BBTime 690 今年のベスト

「数へ日のこころのはしを人通る」矢島渚男

2025/12/28投稿 画像は今朝のお姿(桜島)
早いもので今年も残り三日。句の解説は『もういくつねるとお正月……。こんな子供の歌のように、新しい年まであと何日と数えるから「数え日」。いよいよ押し詰まってきたと実感するころのことをいう。あれこれと年内にすませておきたい用事があり、残された日々との競争で、何から手を付けようかと思案中。そんな心のはしを、会っておかなければならぬ人の姿がひとり、またひとりと通り過ぎていく。そんなわけで、ますます焦燥感にかられることになる。『木蘭』所収。(清水哲男)』(引用元)。・・なるほど「こころのはし」とは頭の中、頭の片隅のことなんですね。今回は今年2025年に買って良かったモノNo.1について。

師走が近づくと画像のようなタイトルを目にします。小生の今年2025年の「買って良かったモノ」の中でNo.1をご紹介します。そのモノとは「靴」、具体的にはvivobarefoot。

今年の二月(2/21)に一足目(初ビボ)買いました。ほぼ1ヶ月後3/22に大阪で50kmウオークを完歩。九月9/14からポルトガル北(ヴァレンサ)を出発しサンティアゴ・デ・コンポステーラ(スペイン)まで124kmの巡礼旅を歩きました。大袈裟なようですが、この靴との出会いで人生が今まで以上に楽しくなったのです。次ブログもご参照の程・・ビボベアフット「中毒性あり」、大阪ウオーク「歩きました50km!」、巡礼旅「巡礼旅

vivobarefoot以外にも似たようなコンセプトの靴がいろいろ登場しているようです。ポイントは1)ゼロドロップ=つま先と踵の高低差がない 2)靴底が薄い 3)足の指の空間がゆったり などでしょうか。この靴を履き始めて変わったこと・気付いたことを時系列に述べてみます。
1)靴底が薄いので、路面や地面の凹凸などをしっかり感じることができる。例えば横断歩道ゼブラの白いペイントの厚みを感じることができる。
2)着地する箇所が「踵:かかと」から「足の前方部」に変化。よって履き始めは指の付け根の足裏に五百円玉大のマメができました。今は皮膚が厚くなっています。
3)歩くことがこんなにも楽しいものなのかと実感!このために「歩き」が全く苦にならなくなった。
4)ちょっとした段差につまづいてもこけない、反対の足がすぐに出る。
5)ビボの靴を履くまではいろいろな靴を履くことが可能でした、特にallbirdsをよく履いておりましたが、今ではビボ以外ではかろうじてkeenとビルケンシュトックのみが使用可能です。allbirdsは全て友人に差し上げました。
6)体重はさほど減りませんが、何十年振りかにウエストにくびれ出現!
7)ともかく歩くようになった。歩くことが楽しいから!

その昔、高校か大学の物理の時間に「ブラウン運動」を習いました。「浮遊する微粒子が不規則に運動する現象である」(Wikipediaより)。いつも歩くようになって「歩く」について気がついたことがあります。
1)歩きは本来、移動手段ではない。
2)歩きは人体における循環の役割を担っている。
3)歩く姿勢は足元を見て手を振らなくても良い。
4)歩きに目的地はなく、ブラウン運動のようにウロウロすることである。
5)真っ直ぐ歩く必要はなく足の向くままにウロウロ。
6)目的地を決めずにウロウロブラブラする散歩は非常に価値のある行為である。
7)ヒトにおいて「歩き」は必要不可欠な活動である。
8)歩く速さは脳の回転を刺激する。
9)ヒトは前に歩く、このことは前向きの考え(ポジティブ思考)を促進する。

以前「パレオダイエット」がちょっとしたブームになりました。歩きながら思うに、地面を感じながら歩くことはヒトを取り戻すことではないのか、歩くことで「ヒト回帰」できるような気がします。直立二足歩行するのがヒトです。ビボの靴を知って、50kmウオーキングに参加し、巡礼の旅に出ました。来年も巡礼旅に出る予定です。

「看却下:かんきゃっか」小生にとって一足の靴がまさに看却下となりました。ちなみに『暗い夜道で突然明かりが消えたならば、まず今ここでなすべきことは何か。それは他の余計なことは考えずに、つまずかないように足元をよく気を付けて行くということなのです。もう一歩進めて解釈をすると、自分自身をよく見なさいと。つまり、自分の足元を直しながら、我が生き方を深く反省しなさいということなのです。足元を見ると同時に、我が人生の至らなさを見て欲しいのです。未熟である自分に気づく、発見する・・・。足元を見ると言う事の中には、そういう大事な意味があるのです。ここに、もうちょっと違った人生の見方ができるのではないでしょうか』(引用元)。

過去に書きました「ABC三角」。まずは歩きましょう、歩きませんか、歩くべきです。今年も暮れます。ゆく年くる年・・地球も時も歩きます。皆様、ご自愛の程ご自愛の程 「歯は磨いてももらうもの」。手前味噌ながら「おやつ堂」は年末年始開店です。インスタグラムご参照の程。


BBTime 688 巡礼旅その2一人旅

「バッタとぶアジアの空のうすみどり」坪内稔典

2025/10/12投稿
巡礼旅日本出発9/12。名古屋駅朝06:20発新幹線で東京へ向かう途中、友人より「羽田行き予定便欠航、現在八方塞がり」とLINE。小生、ともかく東京羽田空港へ向かいます。途中、富士山も雲に覆われ姿は見えず。

