頃です。「冬しんしん」は先の先のこと、また画像と句の「らあめん」はかなり違いますが・・まずは句の解説をご紹介。「ラーメンを「らあめん」と書き、チャーシューを「ひとひら肉」と書いて、寒い日にラーメンを食べる束の間のまろやかな至福感を表現している。作者が食べているのはどんなラーメンかと想像して、たぶん日本蕎麦屋や饂飩屋などのメニューに、ついでのように載っている種類のものだろうと思った。ホウレンソウの緑が濃く、絶対に入っているのがナルトである。麺の量は少なく、メンマも多くない。蕎麦仕立て風ラーメンとでも言うべきか。いまでも、たまにお目にかかることがあるが、これがなかなか美味いのである。味が鋭くないだけに、ほんわかとした気分が楽しめる。そんな店に座っていると、元気よくガラス戸を開けて子供が学校から帰ってきたりする。これで暖房がストーブだったら申し分ないのだが、さすがに今では望むべくもないだろう。こうした店で、もう一つ美味いのがカレーライスだ。妙に黄色かったりするけれど、あの安っぽい色彩がなんとも言えないのである。ただ、不思議に思うのは、必ずスプーンがコップの水に漬けられて出てくることだ。何故なのだろうか。この水は飲んでもよいのかと、いつも戸惑いながら、結局は飲んでしまう。(清水哲男)」解説より。

画像はチキンラーメンご存じ日清食品です。朝ドラ「まんぷく」が盛り上がっているようですが、小生テレビを持たないため観ておりません。偶然、ラジオで安藤百福氏のエピソードを聴き興味を持ちました。即席麺(インスタントラーメン)を思いついたのは奥様(仁子:まさこさま)の天ぷらを揚げるシーンを見てとのこと。本「魔法のラーメン発明物語」を読んだ数日後、たまたま近所の老舗の小さな中華店で「かた焼きそば」を注文しました、その時ふと・・。

ところどころ塗装の剥げたカウンター越しにご主人が「どうぞ」とかた焼きそば。食べ始めに質問しました「麺はここで揚げていらっしゃるのですか?」ご主人「そうです」・・チキンラーメンとおんなじじゃん。

実は、世の中にはこのようなことが多々あるのだと思います。ニュートンのリンゴ、ジョブズのマウス・・などなど。安藤百福氏が「油熱乾燥法」と命名して特許取得する何年も前から、かた焼きそばを作るときに「生麺を揚げる」をやっていたのです。その中華店のご主人曰く「何食分か揚げて作り置きします」。

ネットで検索すると「独自開発のサクサク麺」として「独自の製法で作った麺を油で揚げます。丁寧に丸の形になるように、ひとつづつ揚げていきます。丸く揚げた揚げ麺は、直径約16cm・高さ約6cmです」のようなページもあります。安藤百福氏との違いはなんでしょう?勝手に推察するに「目指す山が違うから」だと思います。麓から頂を目指して歩き始めました。その一歩一歩にさほど差はないでしょう。登り登って気がついたら「富士山頂でした」「エベレストに来ていた」なんてことは決してありません。富士山に登ろうとすれば、はじめの一歩から富士山を目指さないと無理ですし、エベレストであれば出発前準備の時から違ってきます。

百福氏は昭和33年47歳でチキンラーメン発明後、今度は61歳でカップヌードルを世に出します。インスタントラーメンは今や年に一千億食という途方も無いマーケットに成長しています。

本を読んでもうひとつ気がつきました。目指す「頂」が違うのみならず、あの山に登ろうと決めた動機も一味違うのです、おそらく。戦後大阪の闇市でラーメンの屋台に並ぶ行列、やっとありつけた時の人々の笑顔が忘れられず、人のためになる仕事をしたいという強い気持ちがあったからこそ・・だと思います。「登り始める動機」と「目指す頂」の両方、言わばスタートとゴールが違ったんですね、きっと。一歩一歩登りながら心に秘めるは「Hungry Spirit」たぶん。

人々の「満腹笑顔」を創った安藤百福氏すごいです!9380
https://youtu.be/LDlJ84u54mQ

https://youtu.be/xwGA8B1d5G0


思わず、もう一杯!
https://youtu.be/6R0WnBtXmf0
さらにもう一杯!!

