BBTime201 違和感
「天地無用のビルにて蟹が茹で上がる」夏石番矢

「天地無用」を初めて見た時の自己解釈は「天地(上下)がどっちでもOK」・・しかし正解は「逆さまにしてはならない」です。以下ウイキペディアより「天地無用とは、本来「逆さまにしてはならない」という意味で用いられる。もともとは運送業者の業界用語で「天地入替無用」「天地顛倒無用」のように、上下を入れ替えることを意味する語が添えられていたはずだが、四字熟語のかたちをとるために「入替」の語を落としてしまったことに由来するものと考えられる」とのこと。納得ですが、今だに「天地無用」を見ると違和感を感じます。それにしても天地無用とはスケールが大きい!杞憂に似たり。

空港カウンターでも違和感を感じます。手荷物を預ける際に「貴重品は入ってませんか?」と聞かれますが、不思議でなりません。旅行鞄に貴重品(大事なもの)以外は入っていません!ゴミや不要なモノを持ち歩くわけないでしょ、しかも預けるわけないでしょ。一度答えたことがあります「はい、入っています。全部貴重品です」・・怪訝な顔されました。あの場で聞くのは「私(空港職員)は貴重品についてあなた(客)に確認しました、問題が起きても責任持ちません」の言い訳だと思います。その証拠に海外のカウンターでは何も聞かれません。

「赤信号 みんなで渡れば怖くない」のフレーズが昔々はやったことがあります。バイクに乗っていた頃スタンドで「水抜きを入れたほうがいいですよ、みんな入れています」の「みんな」にカチンときて二度とそのスタンド(戸畑バイパス)にはいきませんでした。グループでランチの時にリーダー格の人が「みんなカレーでよかが」といった時にひとり「カツ丼にします」と素直に希望を言います。

人は錯覚する生き物です。自分事なのに他人事のように錯覚します。錯覚なのにそれが手枷足枷(桎梏)となって(俯瞰的に見ると)変な行動を違和感なくとることがあります。自分事を他人事と錯覚せずにじっくり自分事として考える・・必要があるように思いますがね。私はこう思う、こう考えるが第一歩でしょ。毎日新聞に面白い記事(1/28)を見つけました。

松尾貴史のちょっと違和感「電車内の優先座席 恥ずべきシステムでは?」
2018年1月28日 毎日新聞
東京が4年ぶりの大雪で、通常ならば自家用車で新横浜まで行って新幹線に乗るのだけれども、自分の運転技術に鑑みて、電車で品川へ。車内が意外と空いているのは、雪で中止になった「何か」で人が動いていない分と、前日からニュースや情報番組で「明日お出かけの際は時間に余裕を持って」とアナウンスしていたから人の動きが分散したのだろうか。
ガラガラに空いているというわけではないのに、「優先座席」に空席がある。私は優先座席と指定されている椅子でも、そうでない椅子でも空いていれば同じように座るし、短距離ならば座らないことが多い。
そもそも優先座席というものが必要な社会というのは、どうにも納得がいかない。誰かが見張っているわけでも、譲ってもらうべき人物だという明確な線引きがあるわけでもないのに、まるで「制度」であるかのような体裁で設置されていることに違和感を覚える。
こうと書いておかなければ、他の座席でも優先して座ってもらうべき人が座りにくい社会を前提としている時点で、私たちの社会は敗北している。「そういう表示がなければ譲らない人がいる。しかし書いておけば少しは効果がある」というのであれば、全ての座席を「優先座席」にすべきだろう。
大きな商業施設や公的な場所には、その入り口近くに体の不自由な人の乗る車を止めるための、専用スペースが設けてある。それ以外の車は止めてはいけない場所だ。電車の場合は定員以上乗ることが常態化しているので、そこに空席が常にあることは効率が良くないから「優先」と呼んでいるという苦肉の策なのだろう。
そもそもは、どこの座席でも当たり前のように、体が不自由な人や、けが人、お年寄り、妊婦、幼児を抱いている人らが座席を譲ってもらえる社会を作るべきだろう。