9/12金曜日午前十時頃には羽田空港第三ターミナル到着。「新幹線や九州内の他の空港など模索中」とLINE受信。そもそも今回の巡礼旅のきっかけはS氏の一言「サンティアゴ・デ・コンポステーラ知ってます?」「知ってますよ!」「行きませんか?」「行こう、行こう」と即決したのが二年程前。その後、話題に登らず流れたかなと思っていたら、今秋実現の運びとなり、飛行機チケットなどは彼がネットで手配してくれました。

当初、フランスの道780kmを小分けにして歩こう(最低100km以上は必要)と調べるうちに、ルートが色々あるとわかり取得可能な休日数のことも考え結局「ポルトガルの道」を選びました。旅程では羽田から北京空港でトランジットに九時間あるので、北京空港で落ち合う案も出ましたが、手持ちのチケットのキャンセル料などを考慮し最終的に「今回、(S氏は)断念します」と結論が出たのが出国審査の列にいる時でした。・・「一人で、行くの?」「どうする?」と自問自答。やめる理由は見つかりませんでした・・またしても旅の醍醐味!

羽田出発直前搭乗する飛行機。バモス!前進あるのみと北京行きへ一人搭乗、北京空港まで四時間弱のフライト、安いチケットなので席は真ん中。左隣は大柄白人男性、パソコンにヘッドホンを繋いで音楽を聴いている様子。パソコン画面の数々の曲名(ジャケットなど)をチラリと見るに同世代と踏んで声をかけるとドイツ人。「化学製品会社員で日本から北京へ。その後上海に寄ってフランクフルトへ帰る」とのこと。オクトバフェスト、ドイツワインなどの話で盛り上がりアッという間のフライトでした。まさしく「Time Flies」。北京到着後、マークも何もない真っ白不気味な飛行機発見!ドイツ人曰く「ロシアの飛行機だ」。

北京空港到着をS氏にLINEで報告すると「ラウンジ利用できます」とQRコードが送られてきました。ラウンジに向かう途中、スタバでエビアン(小振りボトル)を買うと457円。ラウンジとは名ばかり学食の方がまだマシという空間に到着。匂いがごちゃ混ぜ、飲み物、カップ麺、菓子など。目に留まったのが冒頭の画像。「命短し、楽しく生きよ」のような文章。短いのは中身でした!

「北京特産」と表示してある餅は殆ど甘くなくお代わりしました。しばし休んでマドリード行きゲート前でひと眠り・・つづく

「前進する!」と言えば、この曲「Adelantando」。詳しくはこちらも「耳よりな話

これは二人ですが。

BBTime 687 巡礼旅その1初野宿

「突抜ける青が好き青十月の」北島輝郎

2025/10/10投稿
前回の投稿から二ヶ月近く経ちました。先月九月中旬に「歩きの研修」と称して巡礼旅でした。ご存じの方も多いと思います「サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼」です。いくつかのルートがあります、今回は日程のこともあり「ポルトガルからスペイン」の巡礼路を歩きました。では順次、巡礼を振り返ります。その前に句の解説『直球。ストレートに、十月をむかえた喜びを歌っている。爽やかな十月。今年も、そうあってほしいものだ。。さて、せっかくの爽やかな句の雰囲気に水をさすようだが、今日は一理屈こねたくなっている(えっ、いつものことだって、……すみません)。そんな気分になったのは、句の「好き」に触発されたからだ。いつの頃からか、俳句や短歌に「好き」だの「嫌い」だのという生(なま)の感情がそのまま詠まれるようになってきた。とてもひっかかる言葉遣いだ。理由は、もとより「好き」や「嫌い」は誰にでも生ずる感情だけれど、それを生で表現することの意図がわからない点にある。そうした作品を読むと、「好き」「嫌い」は作者の勝手であるが、読者である私はそう言われても困ってしまう場合が多いのだ。そこのところを、作者は読者が困らないように説得するのが「作品」であるのに、それをしていない「作品もどき」が大半である。私の常識では、この種の書き物を文学とはとても呼べない。文学以前に、作者がそうした個人的にしか通用しない生の感情を、なぜ作品として発表したいのか。他人に読んでもらいたいのか。不可解すぎて欠伸が出てしまう。社会常識もたいしたものではないことを前提にして言うのだが、こうした表現などをひっくるめて、世間は「変態」と呼んできた。ただ、私に言わせれば「変態」も結構なのだけれど、幼稚な「変態」は「嫌い」だということである。(清水哲男)』(引用元)。ではバモス!Vamos!=Let’s Go!

