BBTime 691 ゆく年余録

「大晦日さだめなき世の定哉」井原西鶴

2025/12/31投稿
今年も今日で終わり。恒例、毎日新聞「余録」です。
 『トランプ米大統領の再登板に世界が振り回された2025年。いろはカルタで振り返る。【い】犬笛にとうとう警笛【ろ】老朽インフラの落とし穴【は】拍手は手をひらひら【に】日銀利上げ賃金上がれ【ほ】本は聴く派?【へ】平和より賞が欲しい【と】トラかTACOか【ち】中露朝そろい踏み【り】リニアいつ浮かぶ【ぬ】ぬるっとウナギ規制回避【る】ルール緩すぎ政治私金【を】置き配するっす【わ】ワーク・ライフ・アンバランス【か】株5万円にご縁なく【よ】与党惨連敗【た】対岸でないオンカジ【れ】連日大入り「国宝」級【そ】卒業できぬ経歴問題【つ】つら過ぎ酷っしょ【ね】値切るな生活保護費【な】内密出産、命救えるなら【ら】ラブブでぬい活【む】無用の用でノーベル賞【う】ウラン濃縮いらん【ゐ】居座るクマ【の】能登励ます最速横綱【お】大波にのまれて洋上無風力【く】空白埋めた遺族の執念【や】闇に逃さぬ闇バイト【ま】麻辣湯(マーラータン)より辛い日中関係【け】限界迎えたげたの雪【ふ】フジ軽チャーの果て【こ】米高騰てんてこここまい【え】MVPで終わりヨシ【て】鉄より強い黄金株【あ】青い故郷に錦の大関【さ】サンセイできぬ排外主義【き】きょうも続くガザの子の苦難【ゆ】ゆ党から半身与党へ【め】目にまぶしい首里城赤瓦【み】ミスターの名は永久に【し】シカける保守回帰【ゑ】エンゲル係数爆上がり【ひ】非核の誓い三原則こそ【も】モームリ、法令違反【せ】千客万博来【す】スーパーでドライ蒸発【京】きょうで終わらぬ戦後80年の誓い』(引用元):毎年、いくつかピンと来ないカルタがあります。皆様も「?」あらば検索を。昨年の「余録」などはこちら

忘れるところでした、句の解説は『今年もあと二日を残すところとなりました。政権が交代し、オリンピックでヒーロー・ヒロインが登場した反面、いまだ故郷に戻れない被災者も多く、昔も今も「さだめなき」無常の世であることに変わりはありません。掲句は、西鶴作『世間胸算用』を集約している句です。『世間胸算用』は、「大晦日は一日千金」というサブタイトルがついた二十からなる短編集です。江戸時代の売買は、帳面による掛売り掛買いがふつうで、大晦日は、そのツケの最終決済日でした。一種の紳士協定による信用取引が江戸の「定」ですから、暴力の行使は許されません。そのかわり、暴力以外のあらゆる秘術を尽くして借金取りから逃れ、かたや追いかけ、元旦というゲームセットまでの極限的な経済心理ゲームが繰り広げられています。たとえば、「亭主はどこだ、いつ帰るのだ」と急き立てる借金取りが凄んでいるところに、丁稚(でっち)が息せき切って帰り、「旦那様は大男四人に囲まれてあやめられました」と女房に伝えると、女房は驚き嘆き泣き騒ぐので、仕方なく件の借金取りは、ちりぢりに帰りました。ところで、女房も丁稚もケロリとしている。やがて、納戸に身を隠していた旦那がふるえながら出てくる、といった落語のような狂言仕立てです。平成の現代は、元禄の「定」とは大いに違います。それでも、大晦日は特別な日であることに変わりはなく、入金を済ませたり、仕事納めをしたり、賀状を書きあげたり、大掃除・整理整頓、何らかのけじめをつけて、新年を迎えようとする心持ちに変わりない定めがあるように思われます。今年一年、お世話になりました。よいお年をお迎えください。なお、掲句の「さだめ・定」の表記はいくつかの本で異なりますが、今回は、『井原西鶴集 三』(小学館)巻頭に載っている短冊によりました。(小笠原高志)』(引用元)。
くる年、みなウマくいきますように!
では皆様、ご自愛の程ご自愛の程 「歯は磨いてももらうもの」