立川談志さんが生前、ラジオの公開収録に来られ、本番前に電車の中での出来事を話しておられたのを思い出す。老人が1人、車両に乗り込んできた。座っていた中学生に談志さんが「坊や、譲ってあげたらどうだ」と言ったら、その子は素直に立ち上がり席を譲った。するとその老人は黙って当然のように座った。「ありがとう」の一言もなかったのだという。そこで談志さんは車内中に響き渡るどすの利いた声で「悪かったなあ、坊やっ! おじさんが余計なことを言った、席を譲ってもらってありがとうの一つも言えねえくそじじいに席を譲らせちまった。すまねえ。今度からじじいがいても、金輪際席なんざあ譲るんじゃねえぞ!」と叫んだのだそうだ。さぞや老人は居心地が悪かっただろう。
日本人の多くは、大勢人がいる場所で他人と違う行動をとることに恐怖心のようなものがあるようで、座席を譲るという低レベルの親切ですら、「注目を集めてしまう」から抵抗を感じるのだろう。しかし、席を譲る行為よりも、見て見ぬふりをして座席を占有し続けることの方が桁違いの「恥」であることは明白なのに、なぜ大恥の方を選ぶのかが不可解だ。
そろそろ、電車の中も監視カメラを設置する流れができている。痴漢やスリ、テロの防止などいろいろ目的があるだろうけれど、譲るべき人が目の前にいるのに譲らない人の姿を紹介し続けるくらいのことをしなければ、車内民度は上がらないのだろうか。
もちろん、そんなことを推奨しているわけではない。「優先座席」という恥ずかしいシステムがなくとも、全ての座席についてそうあることができる社会になってほしいというだけなのだ。(放送タレント)

「人がマインドコントロールを受けやすいのは、情報が過剰に与えられている状態か、極度に不足している状態」岡田尊司 情報が過多だと、世界は暗示や徴候(ちょうこう)に満ちあふれ、無秩序なものとなる。人は肝心の情報がどれか見えづらくて不安になる。情報が過少だと、限られた情報をもとに妄想を膨らませてしまう。いずれにせよ精神が大局を見る眼(め)と思考のための空きを失い、誘導への免疫力も失って誤作動しやすくなる。精神科医の『回避性愛着障害』から。(鷲田清一)2018.1.11折々のことばより。1400
今回の一言「自分で考え、答えを出す」
今回の一曲「Love Yourself:自愛」
BBTime200 桎梏:しっこく
BBTime200 桎梏:しっこく
「酒断って知る桎梏のごとき夜長」楠本憲吉

酒好きの小生ですが、幸いにもこのような桎梏までの経験はありません。今回は桎梏について一言。先日、歯科診療所で治療後女児が亡くなった報道に接しました。歯科医療従事者として色々と考えました。心よりご冥福をお祈りいたします。

ネット記事によると、レストレーナーを使いラバーダムをつけて治療したとのこと。様々な書き込みがありますが、ショックを起こした原因のひとつは「恐怖」であったと思います。推測ですが、開口器も装着されていたのでは。文字通り開口器をつけると口を閉じることはできません。レストレーナーで手足を拘束され、思うように声を発することもできない、ラバーダムでひょっとすると視界が遮られていたかも。想像してみてください。冷静に物事を判断できる大人であっても手枷足枷(桎梏)、猿轡(さるぐつわ)、目隠しされたら嫌でしょ、怖いでしょう。目的や内容は違うにせよ、二歳女児です。さぞ怖かったことと思います。

前回「他人事」にも書きましたが、平成の日本において映画のワンシーンのようなことが日常に起きることがあります。他人のプライバシーなど微塵もないような週刊誌の報道や、客観的に見れば「それって虐待でしょ」と言いたくなるような出来事。今は知りませんが、小生が小学生の頃は「牛乳が飲めない児童に無理に飲ませる虐待」が給食時日常茶飯事でした。牛乳の強制、抑え付けての治療など一歩下がって冷静にイメージしてみてください。本当に、何のために、それをする必要があるの?小児歯科の看板を出すなら「子供が泣かない」環境やシステムを構築すべきなのでは?飲めない牛乳なら、その子の飲める飲料に変えたら?週刊誌の取材だから、治療だから、牛乳だから・・勝手な大義名分を身勝手に作っての犯罪であり虐待ではないのですか。「その子のために」だと思うのなら、飲みたくない牛乳を飲ませない、泣く子を治療しない、(相手が有名人であろうとなかろうと)人の嫌がることをしない、でしょ。