旅程は、地図のほぼ中央、ポルトガルの北の端ヴァレンサ(Valenca)からサンティアゴ・デ・コンポステーラまで124km五日間の巡礼。9/11夜に鹿児島空港出発、翌9/12昼に羽田発→北京→マドリード→ポルト空港。ポルト空港からバスでヴァレンサへ(9/13泊)の予定でした・・ところが「Travel is trouble」。これぞ旅の醍醐味!と言えば聞こえは良いのですが・・

9/11木曜夜20:10鹿児島空港発羽田行き。「羽田空港天候不良のため出発が一時間以上遅れる見込みです」とのアナウンス、「はじまりはいつも雨」ならぬ「始まりからトラブル」。待つことしばし「まもなく機内へご案内できます」、約30分遅れで離陸となりました。上空アナウンスで「羽田への着陸許可を待っております、現在静岡県上空」と機長。「やれやれ」とまた眠りに着くと・・「目的地変更でセントレア空港へ向かいます」と機長。セントレアって名古屋じゃん!雨のせいだからしょうがないとセントレア空港着が23:30頃。セントレア空港は初めて(過去トランジット利用1回有り)ゆえ、名古屋中心部へのアクセスも皆目見当もつかず。とりあえず名古屋駅まで移動しようとリムジンバス乗り場へ。

バス出発は夜中12時を過ぎていました。小生の便(飛行機)のみではなかったようで、バス停には長蛇の列。どう見てもバス一台には乗り切れません。初老の運転手の方が「増便はありません、増便はしませんが、待たれるのであれば(名古屋駅前から)また戻ってきます」とのこと。利用した航空会社のセントレア空港での素っ気ない対応とは違い、ホッとさせる運転手の言葉でした。

名古屋駅前到着は9/12 1:40過ぎ。駅前のサウナで東京行き新幹線始発を待とうと思ってましたが、エネルギー枯渇。駅構内は朝4:50までロックで入れず、結局、駅前交番前のモニュメント台座で夜を明かすことになりました。人生初野宿!日本を離れる前から初野宿とは、この先何が起こるやらと「不安とワクワク」のなかウトウト。途中、小雨が降り軒下に移動、通路に座り込んでウツラウツラ。朝四時半頃から駅入り口には入場を待つ人の列ができ始め、4:50の開錠とともにダッシュで切符売り場へ。皆さん、新幹線始発の自由席に座るべくの列です。

9/12 6:20発新幹線乗車、やっと椅子に座ることができました。8:15東京駅着予定で雲隠れの富士山見ながらウトウト。巡礼旅同行者の友人からラインが入ります「乗るべき飛行機が昨日の羽田の影響で欠航、羽田に向かう他の手段模索中」とのこと。同行予定の友人は9/12当日朝に鹿児島近県空港から羽田へ、羽田で昼前合流予定でした・・旅はつづく

続きをアップしていきます、早く先を読みたい方は、小生のインスタグラムへどうぞ。

BBTime 684 イロハよりABC

「向日葵の非のうちどころ翳りゐて」小川双々子

2025/07/04投稿
向日葵は士野精二先生(熊本市在住)作。梅雨が明けた途端に真夏到来の鹿児島です。句の解説は『明るさを、明るさのままに享受しない。もとより、逆の場合もある。それは詩人の性(さが)というよりも、業(ごう)に近い物の見方であり感じ方だと思う。意地悪なまなざしの持ち主と誤解されるときもあろうが、まったく違うのだ。といって「盛者必滅」などと変に悟っているわけでもなくて、そのまなざしは物事や事象を、常にいわば運動体としてとらえるべく用意されている。現在のありのままの姿のなかに、既にその未来は準備されているという認識のもとで、まなざしは未来を予感すべく、ありのままを見つめようとする。作者の眼前の向日葵のありのままの姿には、実は一点の「非のうちどころ」もないのである。見事な花の盛りなのだ。しかし、花であれ人間であれ盛りの時期は短く、生きとし生ける者はことごとく、いずれは衰亡していくものだ。衰亡の種となるであろう「非のうちどころ」は、いまのところ「翳りゐて」見えないのだが、確実にそこに存在しているではないかという句だ。手垢にまみれた「非のうちどころ」という言葉を逆手に取った手法も、新鮮で魅力的である。『異韻稿』(1997)所収。(清水哲男)』(引用元)。今回は「Abc」「aBc」「abC」「ABC三角」の結びのお話。

以前「ものごとのイロハ」というスライドを作りました。食べることは大事で、まず胃=イ、次はロ=口(くち)、口の中の歯=ハも忘れずに!でイロハ。今回、歩くについて色々と考えるに・・結論:イロハの前に ABCだ!と考えます。想像してください。原始人が朝、日の出とともに目覚めます。空腹です、食べ物を探しに洞穴を出ます。まず「A=歩く」、食べ物を見つけて「B=バイト・食べる」。さすがに原始人は歯磨きもしなければ入浴(身体を洗う)もありません。ただし排泄はします。これも身体内部のクリーニングと言えます。やはり「イロハよりABC」!

今年二月に「vivobarefoot」に出会いほぼ毎日この靴です。ソールが薄いために横断歩道の白い線の段差を感じることができます。つま先と踵の段差がない靴底(ゼロドロップ)なので、踵着地ではなく足の前方着地で歩きます。加えてほぼ毎日一万歩以上歩いています。ヒトは荷物を持たずに歩くだけでは体重は減りません。歩くという行動はものすごくエネルギー効率の良い活動なのです。体重はさほど変化しませんが、ウエストは引き締まってきました。大方、朝歩きます。精神的ストレスを感じていても、歩くほどに解放されていくのを実感します。こちら「中毒性あり」もご参照ください。