BBTime 288 風呂磨き

BBTime 288 風呂磨き
「風呂吹きにとろりと味噌の流れけり」松瀬青々

好きな句です、外は寒いけど目の前には味噌が溶けんばかりの熱々の大根。さて、先日(11/12)お風呂にまつわる話を耳にしました。「入浴習慣のある高齢者は要介護リスク低くなる調査結果」という記事。大まかな内容は「日頃から風呂につかる習慣がある高齢者は介護が必要になるリスクが低くなるという調査結果を、千葉大学などの研究グループがまとめました」「千葉大学などの研究グループは、入浴が健康に与える影響を調べようと、全国18の市町村に住む要介護認定を受けていない高齢者およそ1万4000人を対象に、3年間かけて大規模な調査を行った。調査では、ふだん、どれくらいの頻度で風呂につかっているかなどを事前に調べたうえで、3年後の状態を確認し、そのデータを統計的な手法を使って分析した。その結果、冬場に週7回以上、風呂につかっている高齢者は、週2回以下の高齢者より介護が必要な状態になるリスクが29%低くなったということ」出典はこちら

小生、一年を通してバスタブ派です。特に寒くなると歯ブラシを持ち込んでの入浴。長湯しながら唾液磨き・・オススメです。入浴で健康維持・ムシ歯予防・リラックス等々・・悪くないような気がしますがね。今年の冬は是非入浴を!

掲句の解説に風呂吹きの由来が出ています。「ところで「風呂吹」とは奇妙なネーミングだ。なぜ、こんな名前がついているのか。どう考えても、風呂と食べ物は結びつかない。不思議に思っていたところ、草間時彦『食べもの歳時記』に、こんな解説が載っているのを見つけた。「風呂吹の名は、その昔、塗師が仕事部屋(風呂)の湿度を調整するために、大根の煮汁の霧を吹いたことから始まるというが、いろいろの説があってはっきりしない」と」解説より。偶然にも本日(11/13)は漆の日。2850

今回は「入浴」にちなんでの曲です。




 

BBTime 287 ま、いいや

BBTime 287 ま、いいや
「煙草火の近づいてくる寒夜かな」盛生高子

先日、久しぶりに現物(画像)を見ました。さて、コンビニの入り口に喫煙者がいると遠回りします、煙(臭い)が苦手です。歯科でも禁煙について話すことがあります。昔から不思議なんですが「なぜ法的に禁止しないのか?」「法的に製造を中止しないのか?」。この議論になると色々な言い訳が聞かれます。「喫煙は嗜好品である」「必ずしも肺がんにならない」「煙草葉生産者保護」等々。かたや喫煙は病気であるとして禁煙は治療として保険適応です。喫煙しない多くの人の副流煙による害がニュースになります。原因が非常に複雑で、一筋縄ではいかないのでしょうかね。

ムシ歯にも似たところがあります。病因(病気の原因)は砂糖とムシ歯菌だとわかっているのですが、無くなりません。歯医者になりたての頃から「歯を磨けばムシ歯にならないのに何故予防できないのだろう」と自問自答してきて三十年あまり・・。なんとなく真の理由がつかめてきました。

これで「太らない・痩せることができる」というダイエット方法はただひとつ「食べないこと」です。しかし「食べない」と人は生きられません。ムシ歯予防法もこれと同じような気がします。普通の日本人において「砂糖を摂取しない」は不可能です。「ムシ歯菌がゼロ」も無理です。口の中に歯が無ければ絶対にムシ歯になりませんが、これはハナシになりません(笑)。昔から歯医者は特にムシ歯の子供さんに「お菓子を食べ過ぎるな」「歯をしっかり磨け」など、親御さんの小言のようなことをさも「正しいこと・必要なこと・実行すべきこと」かのように説いてきました。今思えば「無理なこと・不可能なこと・実行できないこと」を言っていたに過ぎません。子供さんにとって馬耳東風となるのは当たり前です。

国際結婚カップルのお子さんがバイリンガル可能なのと同じような気がします。ムシ歯にならない・ムシ歯がほとんどないのは「これ」をしたからというよりも言わば「育ち・環境」でしょう。もちろん「親御さんの仕上げ磨き」「フッ化物やキシリトールの活用」「砂糖摂取への配慮」などは考えられますが、「これのみ」でムシ歯ゼロは難しいと思います。