牛乳無理強いは担当教師が牛乳完食(飲)を達成せんがためであり、無理な治療は従事者の自己満足のためと思われても仕方ないと思います。子供本人が望まないことをなぜ周りの大人はしたがるのか、不思議です。乳歯一本の治療とこれからのその子の人生とどちらが重いのでしょうか?明らかにこれからの80年90年の人生でしょう。子供が嫌がることはやめましょう。嫌がってもしなければならないことであれば、どうすれば嫌がらずにしてくれるか、させてくれるかを考えるのが周りの大人のやるべきことだと思います。特にプロの仕事はこうあるべき!と小生は思いますがね。6900
今回の一言:「ノーと言いましょう」
今回の音楽:「say no!」
ひとごとからじぶんごとへのようなCMを見つけました。
https://youtu.be/28SsUDalYvg
BBTime199 他人事:ひとごと
BBTime199 他人事:ひとごと
「他人事のやうに首振る扇風機」大和田アルミ

掲句は「夏炉冬扇」と言われそうですが、平成の世はさにあらず。サーキュレーターなるものと解せば合点がゆきます。今回、近頃、ここ数年「ひとごとだろ!」と言いたくなるような週刊誌の記事が登場人物を面前で謝罪させます。「あんた(週刊誌)何様?」「世間の警官?裁判官?」「マスコミのプライドは?」・・週刊誌が売れれば何やったって許されるのでしょうか?

いつからか「ひとごと」の漢字表記に「他人事」を見なくなったなあと思い、ネットで確認しました。小生の誤りでした!「ひとごと=自分には関係のない、他人の事。よそさまの事」の正しい表記は「人事」であり「他人事」は誤りのようです。ネット記事に「《もともと「他人(たにん)のこと」を意味する語・ことばには「ひとごと」という言い方しかなく、この語に戦前の辞書は「人事」という漢字を主にあてていた。ところが「人事」は「じんじ」と区別できないので「他人事」という書き方が支持されるようになり、これを誤って読んだものが「たにんごと」である。》」とありました。出典はこちら、是非お読みください。

もうひとつ見なくなったと気づいたのがこの「FOCUS」。廃刊になっていました、しかも2001年に。現時点では講談社の「FRIDAY」と光文社の「FLASH」の2誌のみが発行されているようです。不思議なことは、ひと(他人)のアラ探しをすること、付け回したり、写真に撮ったり、録音したり・・・これって違法で犯罪でしょう!週刊誌だから許されるわけはないと思いますが。ストーカー行為であり、盗撮、無断録音、名誉毀損、人権蹂躙、etc。他人を傷つける行為でお金をもらう、傷害罪なのに給料をもらう、どう考えてもおかしいと思いますがね。変な正義感を持ってのことなら、その正義感は低レベルのものです。

「人の不幸は蜜の味」という言葉を時に耳にしますが、いい気はしません。万葉の時代から「人を好きになる、恋する、愛する」は感動の原点の一つであり、歌を読ませ、文学を生み出したと思います。

小生が幼稚園生や小学校低学年の頃(誰しも同じような思い出があると思いますが)クラスメート間で「誰が好き?」という質問を受けたり、耳にしたり。ある時、考えました。ひとごとなのになぜ興味を持つのだろうか?その時の小生の答えは「神秘的だから」「好きになることは理由のない、説明できない感情だから」でした。チンパンジーやオランウータンが似たような感情を持つか否かは知りません。「好き・恋・愛」は人の人たるゆえんだと思います。

「自愛:じあい」好きな言葉の一つです。「好きになる・愛する」=人の神秘的な部分に対してもっと敬意を表すべきだと思います。愛することへの敬意、愛する人(相手)への敬意、愛する本人(自分自身)への敬意。ご自愛ください。ご自分の口や歯をご自愛ください。ひとごとより、ひとりごと(自愛)を。6870
今回の一言:「ひとごとより、ひとりごと」
今回の音楽:「love」
BBTime198 錯覚
BBTime198 錯覚
「雪の朝二の字二の字の下駄のあと」田 捨女