日々考えます。食欲と睡眠欲において優先順位が高いのはどちら?おそらく睡眠欲が優位でしょう。飽食の今は「空腹」を少しでも感じるとすぐに「小腹を満たす」行動を取りがちですが、原始人はそうはいかなかったでしょう。こう考えると「食」は二の次なのです。イロハよりABC、今日からできる健康長寿法ですよ、きっと。直立二足歩行でヒトとなりました、何はともあれ歩きましょう。では皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 683 ABC三角

「風薫るこれからといふ人生に」今橋眞理子

2025/06/23投稿
6/6朝の桜島です。句の解説『風薫るとは、青葉若葉を吹き抜けるすがすがしい季語である。初夏の茶席によく掛けられる軸「薫風自南来」の出典は皇帝と詩人のやりとりのなかで生まれた漢詩だが、のちに禅語として取り上げられたことで、一層の涼味が加わった。黒々とした字配りと禅語風の「くんぷーじなんらい」という調子は、目にし、口にするだけで執着やわだかまりから解放されるような心地になる。掲句はこれから新しい一歩を踏み出す背中へ向けたエールである。この世の美しいものだけに触れながら通う風は、光りに満ち、未来に向かって吹き渡るのにもっともふさわしいものだろう。日々のなかで悩んだり、迷ったりしても、風薫る季節がいつでも初心を思い出させてくれる。本書のあとがきに「偶然が意味を持つ時、それは運命となる」とある。運命の扉はいつでも開かれるのを待っている。『風薫る』(2014)所収。(土肥あき子)』(引用元)。今回はabcの相互関係について。

まず、abcとはaは歩く、bはバイト(食べる)、cはクリーニング。それぞれはこちら「Abc」「aBc」「abC」へ。私見ですが、ABCは図のようにように相関しています。
1)A-B:歩くと食べるの関係は・・人の定義でまず挙げられるのが「直立二足歩行」で、近年この二足歩行の起源が「食料を運ぶため」と言われてます。詳しくは「食物供給仮説(プレゼント仮説)」ご参照のほど。もちろん歩く(日々の活動)とお腹は減ります。
2)B-C:B(食べる・しゃべる)とC(クリーニング)の関係は・・野菜など繊維質のものを食べると歯の自浄作用が期待できます。話すことはストレスリリース(脳のクリーニング)を助けます。

朝日新聞「折々のことば」、御意!
3)C-A:クリーニングと歩くの関係は・・「C」にcirculation:循環を加えれば、足が第二の心臓と言われるように、歩くことで全身の循環が促進されます。
すなわち「ABC」はA-B-Cのような直線的関係ではなく、三角形となって相関しています。句にある「これからといふ人生」を謳歌するためにも、日々の生活の中に「ABC三角」をひとつのヒントとして取り入れてください。最後に具体策を小生の経験からお話します。「車とテレビを持たない」・・この二つを生活から排除することでABC三角は日々実行され、ABCサイクルとなることでしょう。では皆様、ご自愛の程ご歯愛の程

BBTime 682 abC

「一生の楽しきころのソーダ水」富安風生

2025/6/16投稿 6/17追加
早いもので前回投稿から一ヶ月経ちました。掲句は、この時期になると思い出します。解説は『季語は「ソーダ水」で夏。大正の頃から使われるようになった季語という。ラムネやサイダーとは違って、どういうわけか男はあまりソーダ水を飲まない。甘みが濃いことも一因だろうが、それよりも見かけが少女趣味的だからだろうか。いい年をした男が、ひとりでソーダ水を飲んでいる図はサマになるとは言いがたい。だからちょくちょく飲んだとすれば、句にあるように「一生の楽しきころ」のことだろう。まだ小さかった子供のころともとれるが、この場合は青春期と解しておきたい。女性とつきあってのソーダ水ならば、微笑ましい図となる。喫茶店でソーダ水を前にした若い男女の姿を目撃して、作者はあのころがいちばん楽しかったなあと若き日を懐古しているのだ。むろん、味などは覚えてはいない。ただそのころの甘酸っぱい思いがふっとよみがえり、やがてその淡い思いはほろ苦さに変わっていく。年をとるとは、そういうことでもある。ある程度の年齢に達した人ならば、この句に触れて、では自分の楽しかった時代はいつ頃のことだったかと想起しようとするだろう。私もあれこれ考えてみて、無粋な話だが、青春期よりも子供の頃という結論に達した。ソーダ水の存在すら知らなかった頃。赤貧洗うがごとしの暮らしだったけれど、力いっぱい全身で生きていたような感じがするからだ。その後の人生は、あの頃の付録みたいな気さえしてくる。強いて当時の思い出の飲み物をあげるとすれば、砂糖水くらいかなあ。「砂糖水まぜればけぶる月日かな」(岡本眸)。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)』(引用元)。さてabcもやっと完結、今回「C」について。「Abc」はこちら、「aBc」はこちら

今朝(6/16 6:38)の桜島。
「C」はクリーニングです。シンプルに
1)口のクリーニング:歯磨き
2)体のクリーニング:入浴
3)脳のクリーニング:ストレス解放
口の中、皮膚の表面、脳の中、汚れや垢(あか)が溜まるとどうなるか?それら汚れに対して起こる反応のひとつが炎症です。軽微な炎症であっても慢性的(日々毎日)に起こっていれば、病気を引き起こしたり、老化や劣化を促進します。近頃よく聞くようになったのが脳のゴミと言われる「アミロイドベータ」。これが脳内に溜まってしまうとアルツハイマー型認知症を引き起こすとのこと。歯の汚れはムシ歯や歯周病の原因です。