もうひとつ思うことがあります。愛煙家は頭のどこかで「肺がんになってもま、いいか」と思い、「ムシ歯あるけど、ま、いいか」と考える人もいるということです。つい歯医者は「ムシ歯は治療すべきだ」と、ムシ歯を見つけると「ここムシ歯ですね」と伝えますが、それは歯医者の考えであり「別に一本や二本ムシ歯があっても困らないし」と思う人がいるのも事実です。太っていても「ま、いいや」痩せていても「ま、いいや」タバコ辞めなくても「ま、いいや」・・。こう考えると「喫煙は文化」「肥満はスタイル」「ムシ歯は生き方」とも言えます。ムシ歯がなくならない理由は「本人が選択している」からではないでしょうか。同じセンタクなら「歯の洗濯」を選んで欲しいと思うのは歯医者だけ?

句の煙草火を解説では不気味と捉えているようですが、タバコ火の思い出をひとつ。これまでに自分の意志で数箱買いました。学生時代、バイト(家庭教師)の帰りのこと、小倉の冬はかなりの寒さです。バス停に近づくとタバコの自販機・・ここで一服つけると温かくなれるのでは・・と思い硬貨を入れました。出てきたキャビンの赤い箱の封を切りながらふと・・喫煙しないのでライターを持ってないことに気がついて苦笑い。しかし良き時代だったのでしょうね、自販機に紐付きのライターひとつ、蓑虫のようにぶら下がっているではないですか!マッチ売りの少女よろしくライターの火にも暖をもらって一服・・。この時も二本目吸わずに友人にあげました・・「もう吸わなくても、いいや」本日立冬、ご自愛のほど。0380

BBTime 281 高楊枝

BBTime 281 高楊枝
「柚子味噌を載せてをります飯の上」吉田汀史

「季語は「柚(子)味噌」で秋。味付けをした味噌のなかに、柚子の表皮をすって混ぜ合わせる。(中略)ふつう柚子味噌は料理の調味料に使うものだ。それを作者は「飯の上に載せて」いると言うのである。つまり、ご飯のおかずというのか、ご飯を美味しく食べるためにそうしているのだ。こりゃ、いいなあ。と、すぐに思った。というのも、戦後の混乱期に何もおかずがなかったとき、仕方なく味噌や塩を「飯」といっしょに食べた体験があるからだ。単なる味噌に比べれば、柚子味噌は上等中の上等だから、当時を思い出して咄嗟にそう反応したのだった。(後略)」解説より。鹿児島には「豚味噌」「鰹味噌」があります。今回は食べた後の「高楊枝」のお話。

「高楊枝:たかようじ」・・イメージとして通常の爪楊枝よりも長いサイズ、焼き鳥の串よりも少々短いくらいの楊枝が「高楊枝」と思っていました(今まで)。今回ネットで調べて少々驚き!
高楊枝:「人前をはばからず爪楊枝をくわえている状態。新明解国語辞典より」「 ゆうゆうと食後の楊枝を使うこと。満腹のさまにいう。 何もしないでいること。ぶらぶら遊んでいること。コトバンクより」ちなみに通常より長い楊枝はズバリ「長楊枝:ながようじ」と呼ぶそうです。高楊枝の「高」は「高枕」の高と同じ意味(悠々と何かをすることを表す)。さて高楊枝といえば・・

あっしには関わりのないことでござんす」の木枯らし紋次郎です。紋次郎は武士ではありませんが「武士は食わねど高楊枝」は・・「武士は貧しくて食事ができなくても、あたかも食べたかのように楊枝を使って見せる。武士清貧体面を重んじる気風をいう。また、やせがまんすることにもいう。コトバンクより」

敬愛する寅さんの「食わねど高楊枝」の図。「何時何処」「何時でも何処でも!」に書いていますが、何時でも何処でも歯を磨くためには歯ブラシやフロスを「何処にでも置くか」「何時でも持ち歩くか」が必要です。そこで歯磨き用高楊枝の考え!それは「」、ハンドル(ホルダー)付きデンタルフロスです。

まず可能ならば仕事場のデスク上に歯ブラシを常時置くか、カバンの中に歯ブラシを携帯。オススメはY字型フロスをポケットに!手の中にすっぽり収まりますので、通勤バスの中でもコソッと歯磨き可能です。隙間時間を利用して歯磨き。使用後気になればティッシュで包んでポケットへ。