先日の今年初冠雪の桜島です。この句はおおよそ380年前1639年頃に詠まれたそうで、驚くことに作者(田ステ)六歳。彼女は芭蕉より11歳年上で交流があったそうです。今時(平成30年)雪の朝に下駄で歩く人はいませんが、彼女の見たであろう光景は容易にイメージできます。また俳句には「五七五」のリズムがあります。この句はさらに「の」が5回も繰り返し使われており、一度聞いたら忘れないテンポを醸し出しています。五文字の「の」、三分の一が「の」です。句をジッと見ていて与謝蕪村の「菜の花や月は東へ日は西へ」(1774年旧暦2/15)を連想しました。これは漢字と平仮名が交互に使われています。「雪の朝二の字二の字の足の跡」としなかったところが捨女の非凡さでしょうね。連想というより錯覚についての一言。追加:ネットで調べてみると「下駄の跡」の表記も見られます。いずれにせよ、当時六歳の女性が詠んだ俳句がきちんと残ったということが驚きであり、「名句」であることの証明でしょうね。

年末からNHKラジオ聞き逃し番組「人間を考える より良く生きる」第1回花園大学教授仏教学者:佐々木閑氏の話を繰り返し聴いています。そこに出てくる言葉が「六根」と「錯覚」です。六根とは「眼根(視覚):目」「耳根(聴覚):耳」「鼻根(嗅覚):鼻」「舌根(味覚):舌」「身根(触覚):皮膚」「意根(意識):脳」です。人はこの六根を使って生きているが、錯覚する生き物であるとのこと。

二つの赤丸はどう見ても左が大きく見えますが、物差しで測ってみると同じなんです。講演では錯覚を錯覚と知った上で生きるのか、錯覚を事実のように受け止めて生きるのでは大きく違ってくると言うわけです。話の中では視覚のみならず他の五根も同じく錯覚を起こすとのこと。以前話題になった「プリン+醤油=雲丹」は味覚の錯覚。いろはすの味付き砂糖入り水は嗅覚・味覚の錯覚等々。

丸の絵は物差しで測ることで錯覚と知ることができます。問題なのは個人個人で錯覚と確認できない錯覚とのこと。先日も「缶コーヒームシ歯」の人(20代男性)を発見!ムシ歯のでき方が尋常ではないので「缶コーヒー飲んでますか?」とお聞きしたところ「はい、仕事中に飲んでます」。これも錯覚!前々回「病気」も錯覚。御本人は体に良かれ、心に良かれと錯覚して缶コーヒー飲んだり、ゲームをしたり。講演では本人が確認できない錯覚を解くのは難しいと話が続きます。宗教とは人々の苦しみを少しでも軽減し、より良い生き方に導くのが宗教とのこと。

小生は毎朝、保温機能なしのマイボトルにお茶か紅茶持参です。缶コーヒームシ歯の方には次のようにアドバイスしました。「缶コーヒーをキッパリやめるか」「缶コーヒー飲んだ後に歯磨きは無理でしょうから、せめて水やお茶でうがいだけでも」「ブラック、無糖、甘さ控えめなどの表示はイコール砂糖ゼロとは言えないものもあるので要注意」「表示も炭水化物と記載してある」等々。

「二の字二の字」から「下駄のあと」を連想可能ですが、大人の方でも実際の光景(下駄のあと)を見た人はどれくらいいらっしゃるでしょうか?連想と錯覚は紙一重だと思います。仏教において五感(五根)に六根目(心・脳)を加えているのは大正解です。余談ですが、「どっこいしょ」の語源が六根清浄だとも言われています。3430
今回の一言「錯覚は錯覚と知るべし」
今回の一曲「イメージ」
下駄とくれば、やはりこの歌でしょう。
https://youtu.be/2va2GuF3Uig
ムッシュかまやつ氏は昨年鬼籍に入られました(2017.3.1享年78歳)。なんと次の歌もこの人でした。はじめ人間ギャートルズのエンディング曲。
ラストは「足の跡」です。
ムッシュかまやつ氏の言葉を見つけました。折々のことば 2017/10/22朝日新聞朝刊
910「自分のデッドラインさえ超えていれば、デカイ顔をしていられるのだ。ムッシュかまやつ」「プライドを捨てず、自然体でいられるギリギリのラインを設定して、それより下にはいかない」と決めてしまえば、気後れすることなく生きてゆけると、元ザ・スパイダースの歌手は言う。しかもその線はできるだけ低めにと。世間に合わせず自分の波長はこれだと決めると、自分の感性を傷めずに「とぼけた顔して」生きてゆける。音楽と交遊をめぐる自伝『ムッシュ!』から。(鷲田清一)折々のことば
BBTime197 春光楽楽
BBTime197 春光楽楽
「塗椀のぬくみを置けり加賀雑煮」井上 雪