無印良品の本「掃除」。はじめに「気持ちがいいのは なぜだろう」とあり、終わりに「『したがって、自然をほどほどに受け入れつつ、適度に排除しながらヒトは暮らしてきたのでしょう』・『まるで、打ち寄せる波が砂浜を洗う渚のように、人為と自然がせめぎ合う「ほどほどの心地よさ」を探し当てること、それが「掃除」の極意なのかもしれません』・・『この先の未来においてどんなに技術が進んでも、ヒトは生き物。身体の奥底に響き続ける生のリズムがあります。ここに耳をすませていきたいものです』(引用元)」
また本の中にはない文がネットにはあります、次の文章です。

持論ですが「体の中で起きていることを、ヒトは行動として行う」。体内において「異物排除機構」なるシステムが働きます。まさにこれに相当する行為が「掃除」です。よって掃除することは、後書きにある「身体の奥底に響き続ける生のリズム」と響き合うこと。それが「気持ちいい」となるのではないかと思います。

ABC=歩く・バイト(かむ)・クリーニング。あらためて思います、この三つは「最も人間らしい行為」だと。ひとつの意見として・・人生を生き切る、味わい尽くすためには、歩いて、口から食べて、キレイにする。日々の「abc」を見直してみてはいかがでしょうか。では皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。


追加:こちらの記事もどうぞ。「信心の前にまず掃除
「だから釈迦の仏弟子は「掃除」で悟りを開いた」

BBTime 681 aBc

「母の日のてのひらの味塩むすび」鷹羽狩行

2025/05/11母の日投稿
櫂 未知子著「食の一句」に『海苔も巻かず、米と塩だけを供する塩むすびはまさしく家庭の味。かつての母達は、おなかをすかせた子供達のためにさっとおむすびを作ってくれた。贅沢とは無縁だった古き日本の母親達は、その<てのひら>から素朴な、しかし間違いなく美味しいものを生み出してくれた。子が母を信頼するのは、理屈ではない。空腹を満たしてくれたかどうか、である』(82頁より引用)。今回は「abc」の「B」。abcとは歩く(a)、口から食べる(b:バイト)、きれいにする(c:クリーニング)。「B」bite=噛む(口から食べる)について。

東京三田「コート・ドール」赤ピーマンのムース。昨年夏食事した際、斉須政雄シェフに「記憶の中の美味しいものは?」とお尋ねしたところ、即答「母のおむすび」でした。昔、シェフにインタビューしております。是非お読みください「「La Cuisine,C’est toute ma Vie.」-料理、これこそ、わが全人生」。

「国産牛の尾の煮込み・ワイン・ソース」
訪問診療でいろいろな施設に行きます。時間がお昼前だとちょうどお昼ご飯の用意の最中。利用者の方の「食べる」の状態に合わせて食事の形状も色々です。普通食、きざみ食、ミキサー食等々。ある時、ミキサー食に発見がありました。ミキサー(ブレンダー)処理してありますので、料理の色はぼやけています。一番の驚きは「臭い・香り」です。普通食であればテーブル脇に立った姿勢でサラダなら野菜の匂い香りがします。ミキサー食はその皿に顔を近づけて鼻でクンクンしてやっとカボチャだな、とわかるのです。

口の状態:歯があっても噛む力が弱い、義歯を持っていても使えないなど理由は様々でミキサー食選択となるですが・・。歩く同様「口から食べる」を死守してください。口から食べる、歯で噛んで食べることで味わえるのです。噛んで食べることで脳にもプラスがあります。噛むごとに脳に血液を送り込んでいるのです。ひと噛み毎に約3.5ccの血液が脳に供給されます。魚の形の醤油入れの量です。詳しくは「カムカムポンプ」を。

「B」の死守して欲しいもうひとつは「声を出す」です。おしゃべりでも歌うでもOKです、ともかく声を出してください。声を出さなくなると次第に声が出なくなります。声が出なくなる、すなわち声帯が弱くなると「咳払い」ができなくなるのです。すると誤嚥性肺炎リスクが高まります。施設のスタッフの方には「おはようと声をかけた際に、必ず利用者の方からも、声でおはようと返してもらってください」とお願いします。「おはよう・おはようございます」の声に、ただ頷くのではダメです、「おはよう」の声が出るまでしつこく声をかけてください。声帯については「セイタイハイリョ」をご参考に。

ふと思い出しました。その昔、小学生の頃下校時に近所の家から「お経」が聞こえて来ました。おそらくお年寄りの読経でした。この読経(どきょう)、昔の人の知恵だと思います。それなりに大きな声を日に数回数分間出す、しかも毎日・・これは明らかに声帯筋肉のトレーニングです。今回はabcの「B:口から食べる・声を出す」。人生を生ききる秘訣のひとつです。皆様、ご自愛の程ご歯愛の程