小生、時に「歩き歯ブラシ」しますが、これはオススメしません。こけたら危ないし、他人が見たらギョッとされます。フロスも歩きフロスより「隙間時間フロス」がよろしいかと。紋次郎の歩き高楊枝も危ないですね。武士は「食わねど」高楊枝ですが、じつは食べなくても歯の表面は口腔内(口の中)常在菌によって次第に汚れてきます。この意味では「食わねど高楊枝」は大変良いコトです!今を生きる皆様は「食っても食わなくても」高楊枝ではなく、歯ブラシ・フロスで歯をキレイに!0950


BBTime 280 砂糖中毒

BBTime 280 砂糖中毒
「恋びとよ砂糖断ちたる月夜なり」原子公平

解説には「このときの作者は、おそらく医者から糖分を取ることを禁じられていたのだろう。だから、月見団子も駄目なら、もちろん酒も駄目。せっかくの美しい月夜がだいなしである。そのことを「恋びと」に訴えている。とまあ、自嘲の句と今日は読んでおきたい」とあります。とはいえ、卵焼きにも焼肉のたれにも砂糖は入っているのになあと思いますが・・。先日「砂糖中毒、甘いものへの依存から抜け出す10のヒント」を見つけました。アメリカの記事です。

「甘いものを断つのは、簡単ではないが可能です」の小見出しの後に続きます。
「クッキーやキャンディー、ケーキ、アイスクリームなどをつい食べすぎてしまう。あるいはそこまでいかなくても、甘い物にはやめられない魅力があるのはだれもが知るところ。食品メーカーもそれを承知で、ソフトドリンク、シリアル、スープ、ドレッシング、パスタソース、エナジーバー、ケチャップ……などの製品に大量の砂糖を使用しています。その結果、私たちのほとんどが日常的にどのくらいの砂糖を摂取しているのか気づかないまま、かなりの砂糖依存になってしまっているのです。おそらく砂糖中毒は、一般に考えられているよりも蔓延しています。アメリカ人は、平均して1日に小さじ20〜30杯(約1/2カップ)の砂糖を摂取しており、これが肥満、高血圧、心臓病、糖尿病、過敏性腸症候群(IBS)、注意力や記憶障害、多動性、不安症、うつといった、さまざまな健康問題と関係しています」
*ここまで読んでハタと思いました「健康問題」の中に「ムシ歯」がない!入っていない!アメリカでは「砂糖の摂り過ぎ→ムシ歯になる」のリスクは低いのでしょうか?ムシ歯予防は極めて普通のことで「砂糖→ムシ歯」はかなり少ないのでしょうか?もしそうならやはりアメリカはすごい!記事は「砂糖への依存をコントロールする10のヒントは次の通り」へ。

1. 家の中に砂糖を置かない・・ここには、白砂糖、ブラウンシュガー、コーンシロップ、メープルシロップのほか、アイスクリームやフルーツジュースなどの砂糖の入った製品も含まれます。**これはかなり勇気のいること、ハードルが高いように思えます。料理ができない!コーヒーや紅茶に入れるものは?パンケーキにメープルシロップはつきものでしょ!などの声が聞こえてきそうですがね。

2. ヘルシーな食品を十分に食べる・・ヘルシーなものを食べるようにします。甘いものが食べたくなったら、果物、ニンジン、パプリカ、チェリートマト、デーツ、ドライフルーツなどの自然食品のおやつを。水もたくさん飲むように心がけて。アイスティーや炭酸入りミネラルウォーター、そのほかの無糖の飲み物を甘くしたいなら、フルーツジュースを少々加えます。アイスクリームの代わりには、丸ごとでもピューレタイプでも冷凍の果物を。いったん砂糖を身体から一掃してしまえば、味蕾もより繊細になり、自然食品の味もこれまでより甘く感じられ、満足感を得られるようになります。ゆっくりと味わって食べるようにすれば、こうした食べ物もさらに美味しく楽しめるでしょう。**理解できないではないですが、これもかなりハードル高し!しかもかなりお金がかかるでしょう。