BBTime 690 今年のベスト

「数へ日のこころのはしを人通る」矢島渚男

2025/12/28投稿 画像は今朝のお姿(桜島)
早いもので今年も残り三日。句の解説は『もういくつねるとお正月……。こんな子供の歌のように、新しい年まであと何日と数えるから「数え日」。いよいよ押し詰まってきたと実感するころのことをいう。あれこれと年内にすませておきたい用事があり、残された日々との競争で、何から手を付けようかと思案中。そんな心のはしを、会っておかなければならぬ人の姿がひとり、またひとりと通り過ぎていく。そんなわけで、ますます焦燥感にかられることになる。『木蘭』所収。(清水哲男)』(引用元)。・・なるほど「こころのはし」とは頭の中、頭の片隅のことなんですね。今回は今年2025年に買って良かったモノNo.1について。

師走が近づくと画像のようなタイトルを目にします。小生の今年2025年の「買って良かったモノ」の中でNo.1をご紹介します。そのモノとは「靴」、具体的にはvivobarefoot。

今年の二月(2/21)に一足目(初ビボ)買いました。ほぼ1ヶ月後3/22に大阪で50kmウオークを完歩。九月9/14からポルトガル北(ヴァレンサ)を出発しサンティアゴ・デ・コンポステーラ(スペイン)まで124kmの巡礼旅を歩きました。大袈裟なようですが、この靴との出会いで人生が今まで以上に楽しくなったのです。次ブログもご参照の程・・ビボベアフット「中毒性あり」、大阪ウオーク「歩きました50km!」、巡礼旅「巡礼旅

vivobarefoot以外にも似たようなコンセプトの靴がいろいろ登場しているようです。ポイントは1)ゼロドロップ=つま先と踵の高低差がない 2)靴底が薄い 3)足の指の空間がゆったり などでしょうか。この靴を履き始めて変わったこと・気付いたことを時系列に述べてみます。
1)靴底が薄いので、路面や地面の凹凸などをしっかり感じることができる。例えば横断歩道ゼブラの白いペイントの厚みを感じることができる。
2)着地する箇所が「踵:かかと」から「足の前方部」に変化。よって履き始めは指の付け根の足裏に五百円玉大のマメができました。今は皮膚が厚くなっています。
3)歩くことがこんなにも楽しいものなのかと実感!このために「歩き」が全く苦にならなくなった。
4)ちょっとした段差につまづいてもこけない、反対の足がすぐに出る。
5)ビボの靴を履くまではいろいろな靴を履くことが可能でした、特にallbirdsをよく履いておりましたが、今ではビボ以外ではかろうじてkeenとビルケンシュトックのみが使用可能です。allbirdsは全て友人に差し上げました。
6)体重はさほど減りませんが、何十年振りかにウエストにくびれ出現!
7)ともかく歩くようになった。歩くことが楽しいから!

その昔、高校か大学の物理の時間に「ブラウン運動」を習いました。「浮遊する微粒子が不規則に運動する現象である」(Wikipediaより)。いつも歩くようになって「歩く」について気がついたことがあります。
1)歩きは本来、移動手段ではない。
2)歩きは人体における循環の役割を担っている。
3)歩く姿勢は足元を見て手を振らなくても良い。
4)歩きに目的地はなく、ブラウン運動のようにウロウロすることである。
5)真っ直ぐ歩く必要はなく足の向くままにウロウロ。
6)目的地を決めずにウロウロブラブラする散歩は非常に価値のある行為である。
7)ヒトにおいて「歩き」は必要不可欠な活動である。
8)歩く速さは脳の回転を刺激する。
9)ヒトは前に歩く、このことは前向きの考え(ポジティブ思考)を促進する。

以前「パレオダイエット」がちょっとしたブームになりました。歩きながら思うに、地面を感じながら歩くことはヒトを取り戻すことではないのか、歩くことで「ヒト回帰」できるような気がします。直立二足歩行するのがヒトです。ビボの靴を知って、50kmウオーキングに参加し、巡礼の旅に出ました。来年も巡礼旅に出る予定です。

「看却下:かんきゃっか」小生にとって一足の靴がまさに看却下となりました。ちなみに『暗い夜道で突然明かりが消えたならば、まず今ここでなすべきことは何か。それは他の余計なことは考えずに、つまずかないように足元をよく気を付けて行くということなのです。もう一歩進めて解釈をすると、自分自身をよく見なさいと。つまり、自分の足元を直しながら、我が生き方を深く反省しなさいということなのです。足元を見ると同時に、我が人生の至らなさを見て欲しいのです。未熟である自分に気づく、発見する・・・。足元を見ると言う事の中には、そういう大事な意味があるのです。ここに、もうちょっと違った人生の見方ができるのではないでしょうか』(引用元)。