BBTime 680 中毒性有り

「行春や鳥啼魚の目に泪」松尾芭蕉

2025/04/19投稿 4/20加筆
ご無沙汰です、今朝のお姿(6:32桜島)。早いもので今年も三分の一が過ぎようとしております。句の解説『今から二百年以上も前の俳句の一つがいつ詠まれたか日付までよくわかっているものだと半信半疑であるが、これが本当なら「菜の花や…」は蕪村四十八歳の作だ。天文学的考証をすれば、旧暦の十四日か十五日の情景を詠んでいることになる。それはともかく、蕪村は画家だけあって、この句も非常に絵画的である。放浪生活ののち俳句にのめりこみ、「芭蕉に復(かえ)れ」の主張の下、俳諧復興の指導者となった。絵も俳句もやり始めるととことん極める人で、才能だけに甘えず勉強を怠らなかった。その結果が非常に単純明快な言葉に落ち着いているのがニクイ。単純明快はたやすいようで、むずかしいのだ。わが故郷、神戸の須磨浦海岸へ行くと、蕪村のこれまた有名な句「春の海ひねもすのたりのたりかな」の碑が建っている。春の瀬戸内海はまさに、この句を絵にかいたようなものだった。(松本哉)*この有名な句は、安永三年(1774)の今日3/23(旧暦・2月15日)詠まれたと伝えられている。(編者註)』(引用元)。この四ヶ月で中毒になりつつある三つ。

まずは「万謝:ばんしゃ」谷山の蕎麦屋。「BBTime 676 脱皮」に書きましたが、長野育ち蕎麦通友人の一言で通い始めました。メニューを一通り食べ、その後はその日の気分で選びほぼ毎週食べております。中毒性有りの理由を蕎麦を待ちながら、食べながら考えるに、1)蕎麦が本物であること。2)つゆが素晴らしいこと。3)食べ方(蕎麦の楽しみ方)へのさりげないサジェスチョン(アドバイス)。4)店の媚びない姿勢。などでしょうか。日々の食事のそばに置きたい「万謝」です。

二つ目はvivobarefootの靴(画像はHPより)。BBTime 677 Abc に書きました、この靴には中毒性あります!買って約二ヶ月履いていますが、他の靴がほぼ履けなくなりました。これに出会うまでのメインはallbirds(オールバーズ)。オールバースを知り虜になり計五足か六足求めました。ところが今ではビボ以外では、かろうじてkeenサンダルとビルケンシュトックのみ。なぜビボなのか?答えはシンプル・・歩くのが楽しい!から。カフェ(おやつ堂)の日は、ほぼ毎朝50分程度歩きます。片道25分の往復ですが、ビボを履き始めてからはこの時間の早いこと早いこと、歩くのが楽しいんです!ソール(靴底)が薄いために、歩くリズムを音と骨の振動で感じられ心地良いのです。BBTime 679に書きました「歩いて分かりました。「歩き」は本来、移動手段ではありません。呼吸と同じように、心臓が血液を送り出すように、人にとって当たり前過ぎるほど当然の行為行動なのです」。深呼吸すると気持ち良いように、歩くことは本来「快感・快楽」なのです。ちなみに冒頭句の松尾芭蕉、彼らは草鞋で旅しておりました。この草鞋が「歩き」において非常に良かったとのこと。つま先と踵の差がない「ゼロドロップ」なのです。詳しくはこちら

三つ目は画像、美味しいのはあたり「まえだのドーナツ」と福岡美美(びみ)の珈琲のセットです。カフェ日は毎朝、確認と改善のためコーヒーを淹れます。開店前に一人ほくそ笑んでおります!機会あれば(おやつ堂にて)是非お試しを。

行く春につらつら思うに、自分に合ったものを見つけるとそのジャンルの煩悩が減るような気がします。ある本に「The more you know, the less you need.」とありました、アボリジニーの言葉だそうです。ではでは皆様、ご自愛の程ご歯愛の程

BBTime 679 歩きました50km!

「一歩在り百歩に到る桜かな」永田耕衣

2025/3/29投稿 3/30追加
一週間前の3/22土曜日50km歩きました!参加したのは「関西エクストリームウォーク50K」。まずは掲句解説から『句集では掲句の前に、「一歩をば痛感したり芹なずな」があります。春がやって来た実感です。今、「やって来た」と書きましたが、春はやって来るものであると同時に、こちらから一歩近づいていかなければ訪れるものではないという、当たり前の真実に気づかされます。若い頃なら、これを実存というのだななどと観念的に片づけていました。しかし、「痛感」という言葉は、身に起こる切実な情ですから、「芹なずな」に同化するほどの強い思い寄せがあります。掲句では、「一歩」 から出発して「百歩」に到っています。満開の花の盛りは、じつは、桜の側にあると同時に、見る側が作り出すのだという教訓を得ます。花見は座って見るばかりでなく、歩いて歩いて歩き尽くしてこそ、花が盛る、そんな、花と人との双方向的な対峙を教わりました。このおじいちゃんは、やはり、桜に対しても貪欲でした。『永田耕衣五百句』(1999)所収』(引用元)。では早速スタートしましょう!