3. 毎日規則正しく三食食べる・・糖質(野菜、全粒粉、果物)、脂の少ないタンパク質(鶏肉、魚、肉、豆腐)、ヘルシーな脂肪分(牛乳、チーズ、オメガ3、オリーブオイルなど低温圧搾のオイル)を組み合わせた食事をとれば、1日を通して血糖値を安定させ、甘いものへの衝動を抑えます。また、食物繊維の多い食事も糖分に対する欲求を抑えるのによいでしょう。**んーこれもハードル高そうです。

4. サプリメントを上手に飲む・・マルチビタミンとマルチミネラルのサプリをとりましょう。人によっては、特にクロミウム・ピコリネートとL-グルタミン酸が糖質に対する欲求を抑えるのに役立つ場合があります。**これもお金かかりそうです。

5. あまりにお腹がへっているときはどこにも行かない・・パーティはもちろん、食品の買い物もやめておくこと。特に甘いお菓子しかなさそうな場所には行かない。ヘルシーなスナックを持参して出かけるか、外出前に何か食べましょう。**逆にストレスが溜まってしまいそう・・。

6. 定期的に運動する・・あわせて日光をたくさん浴び、適切な睡眠をとると、甘いものに対する欲求を抑えられます。**注意すべきは、運動後のご褒美スイーツを断つことができるか否か!

7. 空腹からきているのではない欲求をコントロールする術を学ぶ・・甘いものが欲しくなる場合、原因の多くはストレスや不安からきています。ストレスをコントロールする別の方法を探しましょう。散歩にいく、友人に電話する、読書をする、ペットと遊ぶ、映画を見るなど。身体をリラックスさせるには、呼吸法、瞑想、音楽を聴く、お風呂に入るなどが効果的。リラクセーションは血糖値のバランスを保ち、甘いものへの欲求を抑えます。**これは簡単なようでかなり難しそう・・

8. 気分を落ち着かせるために砂糖を摂らない・・そのかわり、その気持ちの原因を探り、それにあった適切な対処をすること。疲れているなら、無理に我慢しようとせず、いったん一息つくか、ゆっくり休むこと。退屈なら、なにかやりたいことを探してみましょう。寂しいなら、友だちに連絡してみて。砂糖中毒を克服するには、自分の気持ちをよく知ることが重要です。砂糖ではなく、あなたが本当に必要としているものを自分に与えてください。

9. 一度失敗したからといってあきらめない・・砂糖を摂りすぎてしまったら、失敗した! と認めて、できるだけ早く軌道修正します。罪悪感は捨ててください。砂糖を食べるのは不健康ではあるけど、別に罪ではないのです。

10. 自分にやさしくする・・甘いものをやめたくてもやめられないという葛藤をなくすためにも、身体に良質な栄養を補給することを学び、そして自分の心をきちんとケアすることが大切です。砂糖のいちばんの代わりになるものは、あなたが自分自身を心から受け入れることなのです。
**まさしく御自愛ください!ですね。この10のヒントを実践できれば「肥満、高血圧、心臓病、糖尿病、過敏性腸症候群、注意力や記憶障害、多動性、不安症、鬱、ムシ歯」などの健康問題解決に近くでしょう・・けど、ハードル高そうです。ひとつずつでも実践されてみてはいかがでしょうか?0150


 

BBTime 274 食べるために生きる

BBTime 274 食べるために生きる
「弁当は食べてしまつた秋の空」麻里伊

先日(9/5)BBTime271「食べるために」アップ後、「だから、人は食べるために生きるんや」を反芻(はんすう)しておりました。「生きるために食べる」なら分かりますが「食べるために生きる」・・?

「生きるために食べる」・・これなら、当たり前でしょと素直に理解できます。シンプルにお腹が空いたから食べる、すなわち生きるために食べる。コラムには「生きるために食うのであれば何でもいい」とありますが、そうではない・・。

「忙しなく秋刀魚食べ了へひとりかな」ともたけりつ子
「句集の内容から推して、作者は若い独身女性のようだ。仕事を持ち、ひとり暮らしをしている。仕事帰りに、初物の「秋刀魚」をもとめてきたのだろう。せっかくの季節の物だから、ちゃんと大根おろしを添え、柚子かレモンの汁を滴らせたにちがいない。だが、いざ食べる段になると、季節感をじっくり味わうというのでもなく、いつものように「忙(せわ)しなく」食べ了(お)えてしまった。もはや習い性となってしまったそんな食べ方に、つくづくと「ひとり」を感じさせられている」解説より