過去に書きました「ABC三角」。まずは歩きましょう、歩きませんか、歩くべきです。今年も暮れます。ゆく年くる年・・地球も時も歩きます。皆様、ご自愛の程ご自愛の程 「歯は磨いてももらうもの」。手前味噌ながら「おやつ堂」は年末年始開店です。インスタグラムご参照の程。


BBTime 689 看々臘月尽

「数へ日の素うどんに身のあたたまり」能村登四郎

2025/12/06更新
ご無沙汰でした!巡礼旅の続きを書こう書こうと思いながら・・尻切れトンボとなりました(そのうち、これ必須品々は書きます)。早いもので師走、句の解説は『季語は「数へ日」で冬。日数の残りも少ない年末のこと。感覚的には、まだ少し早いかもしれない。が、あらためて壁のカレンダーをを見ると、今年もあと三週間しか残していない。これからは何かと慌ただしく、一瀉千里で今年も暮れていくのだ。忙しいということもあるが、そんな思いのなかでの独りの外食は、見た目にデコラティブな料理よりも、シンプルの極みたいなものがしっくりと来る。「素うどん」などは、その典型だ。とりあえずの「身のあたたまり」ではあるだろう。が、もう少し「素うどん」を敢えて句にした作者の実感に迫っておけば、シンプルな食べ物からしか受けることのできない恩寵に、ひとりでに感謝する響きが込められている。おかげで「身」も暖かくなった。そして、心の内もまた……。年末の多忙は、多く整理の多忙だ。来る年を迎えるために、身辺も心の内もさっぱりとしておきたい。その気持ちが、たとえば「素うどん」の「素」にすんなりとつながっていく。そういうことだと掲句を読み、今日はどこかの立ち食いの店で「素うどん」を食べたくなった。それも「七味」ではなく「一味唐辛子」を、さっと振りかけて。『人間頌歌』(1990)所収。(清水哲男)』(引用元)。この句を見て、次は絶対「かけ蕎麦」食べます!もちろん「万謝:ばんしゃ」にて。今回は「歌」で身のあたたまりのお話。

以前「Music for 介護」「唄を楽しむ」に書きましたが、訪問診療時にスマホで音楽を流します。去る十月のこと「唱歌・秋」で検索してBGMをかけていた時のこと。その方(訪問先の患者さん)が、流れてきた曲にはっきりと「庭の千草だ」と一言。他の曲には反応はなかったのに、この曲だけしっかりとタイトルをおっしゃいました。おやっと思い、他の曲の後に再度流すとやはり「庭の千草」とポツリ。きっと思い出がお有りなんでしょう。その方はその瞬間、小学生か中学生に戻られたのかも知れません。

こんなこともありました。数ヶ月に一回小生がご自宅に伺います。その日もかかっていた曲は「井上陽水」。カルテを見ると過去、小生訪問時も陽水。介護されているご主人に「この(陽水)のリクエストは奥様ですか?それともご主人?」・・ご主人のご返事は・・「先生(小生)がお好きだから」・・ウルウルでした。以前、奥様とも井上陽水について話したことがありました。「小生がひとつだけ勝ったことがあるんです、それは歯科大に合格したこと」。彼は受験に三度失敗して歌手になられました。合格されていたら「陽水ワールド」はこの世に誕生しなかったでしょう。

訪問診療のみならず、介護に携わっていらっしゃる方々、ぜひ歌をそばに!もちろん「万謝」、それは蕎麦でした。お後がよろしいようで・・。

BBTime 688 巡礼旅その2一人旅

「バッタとぶアジアの空のうすみどり」坪内稔典

2025/10/12投稿
巡礼旅日本出発9/12。名古屋駅朝06:20発新幹線で東京へ向かう途中、友人より「羽田行き予定便欠航、現在八方塞がり」とLINE。小生、ともかく東京羽田空港へ向かいます。途中、富士山も雲に覆われ姿は見えず。