春光楽楽とは春の光はウキウキして楽しいの意味で賀状に使える四字熟語です。前回「病気」アップ後に考えておりました。遊びとは本来ウキウキ楽しいもの、端(はな)から病気になるために遊ぶ人はいません。でもなぜゲームで病気になるのか?お酒、煙草、スイーツ、缶コーヒーなども同じ図式でしょう。何事も「ほどほど」が肝要なのでしょうが「ほどほど」がわかっていても「ほどほど」でやめられないのも人がゆえ。本年最初の「折々のことば」が「雑」でした。

『万葉集』は、何と「雑」の分類から出発する。中西進
鷲田さんのことば 年の初めといえばお雑煮。ここにも「雑」が使われている。古代中国の辞書によれば、「雑」は「五采(ごさい)相(あ)い合うなり」(五色の彩りが一つになる)とか「最なり」(第一のもの)を意味すると、随想「美しきカオス」(「潮」昨年12月号)で国文学者は教える。雑技も華々しい技芸のこと。歌集の「雑」も華やかな開始を示すと思われ、「その他」ではないと。ごっちゃ(多様)こそ「万物の礎」?(鷲田清一)

小生、丼物が好きです、チャンポンも好きです。上等コーヒーにはミルク入れても撹拌しません、味のグラデーションを楽しみます。チャンポンとは本来「さまざまな物を混ぜること、または混ぜたものを意味する言葉」のようです。日本はチャンポン文化であると聞いたことがあります。日本語などその最たるもので漢字・ひらがな・カタカナのチャンポンです。

欧米人、特にアメリカ人はトランプゲームが好きです。空港の待合などで車座になって興じる姿をよく見かけます。ちなみにトランプ大統領も同じ綴りですが、トランプの元々の意味は「トランプカードの中の切り札」であって、日本で言うところのゲームそのものとは少々異なります。折々のことばの「遊びを遊ぶ」にも出てきますが、遊びとは数多くあります。すぐに飽きるからでしょう。食事の「おかず」の語源も数(かず)に由来するそうです。

ゲームにしてもスイーツにしてもやはりチャンポンがよろしいかと。電子ゲームのみならずカードやすごろく、箱菓子にケーキ屋の菓子、果物、手作りおやつのように「雑」がよろしいかと。(老婆心:あれもこれもではなく選択肢が沢山がよろしいかと)2730
今回の一言「ほどほどのコツは雑(チャンポン)」
今回の二曲「ハーモニー」
おまけ:冒頭の句の作者に敬意を表して雪化粧の桜島です。本日(1/11)朝撮影。

BBTime196 病気
BBTime196 病気
「竹馬やいろはにほへとちりぢりに」久保田万太郎

「竹馬」が冬の季語とは知りませんでした。記事(俳句一口講座)には「どの季節にも遊べそうな気がしますが、冬の季語になっています。もともとは川を渡るときや降雪の際に使われる生活用具だったそうで、そんなところから冬のものという意識が定着したのではないでしょうか」とあります。同じく「竹馬」がアマゾンなどで売られているのも驚きでした。もっとも竹製ではありませんがね。

年明け早々気になる記事を見つけました。「ゲームのやり過ぎで日常生活に支障をきたす症状、WHOが疾病分類へ」との見出し。端的に言うと新たに「ゲーム病・ゲーム症」を定義し、診断されれば患者として治療が必要であるとのこと。