「笑ひ茸食べて笑つてみたきかな」鈴木真砂女
「軽い好奇心からの句ではあるまい。八十歳を過ぎ、心から笑うことのなくなった生活のなかで、毒茸の助けを借りてでも大いに笑ってみたいという、一見するとしごく素直な心境句である」解説より。画像は「笑ひ茸」にあらず(笑)。こちらもどうぞ

「淋しさに飯を食ふ也秋の空」小林一茶
「二番目の妻を離別した後の文政八年(1825年)の句。男やもめの「淋しさ」だ。昔の男は自分で飯を炊いたりはしないから(炊けないから)、飯屋に行って食うのである。いまどきの定食屋みたいな店だろう。そこにあるのは、何か。もちろん飯なのだが、飯以上に期待して出かけるのは、ごく普通の人々とのさりげない交感の存在だろう。いつもの時間にいつもの人たちが寄ってきて、ただ飯を食うだけの束の間の時間が、世間並みの暮らしから外れてしまった男には安らぎのそれとなる。ホッとできる時間なのだ」解説より

「舌噛むなど夜食はつねにかなしくて」佐野まもる
「季語は「夜食」で秋。なぜ「かなし」なのかといえば、夜食は本来夜の労働と結びついおり、夜遊びの合間に食べるというものではないからである。夜遅くまで働かないと生活が成り立たない、できればこんな境遇から逃げ出したい。そんな暮しのなかにあっての夜食は、おのれの惨めさを味わうことでもあった。ましてや「舌噛むなど」したら、なおさらに切ない」解説より

「よくかんで食べよと母は遠かなかな」和田伊久子
「伴うのが寂寥感であれ清涼感であれ,「かなかな」の声は郷愁につながっていく。「子供にも郷愁がある」と言ったのは辻征夫だったが、ましてや掲句の作者のような大人にとっては,「かなかな」に遠い子供時代への郷愁を誘われるのは自然のことだ。遠い「かなかな」,遠い「母」……。もはや子供には戻れぬ身に、母の極めて散文的な「よく噛んで食べよ」の忠告も,いまは泣けとごとくに沁み入ってくるのだ。私たち日本人の抒情する心の一典型を、ここに見る思いがする」解説より。「遠かなかな」もしくは「母は遠」をどのように読むかは解説にはありません、どう読むのでしょうか?

「けふいちいち食べるものある、てふてふ」種田山頭火
「放浪行乞の身の上で、いちばん気がかりなのは、むろん「食べるもの」だ。それが「けふ(今日)いちにち」は保証されたので、久方ぶりに心に余裕が生まれ、「てふてふ」の舞いに心を遊ばせている。好日である」解説より

常々、食べることに関する俳句が多いなあと思っておりました。究極とも言える五七五、十七文字で共感可能な「感動」を表現するに「食」が取り上げられるのも何となく合点がいきます。食べることは生きること。「生きる」とはただ生活年齢を重ねるのではないと思います(もちろん十人十色ですが)。「食べる」と「生きる」は表裏一体なのです、きっと。食べることは生きること・・そのためには健康な口・健全な歯が必要です。

https://youtu.be/hejHkPaoPWw

BBTime 272 脱プラスチック

BBTime 272 脱プラスチック
「ワタナベのジュースの素です雲の峰」三宅やよい

ジュースの素はさておき、ストローなど身近なプラスチック製品が海洋汚染、海洋生物・海洋環境の破壊の素だとしてこの夏、大問題としてクローズアップされました。主犯は「マイクロプラスチック」です。BBTime032「一粒万倍」に書いております。「マイクロプラスチックという言葉をご存じでしょうか、近頃結構ニュースに出てきます。環境中に(本来なら存在しないのに)存在する1ミリもしくは5ミリ以下の小さなプラスチック粒子のことです。問題点を簡単に言うと人間生活から排出された微小なプラスチックが回り回って、食物連鎖を経て、食べ物としてヒトの口にはいったり、野生生物にダメージを与えたり、環境破壊の一翼を担っているということです」拙ブログより。

秋の味覚代表の秋刀魚のはらわた(小生大好き)にマイクロプラスチックが詰まっていたら・・ゾッとします。ジュースの素(顆粒・粉)は水に溶けますがマイクロプラスチックは溶けません。