9/12金曜日午前十時頃には羽田空港第三ターミナル到着。「新幹線や九州内の他の空港など模索中」とLINE受信。そもそも今回の巡礼旅のきっかけはS氏の一言「サンティアゴ・デ・コンポステーラ知ってます?」「知ってますよ!」「行きませんか?」「行こう、行こう」と即決したのが二年程前。その後、話題に登らず流れたかなと思っていたら、今秋実現の運びとなり、飛行機チケットなどは彼がネットで手配してくれました。

当初、フランスの道780kmを小分けにして歩こう(最低100km以上は必要)と調べるうちに、ルートが色々あるとわかり取得可能な休日数のことも考え結局「ポルトガルの道」を選びました。旅程では羽田から北京空港でトランジットに九時間あるので、北京空港で落ち合う案も出ましたが、手持ちのチケットのキャンセル料などを考慮し最終的に「今回、(S氏は)断念します」と結論が出たのが出国審査の列にいる時でした。・・「一人で、行くの?」「どうする?」と自問自答。やめる理由は見つかりませんでした・・またしても旅の醍醐味!

羽田出発直前搭乗する飛行機。バモス!前進あるのみと北京行きへ一人搭乗、北京空港まで四時間弱のフライト、安いチケットなので席は真ん中。左隣は大柄白人男性、パソコンにヘッドホンを繋いで音楽を聴いている様子。パソコン画面の数々の曲名(ジャケットなど)をチラリと見るに同世代と踏んで声をかけるとドイツ人。「化学製品会社員で日本から北京へ。その後上海に寄ってフランクフルトへ帰る」とのこと。オクトバフェスト、ドイツワインなどの話で盛り上がりアッという間のフライトでした。まさしく「Time Flies」。北京到着後、マークも何もない真っ白不気味な飛行機発見!ドイツ人曰く「ロシアの飛行機だ」。

北京空港到着をS氏にLINEで報告すると「ラウンジ利用できます」とQRコードが送られてきました。ラウンジに向かう途中、スタバでエビアン(小振りボトル)を買うと457円。ラウンジとは名ばかり学食の方がまだマシという空間に到着。匂いがごちゃ混ぜ、飲み物、カップ麺、菓子など。目に留まったのが冒頭の画像。「命短し、楽しく生きよ」のような文章。短いのは中身でした!

「北京特産」と表示してある餅は殆ど甘くなくお代わりしました。しばし休んでマドリード行きゲート前でひと眠り・・つづく

「前進する!」と言えば、この曲「Adelantando」。詳しくはこちらも「耳よりな話

これは二人ですが。

BBTime 687 巡礼旅その1初野宿

「突抜ける青が好き青十月の」北島輝郎

2025/10/10投稿
前回の投稿から二ヶ月近く経ちました。先月九月中旬に「歩きの研修」と称して巡礼旅でした。ご存じの方も多いと思います「サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼」です。いくつかのルートがあります、今回は日程のこともあり「ポルトガルからスペイン」の巡礼路を歩きました。では順次、巡礼を振り返ります。その前に句の解説『直球。ストレートに、十月をむかえた喜びを歌っている。爽やかな十月。今年も、そうあってほしいものだ。。さて、せっかくの爽やかな句の雰囲気に水をさすようだが、今日は一理屈こねたくなっている(えっ、いつものことだって、……すみません)。そんな気分になったのは、句の「好き」に触発されたからだ。いつの頃からか、俳句や短歌に「好き」だの「嫌い」だのという生(なま)の感情がそのまま詠まれるようになってきた。とてもひっかかる言葉遣いだ。理由は、もとより「好き」や「嫌い」は誰にでも生ずる感情だけれど、それを生で表現することの意図がわからない点にある。そうした作品を読むと、「好き」「嫌い」は作者の勝手であるが、読者である私はそう言われても困ってしまう場合が多いのだ。そこのところを、作者は読者が困らないように説得するのが「作品」であるのに、それをしていない「作品もどき」が大半である。私の常識では、この種の書き物を文学とはとても呼べない。文学以前に、作者がそうした個人的にしか通用しない生の感情を、なぜ作品として発表したいのか。他人に読んでもらいたいのか。不可解すぎて欠伸が出てしまう。社会常識もたいしたものではないことを前提にして言うのだが、こうした表現などをひっくるめて、世間は「変態」と呼んできた。ただ、私に言わせれば「変態」も結構なのだけれど、幼稚な「変態」は「嫌い」だということである。(清水哲男)』(引用元)。ではバモス!Vamos!=Let’s Go!