登録順に50人ずつ出発、いよいよです。最近「歩く」について色々と考えており、「人はどのような理由で歩みを止めるのか?」この疑問を解明したくイベントに臨みました。

朝八時頃スタート。天気にも恵まれ、暑くもなく寒くもない絶好の「歩き日和」。まずは大阪城へ向かいます。友人男性と二人での参加。小生、毎日のように一万歩以上歩いており、参加前予想(希望)は「10時間台でゴールできるんじゃない」でした。では、歩きながら感じたことを書いていきます。

1)人が歩みを止める理由・・わかりました!二つあります。ひとつは「痛み」もうひとつは「日没」。小生の痛みは、足の筋肉や関節ではなく「足裏のマメ」。両足とも五百円玉二個分ほどの大きなマメができ、歩くたびにじわっと痛みました。今回、1ヶ月前購入のソールの薄い靴「vivobarefoot」でスタートし、途中で予備持参のkeenサンダルに替えました。「日没」に関しては、現代社会では照明があり歩行可能ですが、原始人には無理だったでしょう。
2)歩きの本や記事にもありますが「歩いても痩せない」。言い換えれば「歩くだけ」ではさほど脂肪は燃焼しない・エレルギーを使わない。歩いても歩いても、疲れないのです。人にとって「歩く」行為は非常に効率の良い動きなのです。
3)歩くと走るは全く違う・・小生、過去に2回フルマラソン完走(約四時間半)経験あります。歩くと走るは別物!ゴール後の満足感・達成感がマラソンとは比べ物にならないくらいあっさりしたものでした。

4)走りとは別である証拠として「疲れない」「ペースはさほど落ちない」「ゴール後の達成感が小さい」。その昔、小学校などで「罰:ばつ」として「廊下に立っとけ!」「校庭五周走って来い」などありましたが、おそらく「校庭五周歩いて来い、十周歩け」は罰にならないと思います。歩きは人にとってさほど負荷とはならないのです。

5)歩いて分かりました。「歩き」は本来、移動手段ではありません。呼吸と同じように、心臓が血液を送り出すように、人にとって当たり前過ぎるほど当然の行為行動なのです。
6)痛みと日没がなくても際限なく歩けるとは思いません。おそらく時間にして一日12時間、距離にして30~40キロが一区切りでしょう。

7)歩くときは少し遠くを見て、胸を張って、手を振って等々。これは現代人が作ったスタイルだと思います。歩くときは「足元」をしっかり見て歩かないと危険です。原始人において、道は舗装されていません。原始人の歩みを止めた「痛み」は、足裏の怪我でしょう。裸足で道なき道を歩いていたのですから。

8)直立二足歩行したことで「ヒト」となりました。歩くという行為は最も人間らしい行為行動です。もっとも人間らしい行為を、日々怠れば体に不具合が出るのは当然。自動巻き腕時計をたまにしか使わなければ長持ちしないでしょう。

9)やっとゴール(スタートと同じ場所)が見えました。この時思ったことは「もう歩かなくていい、痛みから解放される」だけでした。

10)アップルウオッチの画像。連続八万歩は、日頃「一日一万歩」歩いてますとは、全く意味が違います。休み休み、止まり止まり歩くのが本来の歩きだと痛感、こじつけですが漢字「歩」は少し(歩いて)止まるです。

11)スタートとゴールが異なるのは歩き開始の「押し忘れ」。ワクワクの緊張感・高揚感からかスタート時にボタンを押していませんでした。もし知り合いから「参加してみようかな?どう」と聞かれたら、即答「すすめません」
12)今回、友人と二人参加だったからこそ完歩できました。ひとり参加であったなら、途中で足のマメなどの大義をつけてリタイアしていたでしょう、間違いなく。もちろん参加者の中には一人参加で黙々と歩いて完歩された方も多かったと思います。驚きは、30キロ過ぎても女性グループがおしゃべりしながらスタスタと歩いておられました。複数で喋りながら歩くのが良いようです。

13)完歩翌日翌々日と二つの驚きがありました。ひとつは「足の裏の回復スピード」が速いこと。先に書きましたように「筋肉や関節の痛み」は出ませんでした。痛みは「足裏のマメ」だけ・・一晩寝ると翌朝は40%ほど回復、二晩寝ると80%ほど回復。痛みの減少の速さに驚きました。
14)二つ目の驚き・・ゴール時の達成感はイマイチでしたが、回復とともに再び普通に歩けるようになった時、「喜び」をひしひしと感じました!ほとんどの人が記憶していない「初めて立った、歩いた時」に感じる喜びに近いものかも知れません。
15)今回、改めてイヤ初めて「歩く」ことの大事さを身を持って知りました。フルマラソン完走や富士山登山とは全く異質でした。まさに「歩く」とは最も人間らしい行動であると痛感した「12時間57分」。大会関係者の皆様に感謝!友人S氏に深謝!
皆様、ご自愛の程ご歯愛の程

追加3/30
16)歩きは「疲れない」と4)に書きました。今回のように歩き目的で、さほど荷物を持っていない場合です。重い物を持たず、筋肉や関節に問題がなければ疲れません。長距離・長時間歩くことで「心の疲労」は生じるでしょう。今回も街中歩きであったため、もう少し気持ち良い景色であればと思いました。いずれにせよ歩くことでは、肉体は疲れません。
17)ボチボチ、ヨタヨタ、トボトボなど、歩く姿を表す言葉があります、これらは精神状態がベース。今回のように精神的に終始問題なければ、歩くペースはさほど落ちません。
18)自動巻き腕時計を引き合いにしました。今朝も歩きながら考えました、これは言い得て妙!ローターに相当するのが「足」、ローターの回転が「歩き」。ローターが回ってゼンマイを巻き、小さな歯車のひとつひとつまで動くのです。歩くことで血液のみならず神経、ひいては頭の巡りまでしっかり循環させ機能させる・・これは間違いないでしょう。
19)最も人間らしい行動=歩きを自ら放棄してしまっている現代人、問題が出ないわけがありません。歩きの放棄には、それぞれ理由はあるでしょう。ヒトとして人として、一歩でも多く歩く日常を心がけたいと切に思いました。