山の岩が川に落ちて砕かれ小石となって、最後海の砂となるが如く、日々の生活で何気なく使って捨てているレジ袋、歯ブラシ、ストローなどが海のマイクロプラスチックとなり得るのです。

今日からできること・・たくさんあります!コンビニでストローをもらわない、スクラブ入りの製品(洗顔フォーム・歯磨き粉)を買わない、もちろんペットボトルポイ捨てダメ!企業間にも動きが始まっています、プラスチックストローを使わない、製造しない、新素材の開発等々。1980年ごろから始まって1990年ごろには切り替わった缶ジュースのプルトップを思い出しました。

bytaps:バイタップスという名の歯ブラシがあります。説明に「毎日使うから、毎日使いたくなるものを 毎日必ず、何度も使用するハブラシ。だからこそBYTAPSはブラシ交換型の形状を採用し、 ハブラシを使い捨ての制約から解放。機能美を持つデザインと、日本の職人の技術力が、手にするたびに感じる歓びを生み出しました」と。歯ブラシの使い捨ても考え直すべきかも・・。手元に未使用のbytapsがあります(経緯はこちら)、使い捨て歯ブラシをやめて変えようかしら・・(この夜変えました!)

空心菜」という野菜です、先日初めて食べました。名の通り茎がストロー状になっています。ラジオ「全国食べものうまいもの」で実際ストローとして使うこともあるとの話(10/01まで聴けます)。脱プラ始めましょう!ついでに「脱ムシ歯」「脱ムシ歯治療」も!最後に冒頭の句は「雲の峰=入道雲」が夏の季語、季節外れですがご容赦を。こちらもどうぞ。0850

BBTime 271 食べるために

BBTime 271 食べるために
「九月来箸をつかんでまた生きる」橋本多佳子

解説に「多佳子は生来の病弱で、とくに夏の暑さには弱かったという。したがって、秋到来の九月は待ちかねた月であった。涼しくなれば、食欲もわいてくる。「さあ、また元気に生きぬくぞ」の気概に溢れた句だ」とあります。1950年頃の句で奈良にお住まいだったようで、扇風機しかない当時、病弱な作者にとって暑さを乗り切るのは大変だったのでしょう。

9/1の折々のことばにまたしも溜飲を下げました!
寂しくなった時、うまいもん食べたいと思うんや。嬉(うれ)しい時、おいしいもん食べよと思うんや。だから、人は食べるために生きるんや 田村隆
鷲田さんのことば
料亭「つきぢ田村」の三代目は、祖父からそう聞かされたと回想する。生きるために食うのであれば何でもいい。けれども人はものを味わい分ける。ただ受け入れるのではなく、よく調べて判断する。つまり吟味する。ちなみにホモ・サピエンスというときのサピオー(知る)も辞書によれば原義は「味わう」である。『隠し包丁』から。(鷲田清一」朝日新聞折々のことばより

カルノなりに解釈します。『寂しくなった時、うまいもん食べたいと思うんや』=寂しい時、寂しさを紛らわす・自分自身を慰める・己を癒すために「うまいもん」を食べる→「うまいもん
」は癒しです!
『嬉(うれ)しい時、おいしいもん食べよと思うんや』=嬉しさを誰かと共有したい、感謝の気持ちを共有したいから「おいしいもん」を食べる→「おいしいもん」は感謝です!
『だから、人は食べるために生きるんや』=喜怒哀楽の織りなす日々、さまざまなシーンで「食べる」ことが悲しみを半分に、喜びを倍にしてくれるのです。「生きるために食べる」やなしに「食べるために生きる」深い深い意味を持つように思えます。

「うまいもん」「おいしいもん」の基準は人それぞれですが、「あまいもん」は老若男女に共通する「美味しいもの」でしょう。ムシ歯予防のために「甘いものを制限しなさい」なんて荒唐無稽な話です。「食べるために生きる」も「ムシ歯予防」も味わい深いと思うホモ・サピエンスのカルノでした。BBTime 261「あんぱん」も是非お読みください。0230


おまけ:ブログアップ後に「ほぼ日」読んでいたら、これぞまさしく「うまいもん」を見つけました。美味なるものを「うまいもん=癒し」と「おいしいもん=感謝」に分けるとするならば「ラーメン」はまさしく「うまいもん」で、最後に出てくる「とんかつ」は「おいしいもん」かも。