旅程は、地図のほぼ中央、ポルトガルの北の端ヴァレンサ(Valenca)からサンティアゴ・デ・コンポステーラまで124km五日間の巡礼。9/11夜に鹿児島空港出発、翌9/12昼に羽田発→北京→マドリード→ポルト空港。ポルト空港からバスでヴァレンサへ(9/13泊)の予定でした・・ところが「Travel is trouble」。これぞ旅の醍醐味!と言えば聞こえは良いのですが・・

9/11木曜夜20:10鹿児島空港発羽田行き。「羽田空港天候不良のため出発が一時間以上遅れる見込みです」とのアナウンス、「はじまりはいつも雨」ならぬ「始まりからトラブル」。待つことしばし「まもなく機内へご案内できます」、約30分遅れで離陸となりました。上空アナウンスで「羽田への着陸許可を待っております、現在静岡県上空」と機長。「やれやれ」とまた眠りに着くと・・「目的地変更でセントレア空港へ向かいます」と機長。セントレアって名古屋じゃん!雨のせいだからしょうがないとセントレア空港着が23:30頃。セントレア空港は初めて(過去トランジット利用1回有り)ゆえ、名古屋中心部へのアクセスも皆目見当もつかず。とりあえず名古屋駅まで移動しようとリムジンバス乗り場へ。

バス出発は夜中12時を過ぎていました。小生の便(飛行機)のみではなかったようで、バス停には長蛇の列。どう見てもバス一台には乗り切れません。初老の運転手の方が「増便はありません、増便はしませんが、待たれるのであれば(名古屋駅前から)また戻ってきます」とのこと。利用した航空会社のセントレア空港での素っ気ない対応とは違い、ホッとさせる運転手の言葉でした。

名古屋駅前到着は9/12 1:40過ぎ。駅前のサウナで東京行き新幹線始発を待とうと思ってましたが、エネルギー枯渇。駅構内は朝4:50までロックで入れず、結局、駅前交番前のモニュメント台座で夜を明かすことになりました。人生初野宿!日本を離れる前から初野宿とは、この先何が起こるやらと「不安とワクワク」のなかウトウト。途中、小雨が降り軒下に移動、通路に座り込んでウツラウツラ。朝四時半頃から駅入り口には入場を待つ人の列ができ始め、4:50の開錠とともにダッシュで切符売り場へ。皆さん、新幹線始発の自由席に座るべくの列です。

9/12 6:20発新幹線乗車、やっと椅子に座ることができました。8:15東京駅着予定で雲隠れの富士山見ながらウトウト。巡礼旅同行者の友人からラインが入ります「乗るべき飛行機が昨日の羽田の影響で欠航、羽田に向かう他の手段模索中」とのこと。同行予定の友人は9/12当日朝に鹿児島近県空港から羽田へ、羽田で昼前合流予定でした・・旅はつづく

続きをアップしていきます、早く先を読みたい方は、小生のインスタグラムへどうぞ。

BBTime 686 おかげ豆福(とうふ)

「新涼や豆腐驚く唐辛子」前田普羅

2025/08/18投稿
秋というのは暦ばかり、まだまだ真夏の鹿児島市です。句の解説は『俳句で擬人法はいけないと習う。いつしか自分も人にそう説いている。なぜいけないか。表現がそのものの在りようから離れて安易に喩えられてしまうからだ。「ような」や「ごとく」を用いた安易な直喩がいけないと教わるのと同じ理屈である。しかしよく考えてみると罪は「擬人法」や「直喩」にあるのではなくて「安易な」点にある。両者は安易になりがちなので避けた方がいいという技術のノウハウがいつしか禁忌に変わる。「良い句をつくる効率的で無難な条件」からはねられた用法が「悪しき」というレッテルを貼られるのである。豆腐が、添えられた唐辛子に驚いているという把握は実に新鮮で素朴な感動を呼ぶ。俳句の原初の感動が「驚き」にあるということを改めて思わせてくれる。こういう句は造りが素朴なので、類型を生みやすい。そうか、このデンで行けばいいのかなどと思って、パスタ驚く烏賊の墨などと作るとそれこそが安易で悪しき例証となる。『新歳時記増訂版虚子編』(1951)所載。(今井 聖)』(引用元)。以前ご紹介した蕎麦の名店「万謝」にて、待つ間に雑誌に目を通すと「シュガーレス水羊羹」発見!すわ鎌倉ならぬ「すわ寿々炉(すずろ:店名)」と取り寄せました。

勿論、見た目で「シュガーレス」は分かりません。普羅は「唐辛子に驚く豆腐」に新涼を感じたようですが、小生この「豆福」の美味しさに驚きました。還元麦芽糖使用の水羊羹、少し水っぽい味かなとの予想を裏切る味わいに深く感動しました。甘い甘くないの?・・いえいえ美味しい!