BBTime 677 Abc

「なずな咲くてくてく歩くなずな咲く」小枝恵美子

2025/02/28投稿 3/3追加
気が付いたら如月も終わり!句の解説『なずな(漢字では「薺」と難しい字を書く)は、陰暦正月七日の七種粥に入れる七草の一つなので、単に「なずな」だと、歳時記的には「新年」に分類される。が、花が咲くのは早春から梅雨期にかけてであり、掲句の場合には「薺の花」で春。またの名を「ぺんぺん草」とも「三味線草」とも言う(こちらのほうがポピュラーか)。さて、この句の魅力は「てくてく」にある。「歩く」といえば「てくてく」など常套的な修辞でしかないが、実にこの「てくてく」の用法は素晴らしい。いたるところに咲いているなずなの道を行く気分は、別にいちいち花を愛でながらというわけでもないので、むしろ常套的な「てくてく」がふさわしいし、句の情景を生き生きとさせている。「むしろ技巧的に思われるほどだ」と句集の栞で書いた池田澄子は、さらにつづけて「そこここに咲いている『なずな』と、そのことを喜び受け止めながら歩いている人物は、春を輝く万物の細部としての代表である」と述べている。これまた素晴らしい鑑賞だ。春の道は、こんなふうに「てくてく」と歩きたい。なお「なずな」を「ぺんぺん草」「三味線草」と呼ぶのは、その実を三味線のバチに見立てたことにちなむそうだ。今日調べてみるまでは、つゆ知らなかった。『ポケット』(1999)所収。(清水哲男)』(引用元)。さて今回は「abc」の「A」、abcとは歩くa、口から食べる(バイト)b、きれいにする(クリーニング)c、についてのお話。

「ABC=歩く・食べる・キレイにする」について考えるようになったのは、訪問診療に携わるようになってのことです。ご存じかと思いますが「2025年問題」を日々耳にします。小生、施設の職員さんに話します「残念ながら、もしあなた方が将来、要介護になっても今あなた方が行なっているような介護は受けられないかも知れません」と。必要なのは、考え方を変え「介護予防=亡くなる直前まで自立する・できる」、介護を受けられないのならば、介護を極力必要としない生き方に「今日」から変えることです。まずはA=歩くについて。

ヒトの定義においてまず挙げられるのが「直立二足歩行」です。直立二足歩行する生き物が「ヒト」ならば、極端な表現ですが直立二足歩行しない・できなければ「ヒトにあらず」とも言えます。しかしどうでしょう、周りを見渡すと・・。ちょっとそこのコンビニ行くのも車、デスクワークにおいては座りっぱなし、小学校から大学まで授業中はほとんど椅子。足に問題がない人も「歩いていない・歩かない」日常になってます。

小生、ほぼ毎日一万歩は歩いております。歩きにシフトしたきっかけは3つ。
1)きっかけ1:車が無いこと。車を手放して9年になります。当然、公共交通機関を利用し歩いて自転車に乗ります。
2)きっかけ2:アップルウォッチ。時計が「Move」「Exercise」「Stand」を計測してくれます。日々の目標を設定し達成するようになりました。
3)きっかけ3:睡眠の波形。ウォッチで睡眠をトレースできます。以前は片道8キロ弱を自転車通勤。ある時、気がつきました。自転車通勤日の睡眠波形よりも、路面電車と徒歩通勤の波形の方がキレイなのです。それ以来、電車+片道徒歩30分通勤に変えました。

現生人類は約五万年前にアフリカから出て世界中に進出していきました。それを可能にしたのは「直立二足歩行」で、歩いてこそ「ヒト」であり、歩いてこそ「人」なのです。にもかかわらず人々は車に乗り、椅子に座り・・。

2025/2/2 朝日新聞「天声人語」、次のように続きます。

〈歩け、歩け/どんなものが出て来ても乗り越して歩け/この光輝く風景の中に踏み込んでゆけ〉・・歩くからこそ「乗り越して歩け」ができるのです。自転車でも車でも段差があると進めません。道がなければ車や自転車では進めません。しかし人生は〈僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る〉のです。歩きであれば道なき道を「乗り越す」ことも可能です。日々毎日、歩いていると、歩くことは単なる移動手段ではなく、ヒト・人の生き様に深く関わっている気がしてならないのです。

2/8の桜島、雪化粧しております。小生、カフェ日は朝、歩いて桜島に会いに行きます。鹿児島はようやく寒さが抜けました。徐々に歩く季節が近づいて来ました。薺を見つけに歩きましょうか。では皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。

追加(3/3)「歩く」についてオススメの一冊

この著者「池田光史氏」を知ったのはYouTubeでした。ひょっとすると多くの方が「歩く=面倒臭い・疲れる」のイメージをお持ちかも知れません。本に「歩くのってこんなに楽しかったっけ?」とあります(2頁目)。ヒトがアフリカを出て世界の果てまでたどり着いたのも「楽しみ・心地良さ」を彼らが身体感覚として感じていたからだと思います。「人間の幸せは、動物として快調かどうかにかかっている」(8頁目)。御意!