いやはや・・です。小生とコンピュータゲームの出会いは高校時代、喫茶店設置型のインベーダーゲームでした。当時ワンコイン(百円)で1回。鹿児島の公立高校でしたので即禁止。学校近くの喫茶店で密かに興じていると「そげん面白かや(そんなに面白いのか)?」との声。横を見ると補導係の先生、瞬間凍りつき敢え無くゲームオーバー・・その後マリオ登場です。

「遊びを遊ぶ 安田武」 凧(たこ)あげ、蝉(せみ)とり、竹馬、お手玉、綾(あや)とり、花いちもんめ。すっかり見かけなくなった昔の児戯には二つの特徴があった。自然を相手に「ゆっくりと、のびやかに」遊ぶこと。勝ち負けを競うものではないこと。遊びは「合理性を拒否する」ものなのに、余暇として計画したりすれば、遊びを再び合理性の中に閉じ込めることになると、評論家が一昔前警(いまし)めていた。『遊びの論』から。2017.9.10 (鷲田清一「折々のことば」/朝日新聞連載)
本来、大人にとっても子供にとっても「遊び」とは楽しむもの癒すもの育むもの。逆に蝕むものならそれは遊びではなく毒や害です。9900

かたや、このような記事も。
「スイッチ、1家に1台?1人1台? 任天堂社長一問一答」揶揄(やゆ)するならば「一家に一害、一人一毒」です。自己責任ではなくゲーム機そのものに「時間制限自動ロック」が付いているば別ですが。人が創り出したもので病気になるとすれば妙な話です。「癒し・楽しみ」と「害・中毒」は紙一重。食べ過ぎると太ります、飲みすぎると酔っ払いますが、ゲームは少々異なります。太らないし、酔わないし、さほどお金を使い過ぎるでもなし。だからこそ恐いのではないでしょうか?所詮ゲームでありエンターテイメントであるべきものが「毒」になるとは・・トホホ。
https://youtu.be/mnipB_8Br8U
BBTime195 初日
BBTime195 初日
「初明り地球に人も寝て起きて」池田澄子

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお読みください。
初日(はつひ)を見に行きました。
日頃は釣り人と散歩人とジョガーのみの長水路も
このように人人人・・。
予報は晴れでしたので多かったのでしょう。

いよいよ初日だ(7:30頃)と思いきや、雲が・・▽

この後、雲はさらに厚くなって・・▽


結局空振りでした。その後、昼から晴れて初噴火!

正月の空に天狗様現る!

これは初月の出・・拝△

翌二日は見事日の出が拝めました▽

おまけは三日の日の出▽

今年も皆さんがハッピー歯っぴいでありますように。
昨年の正月と同じですがアバの曲です。9450
https://youtu.be/-jTWnxoyQ2k
https://youtu.be/YWNRIkGhbos
最後に新年の挨拶入ってます△
BBTime194 煩悩百八
BBTime194 煩悩百八
「百八はちと多すぎる除夜の鐘」暉峻康隆

百八で多すぎるとなれば小生などどうなるのでしょう(苦笑)。句の解説には『「仏寺朝暮ノ百八鐘、百八煩悩ノ睡ヲ醒ス」とあり、寺の百八の鐘は毎日の朝暮の鐘のことだった。それをサボッテ、除夜だけ百八鐘を撞くようになったのは江戸後期からである』とあります。毎朝夕に百八回撞くのに何分要していたのでしょうか?おそらく十分以上かかっていたのでは。人々はそれぞれの場所で鐘の音を聞いて刻(とき)を知っていたのでしょう。さて恒例の大晦日の余禄です。今年のカルタには小生にはちと意味不明な言葉もあります。ちなみに百八の意味は諸説ありますが四苦八苦ゆえに四苦36+八苦72=108 をよく聞きます。年内(今年中)に107回撞き、108回目はその年(旧年・今年)の煩悩に煩わされないように新年に撞くそうです。8170