画像は「寿々炉」HPより拝借。この「おかげ豆福」と冷たい緑茶があれば、残暑乗り切れます!冷凍にて取り寄せ可能で、青森弘前市から鹿児島まで翌々日には届きます。お店に問い合わせたところ「前社長の主治医より「糖尿病でも安心して食べられるお菓子が作れないものか」と提案され商品化されました」とのこと。美味しいシュガーレス水羊羹が生まれたのは前社長の「おかげ」です。おやつ堂の定番メニューがひとつ増えました。では皆様、ご自愛の程ご歯愛の程

BBTime 685 唯一無二かも

「ワタナベのジュースの素です雲の峰」三宅やよい

2025/8/9「長崎原爆の日」
前回投稿 7/5から早ひと月経ちました。句の解説『雲の峰は郷愁を誘う。「子供にだって郷愁はある」と言ったのは辻征夫だが、少年期を過ごした三宅島の夏の海での感慨だったような……。沖には、きっと巨大な雲の峰が聳えていただろう。空は未来を指さすけれど、雲の峰は人を過去へと連れていく。私だけの感受性かとも思ったりするが、どうやらそうでもないらしい。それにしても「ワタナベのジュースの素」とは、懐しや。すっかり、忘れていました。よく飲みました。「ジュースの素」である粉末をコップの水に溶かすだけ。オレンジ味、イチゴ味などがあり、それぞれにそれらしい色がついていたと記憶する。一世を風靡したのは、いつごろのことだったのか。いずれにせよ、日本がまだ貧乏だった時代だ。「ワタナベのジュースの素です、もうイッパイッ」というラジオのCMソングも流行した。1962年にテレビCMで登場したコカ・コーラの歌「スカッとさわやか、コカ・コーラーッ」も同工異曲だった。無理やりに、商品名を覚えさせられたという感じ。ちなみに、コカ・コーラの戦後の日本での発売は1961年だが、戦前にも輸入されたことがあり、高村光太郎や芥川龍之介も飲んだことがあるという。難しい顔で飲んでいる様子を想像すると、ほほ笑ましくなる。『玩具帳』(2000)所収。(清水哲男)』(引用元)。今回、チャットGPTに色々と質問してみました。冒頭画像は鹿児島市喜入の雲の峰(入道雲)。

昨今「生成AI」「チャットGPT」など、聞かない日はありません。そこで、おやつ堂・ムシ歯予防カフェなどを質問したところ、結構、嬉しい答えが帰って来ました。

手前味噌の内容となりましたが、四点の画像(スクリーンショット)はチャットGPTの回答です。ちなみにムシ歯予防カフェ「おやつ堂」インスタグラムはこちら。なお「ムシ歯予防カフェ」「おやつ堂」ともに商標登録取得しております、ご使用に関してはご注意ください。「オヤツどうですか?ハミガキどうですか」皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 684 イロハよりABC

「向日葵の非のうちどころ翳りゐて」小川双々子

2025/07/04投稿
向日葵は士野精二先生(熊本市在住)作。梅雨が明けた途端に真夏到来の鹿児島です。句の解説は『明るさを、明るさのままに享受しない。もとより、逆の場合もある。それは詩人の性(さが)というよりも、業(ごう)に近い物の見方であり感じ方だと思う。意地悪なまなざしの持ち主と誤解されるときもあろうが、まったく違うのだ。といって「盛者必滅」などと変に悟っているわけでもなくて、そのまなざしは物事や事象を、常にいわば運動体としてとらえるべく用意されている。現在のありのままの姿のなかに、既にその未来は準備されているという認識のもとで、まなざしは未来を予感すべく、ありのままを見つめようとする。作者の眼前の向日葵のありのままの姿には、実は一点の「非のうちどころ」もないのである。見事な花の盛りなのだ。しかし、花であれ人間であれ盛りの時期は短く、生きとし生ける者はことごとく、いずれは衰亡していくものだ。衰亡の種となるであろう「非のうちどころ」は、いまのところ「翳りゐて」見えないのだが、確実にそこに存在しているではないかという句だ。手垢にまみれた「非のうちどころ」という言葉を逆手に取った手法も、新鮮で魅力的である。『異韻稿』(1997)所収。(清水哲男)』(引用元)。今回は「Abc」「aBc」「abC」「ABC三角」の結びのお話。

以前「ものごとのイロハ」というスライドを作りました。食べることは大事で、まず胃=イ、次はロ=口(くち)、口の中の歯=ハも忘れずに!でイロハ。今回、歩くについて色々と考えるに・・結論:イロハの前に ABCだ!と考えます。想像してください。原始人が朝、日の出とともに目覚めます。空腹です、食べ物を探しに洞穴を出ます。まず「A=歩く」、食べ物を見つけて「B=バイト・食べる」。さすがに原始人は歯磨きもしなければ入浴(身体を洗う)もありません。ただし排泄はします。これも身体内部のクリーニングと言えます。やはり「イロハよりABC」!

今年二月に「vivobarefoot」に出会いほぼ毎日この靴です。ソールが薄いために横断歩道の白い線の段差を感じることができます。つま先と踵の段差がない靴底(ゼロドロップ)なので、踵着地ではなく足の前方着地で歩きます。加えてほぼ毎日一万歩以上歩いています。ヒトは荷物を持たずに歩くだけでは体重は減りません。歩くという行動はものすごくエネルギー効率の良い活動なのです。体重はさほど変化しませんが、ウエストは引き締まってきました。大方、朝歩きます。精神的ストレスを感じていても、歩くほどに解放されていくのを実感します。こちら「中毒性あり」もご参照ください。

日々考えます。食欲と睡眠欲において優先順位が高いのはどちら?おそらく睡眠欲が優位でしょう。飽食の今は「空腹」を少しでも感じるとすぐに「小腹を満たす」行動を取りがちですが、原始人はそうはいかなかったでしょう。こう考えると「食」は二の次なのです。イロハよりABC、今日からできる健康長寿法ですよ、きっと。直立二足歩行でヒトとなりました、何はともあれ歩きましょう。では皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 683 ABC三角

「風薫るこれからといふ人生に」今橋眞理子

2025/06/23投稿
6/6朝の桜島です。句の解説『風薫るとは、青葉若葉を吹き抜けるすがすがしい季語である。初夏の茶席によく掛けられる軸「薫風自南来」の出典は皇帝と詩人のやりとりのなかで生まれた漢詩だが、のちに禅語として取り上げられたことで、一層の涼味が加わった。黒々とした字配りと禅語風の「くんぷーじなんらい」という調子は、目にし、口にするだけで執着やわだかまりから解放されるような心地になる。掲句はこれから新しい一歩を踏み出す背中へ向けたエールである。この世の美しいものだけに触れながら通う風は、光りに満ち、未来に向かって吹き渡るのにもっともふさわしいものだろう。日々のなかで悩んだり、迷ったりしても、風薫る季節がいつでも初心を思い出させてくれる。本書のあとがきに「偶然が意味を持つ時、それは運命となる」とある。運命の扉はいつでも開かれるのを待っている。『風薫る』(2014)所収。(土肥あき子)』(引用元)。今回はabcの相互関係について。

まず、abcとはaは歩く、bはバイト(食べる)、cはクリーニング。それぞれはこちら「Abc」「aBc」「abC」へ。私見ですが、ABCは図のようにように相関しています。
1)A-B:歩くと食べるの関係は・・人の定義でまず挙げられるのが「直立二足歩行」で、近年この二足歩行の起源が「食料を運ぶため」と言われてます。詳しくは「食物供給仮説(プレゼント仮説)」ご参照のほど。もちろん歩く(日々の活動)とお腹は減ります。
2)B-C:B(食べる・しゃべる)とC(クリーニング)の関係は・・野菜など繊維質のものを食べると歯の自浄作用が期待できます。話すことはストレスリリース(脳のクリーニング)を助けます。

朝日新聞「折々のことば」、御意!
3)C-A:クリーニングと歩くの関係は・・「C」にcirculation:循環を加えれば、足が第二の心臓と言われるように、歩くことで全身の循環が促進されます。
すなわち「ABC」はA-B-Cのような直線的関係ではなく、三角形となって相関しています。句にある「これからといふ人生」を謳歌するためにも、日々の生活の中に「ABC三角」をひとつのヒントとして取り入れてください。最後に具体策を小生の経験からお話します。「車とテレビを持たない」・・この二つを生活から排除することでABC三角は日々実行され、ABCサイクルとなることでしょう。では皆様、ご自愛の程ご歯愛の程