【い】一党両断【ろ】論よりツイート【は】排除のロンリー【に】偽ニュース世にはばかる【ほ】防衛省の闇夜に日報【へ】便利みちびき新衛星【と】遠くに見る神の島【ち】チバニアンにトレビアン【り】リモコンで綱飛ばし【ぬ】抜けたいもんプチデモン【る】流浪のロヒンギャ【を】老いてもAIに従えぬ【わ】和魂英才で文学賞【か】怪童、北の海道へ【よ】ヨイショばかりの与党質問【た】談合4兄弟【れ】連勝は一二三(ひふみ)から【そ】損得もそんたく次第【つ】露と消えにし選手団【ね】ネットに潜む暗黒のわな【な】なくした捨てた公文書【ら】拉致40年見えぬ解決【む】村のセンセイ成り手なく【う】上野でシャンシャンショー【ゐ】インスタバエどんな蠅(はえ)?【の】野放しの銃ラスベガス【お】オバマに続くイエスICAN【く】くまモン驚く肥後だっこす【や】やっパリ離脱【ま】麻央さん勇気のブログ【け】下駄(げた)をならして奴(やつ)が逝く【ふ】プレミアムつライデー【こ】神戸不正鋼【え】縁(えにし)結んだキャンパス【て】電通の電気消え【あ】圧勝で僕難突破【さ】サブちゃん馬でも大トリ【き】金策に走る走る東芝【ゆ】許サレム首都【め】メジャー斬り込む二刀流【み】店から消え人気わカール【し】上昇桐生で壁突破【ゑ】円より仮想通貨【ひ】ヒアリにヒヤリ【も】モリカケは年越し【せ】瀬戸際狙うロフテッド【す】素手でVX?【京】きょうで平成あと486日

これは毎日新聞「選者・仲畑貴志さんと選ぶ万能川柳2017年」のイラスト。今年も余禄のごとくに百八どころか沢山の良いこと悪いことがありました。世の常と言えばそれまででしょうが、来たる歳が良い歳、良い口、良い歯でありますように!新しい歳、2018年、平成30年がもうすぐです、あなたのそばに!

BBTime193 小さい幸せ
BBTime193 小さい幸せ
「よい夢のさめても嬉しもちの音」五筑

句の解説にはこうあります。「早朝、まだ暗いうちに、近隣で餅を搗く音に目が覚めた。せっかく「よい夢」を見ていたのに、破られてしまった。しかし、破られても「もちの音」を聞くほうが嬉しい気分である。さあ、いよいよ正月だ。子供のころは農村に暮らしたので、私にも同じ体験がある。この時季になると、毎朝、どこからか「もちの音」が聞こえてくるのだった。正月を待つ心は、子供のほうが熱い。寝床のなかで聞いていると、なんだかとてもドキドキした。思い返すと、旧家ほど早めに搗いていたようだ。我が家のような新参の家や小さな家が、最初に搗くことはなかった。搗く順番に、何か暗黙の取り決めがあったような気がする。したがって、我が家では大晦日近くに搗いていた記憶がある。二十九日だけは「苦餅」となるので、搗くのは避けた」出典はこちら。作者は江戸期と聞いて思い出したのが落語「尻餅」・・舌足らずべらんめえ調の八代目可楽師匠で後程どうぞ。
先日「折々のことば」に幸せを見つけました。

「小さい幸せ見つけるのうまいな」加瀬健太郎の妻
写真家が休みに一家で温泉に行く。倹約のため、夕食を部屋でとるのを諦め訪れた変哲もない中華屋で「火山が噴火したみたい」な焼きそばにありつき、「よかったなここにして!」と大喜び。幸福は小さく、小刻みに。すると日に何度も幸せな気分になれる。人と思わず顔を見合わせることも増える。夫をとっさにこう評した奥さんも素敵(すてき)。『お父さん、だいじょうぶ?日記』から。(鷲田清一)

インスタグラムを始めて四ヶ月、233投稿になります。他の方の画像を見ていると、まさしく「小さい幸せ見つけるのうまいな」と思います。インスタグラム画像=小さい幸せ→ゆえに炎上しにくいのでしょう。ちなみに小生のインスタグラムは hideky1961
ところで、以前BBTime176「こんなもんじゃない!」に書きましたが、昨日も患者さんの口から「こんなもんと思っていました」の言葉を聞きました。
「この上の入れ歯、喋りにくいでしょ」
『・・?』
「大きくて話にくかったでしょ」
『こんなもんと思っていました』
PIP使って舌の邪魔をしている部分を削って小さくしたところ
『あら!違う、喋りやすい』
「あなたが、もし眼鏡を新調して下を向いたら落ちる。サングラスでもないのに見えにくい。新聞の文字が読めない。かけていると鼻が痛いなどが起きたら文句を言うでしょ。入れ歯も同じです。食べるための、おしゃべりするための入れ歯です、どうぞ遠慮なくクレームをつけてください」