BBTime 682 abC

「一生の楽しきころのソーダ水」富安風生

2025/6/16投稿 6/17追加
早いもので前回投稿から一ヶ月経ちました。掲句は、この時期になると思い出します。解説は『季語は「ソーダ水」で夏。大正の頃から使われるようになった季語という。ラムネやサイダーとは違って、どういうわけか男はあまりソーダ水を飲まない。甘みが濃いことも一因だろうが、それよりも見かけが少女趣味的だからだろうか。いい年をした男が、ひとりでソーダ水を飲んでいる図はサマになるとは言いがたい。だからちょくちょく飲んだとすれば、句にあるように「一生の楽しきころ」のことだろう。まだ小さかった子供のころともとれるが、この場合は青春期と解しておきたい。女性とつきあってのソーダ水ならば、微笑ましい図となる。喫茶店でソーダ水を前にした若い男女の姿を目撃して、作者はあのころがいちばん楽しかったなあと若き日を懐古しているのだ。むろん、味などは覚えてはいない。ただそのころの甘酸っぱい思いがふっとよみがえり、やがてその淡い思いはほろ苦さに変わっていく。年をとるとは、そういうことでもある。ある程度の年齢に達した人ならば、この句に触れて、では自分の楽しかった時代はいつ頃のことだったかと想起しようとするだろう。私もあれこれ考えてみて、無粋な話だが、青春期よりも子供の頃という結論に達した。ソーダ水の存在すら知らなかった頃。赤貧洗うがごとしの暮らしだったけれど、力いっぱい全身で生きていたような感じがするからだ。その後の人生は、あの頃の付録みたいな気さえしてくる。強いて当時の思い出の飲み物をあげるとすれば、砂糖水くらいかなあ。「砂糖水まぜればけぶる月日かな」(岡本眸)。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)』(引用元)。さてabcもやっと完結、今回「C」について。「Abc」はこちら、「aBc」はこちら

今朝(6/16 6:38)の桜島。
「C」はクリーニングです。シンプルに
1)口のクリーニング:歯磨き
2)体のクリーニング:入浴
3)脳のクリーニング:ストレス解放
口の中、皮膚の表面、脳の中、汚れや垢(あか)が溜まるとどうなるか?それら汚れに対して起こる反応のひとつが炎症です。軽微な炎症であっても慢性的(日々毎日)に起こっていれば、病気を引き起こしたり、老化や劣化を促進します。近頃よく聞くようになったのが脳のゴミと言われる「アミロイドベータ」。これが脳内に溜まってしまうとアルツハイマー型認知症を引き起こすとのこと。歯の汚れはムシ歯や歯周病の原因です。

無印良品の本「掃除」。はじめに「気持ちがいいのは なぜだろう」とあり、終わりに「『したがって、自然をほどほどに受け入れつつ、適度に排除しながらヒトは暮らしてきたのでしょう』・『まるで、打ち寄せる波が砂浜を洗う渚のように、人為と自然がせめぎ合う「ほどほどの心地よさ」を探し当てること、それが「掃除」の極意なのかもしれません』・・『この先の未来においてどんなに技術が進んでも、ヒトは生き物。身体の奥底に響き続ける生のリズムがあります。ここに耳をすませていきたいものです』(引用元)」
また本の中にはない文がネットにはあります、次の文章です。

持論ですが「体の中で起きていることを、ヒトは行動として行う」。体内において「異物排除機構」なるシステムが働きます。まさにこれに相当する行為が「掃除」です。よって掃除することは、後書きにある「身体の奥底に響き続ける生のリズム」と響き合うこと。それが「気持ちいい」となるのではないかと思います。

ABC=歩く・バイト(かむ)・クリーニング。あらためて思います、この三つは「最も人間らしい行為」だと。ひとつの意見として・・人生を生き切る、味わい尽くすためには、歩いて、口から食べて、キレイにする。日々の「abc」を見直してみてはいかがでしょうか。では皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。


追加:こちらの記事もどうぞ。「信心の前にまず掃除
「だから釈迦の仏弟子は「掃除」で悟りを開いた」