入れ歯は「こんなもん」と思い込んでいるあなた、「こんなもんじゃない」場合が多々あります。どうぞ足を運んでみてください「小さな幸せ」が増えると思います。
今回の一言「こんなもんじゃないのです」
今回の一曲「Happy」7530
https://youtu.be/OvehrO4OJ80
蛇足:折々のことばの画像をよく見ると「小さい幸せ」の裏に「不満」の文字が透けて見えます。不満の裏返しが「小さい幸せ」。不満は小さくとも溜め込まずに行動を起こすと「小さな幸せ」になりますよ、きっと。佳いお歳を、よいお年玉を!
BBTime192 希望
BBTime 192 希望
「焼芋を二つに折れば鼻熱し」吹田孤蓬

時に俳句は至極当たり前のことを至極明確に表現します。生芋を焼いて焼き芋に、熱々の芋を割ると・・鼻熱し。物事には全て原因と結果があります、前回の「後悔」も然り(しかり)。先日来ラジオで「心の進化を探るーはじめての霊長類学」を聴いています。松沢哲郎氏は最終回でおっしゃっています。「想像する力、希望を生み出す知性こそヒトの人たるゆえん」だと。進化の上でヒトに近しい生き物、チンパンジーやオランウータンなどでも「今ここ私」だけの人生で、ヒトのみが「自分以外の他人(ひと)と過去を踏まえて今を生き、未来に進む」生き物のようです。

人は手遅れを後悔するからこそ、いつぞや円楽師匠は「今回の騒動とかけまして、今東京湾を出て行った船と解きます。(その心は)“後悔”の真っ最中」と弁明しました。繰り返しますがチンパンジーは後悔しません、過去も未来も彼らにはないからです。人のみが過去を省みて今を生き未来に希望を抱きます。

「絶望するのと同じ能力、その未来を想像するという能力があるから、人間は希望をもてる。」松沢哲郎
チンパンジーはつねに「今、ここ」を生きている。だから一瞬ぱっと目の前に示された数字を丸覚えするのは上手だが、ずっと先のことに思いをはせたりはしないので、絶望もしない。これに対してヒトは、過去や未来といった不在の時に心をたなびかせる。だから、過ぎし日を懐かしみ、後悔もすれば、行く末を案じ、祈りもする、霊長類学者の「想像するちから」から。2017/3/10(朝日新聞 折々のことばより)

「去年今年貫く棒の如きもの」高浜虚子
年の瀬になると思い浮かべます。勝手に「棒の如きもの」から「撞木:シュモク」を想像します。去年今年(こぞことし)と変えないものもあれば、その裏には変えるべきものもあります。小生など円楽師匠よりも多くの舟が錦江湾を出たばかりの一年(苦笑)しかし「想像する力・希望を生み出す知性」を持ちます。
後手後手治療から先手先手予防へ!
最後に一日遅れのクリスマスプレゼント!

サンタクロースがいなければ……人間のあじわうよろこびは、ただ目にみえるもの、手でさわるもの……だけになってしまうでしょう。
フランシス・P・チャーチ
鷲田さんのことば サンタクロースってほんとにいるの? 1897年、「ニューヨーク・サン」新聞に寄せられたある少女の質問に、記者はこう社説で答えた。見えないものはみな、人間が頭の中で拵(こしら)え上げたものだなどとは言えないと。ほんとうに大事なものは見えないものからなっている。『サンタクロースっているんでしょうか?』(中村妙子訳)から。(鷲田清一)6500
今回の一言「人のみが希望を生み出す」
今回の一曲「Zenzenzense」
https://youtu.be/IYLSbTtaoNI
https://youtu.be/jp8IOVW8Wd0
https://youtu.be/HZObQA9QNz8